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田舎暮らし、はじめてみました  作者: 秋野さくら
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眠れる獅子は棒に振る

(18)

浅野咲にはマイルールがあった。

毎週月曜日の就業前、自販機でドリンクを買うこと。ドリンクはその時の気分で決める。これを毎週欠かさず繰り返してきた。

きっかけは些細な事で、たまたま携わっていたプロジェクトが上手くいったから。一種のジンクスのようなものだ。不思議なもので、この習慣のおかげか仕事面では中々充実している気がしてくるから侮れない。


今日もまた、自販機へと向かった咲は先客がいることに気が付いた。

営業部のいじられキャラ新藤である。

同じフロアではあるものの、課が違えば関わることなどそうそうなく、事実、咲は新藤と会話を交わしたことは皆無だった。それでも新藤の存在を知っていたのは、咲の上司である立花ゆり子が関係していた。


立花ゆり子には非公式ながらファンクラブのような組織がある。

発起人は営業部の出世頭、佐竹充。始まりこそ極小規模なチームであった彼らだが、今や会員数は50人を優に超える組織へと成長を遂げ、立花ゆり子が黒と言えば白も黒に変えかねない勢いがあるとかないとか。


咲は会員でこそないものの、上司がゆり子である。自席の近くで、日々挨拶やら状納品やらと、大の男たちが嬉しそうに日参する姿を見るうちに、組織の存在やおおよそのメンバー編成を知るところとなった。そのよく表れるメンバーに新藤の姿もあり、咲の記憶にも自然と定着していた。


「おはようございます。」

咲は新藤が自販機前からどいたので、自分の分を購入しようと進み出た。ついでに、無言なのも何かと、声を掛けたに過ぎないのだが、咲の姿を視界に入れた新藤は勢いよく飛びのいた。

「おは、おはようござ…あの、はい…。」

何が“はい”なのか。咲は小首を傾げたが、さして新藤に興味がなかったのもあり、スルースキルを発動した。


さて今週のドリンクは何にしようか。

咲は、頭に浮かんだ今週控える戦の数々に思いを馳せる。

よし、ここは気合を入れてブラックコーヒーにしよう。


先日冷やされたばかりの財布を開け、小銭を確認すると、丁度100円玉があった。

咲は意気揚々と投入口に100円玉を入れたのだが、ぺっと無下に返却される。何度か繰り返したのだが、その都度ぺっと吐き出される。

…仕方がない他の硬貨をと、再度財布を覗き込んだが、あいにく在庫は1円玉と5円玉。戦力外である。ならば紙幣は?と見るも、万札がこんにちは。

…万事休す。いや、万札を入れても構わないのだが、なんとなく嫌だ。

万札は万札のまま、その姿のままでいてほしい。


うーんと悩む咲の後ろから、新藤が声をかけてきた。まだいたらしい。

「あの、よかったら交換します?」

見ると、新藤はこちらに100円玉を突き出していた。なぜか無駄に綺麗な100円玉だ。

「いいんですか?…すみません、ありがとうございます。」


新藤が100円玉を差し出しているということは、一連の流れを見られていたということで、なんだか気恥ずかしい。咲は照れながらも新藤から100円玉を受け取り、問題の100円玉と交換した。

軽く頭を下げた咲は自販機に向き直り、投入口へと滑り込ませる。

…ガシャン!無情にも吐き出される100円玉。


「ええー、まじかよ。」

後から覗き込んでいた新藤の口から落胆の声が上がった。咲とて気持ちは同じである。

「もう一度、もう一度入れてみます。」

返却口からこちらを見上げる100円玉を取り上げ、咲の指が微細なゴミを払うかのように100円玉を拭う。


…ガシャン!

またダメか。落胆のため息が自販機にかかった。

「俺が入れてみてもいいっすか?」

ここで新藤が名乗りをあげた。彼は両手をすり合わせ、気合を現す。


…ガシャン!

まるで赤子の手をひねるかのように、易々と新藤の気合をへし折った自販機。たまらず漏れた舌打ちが彼も気持ちを代弁する。

「なんでだよ。まじ意味わかんねーわ。」


憤慨する新藤の様子を見ていた咲は、なんだか申し訳なくなってきた。

元はと言えば自分の買い物なのだ。こうやって彼の時間を無駄に使わせてしまうのは申し訳ない。

「あの…ありがとうございました。後でコンビニかどこかで買いに…」

新藤の頑張りを称え、そろそろ手を引こうと持ち掛けようとした咲は、新藤から向けられた予想以上に強い眼差しに言葉を失った。


「諦めるんすか?」

…は?目をパチクリする咲に向け、新藤は再度口を開いた。

「諦めちゃうんすか?ここで諦めたら、浅野さんはこの自販機に負けたことになるんすよ?それでもいいんすか?!」

「いや、別にかまわ…」

「いいわけないっすよね?!

戦いましょう!俺らがここで自販機に勝利して、人間の底力っつーもんを見せてやりましょうよ!」


どうやら、新藤の中に眠っていた戦士の血を呼び覚ましてしまったらしい。

あーこれは面倒なことになったと、気づいた頃には時遅し。

新藤と自販機の間では架空のゴングが鳴り響き、戦闘態勢に入った彼を止められる者はいなかった。


その後、奇声を発したり、神頼みしてみたり、自販機に拝んでみたりと、ここ会社だけどいいの?と思わせるような奇行の限りを尽くした新藤は、就業前のチャイムで我に返った。

結局、人間の底力を見せることは出来なかったが、彼の顔には、やりきった者だけが浮かべることの出来る爽やかな笑顔があった。


「いい戦いだった。次こそは容赦しねーからな!」


新藤の熱い拳がコツンと自販機に当たり、それに呼応するかのように自販機もヴォーンと振動音を発した。フッと笑った新藤は片手をポケットに入れ、颯爽とオフィスへと戻っていくのだった。

彼が浅野咲に例の封筒について聞くいい機会を棒に振ったことに気が付いたのは、自席についてからのことである。


「なにやってんだよ~俺ぇ!」


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