お誘いとジジイ(笑)
(118)
「こちらです。」
半ば強制的に連れてこられたのは、予想に反して日当たりの良い場所であった。
大きくせり出した岩肌を土台とした、天然のテラス席といったところか。
「へぇー!」
てっきり地下牢にエスコートされるものだと思っていた咲は、驚嘆の声を上げる。
「お気に召しましたか?」
「…ええ、まぁ…。」
クロノメは優しく目元を綻ばせ、バツの悪そうに視線を逸らす咲を見つめる。
「ふふふ。さて…」
くるりと振り返ったクロノメの目が怪しく光った。
ここに連れてこられる道中、咲は必死に頭を回転させていた。
どうすれば、この危機的状況から逃れられるのか。
まず浮かんだのは武力行使。
しかしこれは考える余地もなく却下だ。普通に考えて無理。
何かしら飛び道具があれば…と、一瞬甘い考えが浮かんだが、使いこなせるはずがない。
だって私だし?と、自信満々に言い切れる。
次に浮かんだのは、交渉。
とは言え、相手はあのカラスだ。
一番選んじゃいけないルートだろう。
では、どうする?!
咲はここで八方塞がりとなった。
「お願いします!」
ビクリと身体を震わせた咲の耳に、慌ただしい羽音が届いた。
「待て!」
グリノの声を背中に受け、イエノは隠し切れない喜びに顔をニヤつかせた。
「…なんでしょう?」
しかし、そこは敢えて素知らぬ顔で振り返る。
変にグリノを刺激しないためだ。
「……。」
グリノは苦虫を嚙み潰したような、苦々しい顔でじっとイエノを見つめる。
イエノもまた、はやる気持ちを落ち着かせ彼の言葉を待つ。
早く言え。言って楽になっちまいな!
「…イエノよ。……。」
やっと重い口を開いたグリノだが、その先が続かない。
「はい。」
焦る気持ちを抑え、またしてもジジイと見つめ合う。
なにこれ、苦行かよ。
「わしは…いや、やはり止めておこう!」
待ち望んだ言葉は、残酷な現実を突きつけるものだった。
期待で膨らんだ風船に穴が開けられたような感覚だ。
その穴からどんどん漏れていくように、イエノの顔からも表情が失われていく。
一瞬で体にまとわりつくのは絶望か。
やはり無理なのか…俺には望めない未来なのか…?
いや、まだだ!まだ、諦めるな。
「ど、どうしたんです、グリノさん。」
ひくつく口元に力を入れ、イエノは苦渋に歪むグリノへと語りかけた。
「貴方ほどの誇り高き戦士が、途中で考えを変えるなど、あって良いのですか?
いいえ、いけません。そんなグリノさん、私は見たくない!」
思わず涙ぐんだイエノは、歪んだ視界の先でグリノと目があった。
「私は、貴方だから言うのです。」
その瞬間、グリノは大きく目を見開いた。
「…イエノよ。わしは、どうやら腑抜けになっていたらしい。
カラス族たるもの…わしが言った言葉だろうに。」
弱弱しく呟かれた言葉もさることながら、グリノが自分の非を認めたことにも驚き、今度はイエノが目を大きく見開く番だった。
「よかろう!お主がそこまで言うのだ。わしも腹をくくろうぞ!」
大きな声でグリノが宣言し、イエノの顔にもじわじわと笑みが広がっていく。
「じゃあ…!」
「うむ。わしは、クロノメさんに一目置かれる存在にはまだ届いておらぬ!」
「…は?」
鳩ならぬ、カラスが豆鉄砲を食らったような顔になった。
「なんだ。お主が言ったのだぞ。
クロノメさんにも一目置かれていると。
わしとて、カラス族たる自信は十二分に持っておる。
しかし、まだ一目置かれるまでには至っておらぬのだ。
それを否定すべきか悩んだのだが…イエノ、お主の熱い言葉で目が覚めたわ。」
おい、このジジイは何を言ってやがるんだ?
イエノは、只々信じられないモノを見るようにグリノを見た。
つまり、彼が必死で重ねた言葉たちはグリノを動かしは、したわけである。
ただその方向が…ちょっと、いやだいぶ…的外れだっただけで。
「い、いや…ちょっと。え?聞いてました?私は…」
「なんだ!わしを年寄り扱いする気か!聞いておったわい!
ブルノに交信だろ?そんなもん、自分でせぬか腰抜けが!」
先程まで高笑いしていたグリノは一転、機嫌悪く怒鳴り散らすと飛び去ってしまった。
「だから…!それが出来ねぇーから、頼んでんだろうがー!」
交渉失敗に終わったイエノの遠吠えは、プリプリと怒るグリノには届かなかった。