鑑定
(3)
「当たるも八卦当たらぬも八卦。」
老婆は繰り返し言ったかと思うと、プツンと黙り込み首ごと下を向いて動かなくなった。
しばらく呆然と立ち尽くしていたが、気が付くと老婆の前に座っていた。明確な意図があったわけではない。何かが老婆の話を聞けと、そう訴えかけているような気がしたのだ。
「あの…おばあさん。」
か細い声で老婆に囁くと、一瞬看板の明りが点滅した。気のせいだろうか、看板の方に目線を投げかけ、また老婆に戻すと、上目遣いで私を見る老婆と目があった。ヒッと短い悲鳴が口から洩れ、慌てて抑える。
「いらっしゃいませ。今日はどういったご用件で?」
まるで今初めて話すような口ぶりに違和感を覚えたが、嬉々とした表情を浮かべる老婆の迫力に負けて指摘する機会を逃してしまった。
「あの…特に悩んでいることとかはないんですけど。なんとなく、ここに座っちゃって…」
自分でも何を言っているのか分からないが、そんな言葉が口から出た。老婆は、じーっと観察者のようにこちらを見てきて、言葉尻がしぼむ。
「仕事、辞めるのかい?」
唐突に老婆が放った言葉は全く予期せぬことだった。特にやりがいのある仕事ではないが、かと言って不満もない。当然、辞めるつもりなどサラサラない。
「あんたに一つだけ忠告しておこうか。女には気をつけるんだね。」
またよく分からないことを…。脈絡なく投げつけられる言葉の連続に、驚きを通り越して興醒めだった。自慢じゃないが人当たりはいい方で、同性に嫌われないコツも心得ている。そもそも女なんて範囲が広すぎないか。それこそ、目の前にいる老婆も女だ。これはひょっとしたら占いを信じるなよというメッセージなのか?
「さて、今日のお代は500円ってとこだね。」
老婆は、一仕事終えた後のような清々しい表情で掌をこちらに差し出した。まさか、この意味不明なやり取りだけでお金を取るのか。驚きに見開かれた私の目の前で、早くしろとでも言いたそうに老婆の掌が上下した。掌と顔を交互に見て、冗談でしょうと笑いかけようとしたのだが残念ながら目が本気だった。仕方なく、渋々財布から取り出した500円玉を血の気が感じられない老婆の掌に置いた。
「まいどあり~。」
置いた瞬間に手を引っ込め、私に背を向けるようにして500円玉を愛おしそうに撫でる老婆の姿に、ふと私は何をしているのだろうか…と遠い目をした。
その後、じっくりと堪能したらしい老婆が机の上に小さな看板を立てた。
“営業終了”
なるほど、帰れってことね。乾いた笑いが出た。
老婆は既に私の姿が見えていないのか、所々汚れの目立つノートに何やら書きつけていた。帳簿だろうか、少し盗み見してやろうと身体を横に倒すと、不意に老婆が顔を上げた。慌てて逸らそうとするも間に合わず、バッチリと目が合ってしまった。ドキドキと高鳴る心臓の音を感じながら、私は不思議な感覚に襲われていた。何故だろう、確かに目が合っているのに何処を見ているのか分からない。瞳の中に映る私の瞳に映る私の…、ここではない何処かに、ほんの一瞬飛び込んだ錯覚に陥った。
「いらっしゃいませ。」
永遠とも感じられた不思議な感覚からの解放は唐突に訪れた。
目の前に座る老婆は、小さな看板越しにこちらを見つめてくる。目は…しっかりと合っている。どうやら起きながら夢を見ていたようだ。寝不足と二日酔いだったのを思い出し、これは早く家に帰って休んだ方が良さそうだ、そう判断した私は、まだ黙ってこちらを見ている老婆に軽く謝り席を立った。
「女に気を付けるんだよ、いいね。」
少し歩き出した私の背後から老婆の声が聞こえた。え?振り返った私の目に映ったのは、さびれた商店街だった。