動揺と交信と短い自由と
(116)
「だ、旦那…こりゃあいったい…」
クロノメが去り、取り残されたように俯くクレノの巨体。
ベニとオジイノは、ただ茫然と眺めているしか出来なかった。
「…ベニ殿。これは相当の覚悟を持って臨まねばならぬぞ。」
オジイノは鋭い視線をクレノに向けたまま、嫌な予感に騒ぎ出す心臓をぎゅっと抑えた。
「あ、馬鹿!無理じゃねーか。」
すっかり落ち着きを取り戻し、悠々飛んでいたイエノは急に顔をしかめた。
「俺からブルノへは交信出来ねぇーんだった!」
実は、カラス族間での連絡手段は意外と少ない。
1つは、言わずもがな直接赴くこと。
そしてもう1つは、交信である。
しかしこれには条件があって、発信側は自分より下位のカラスにしか送れない。
その意図は、上下関係を強く意識させることにあり、クロノメが導入した手段であった。
「まじか…ど、どうするよ。やっぱり行かないといけねぇーの?」
イエノは途端に息苦しさを感じ始めた。
「…いや!まだ諦めるのは早ぇーだろ!
何かあるはずだ。…何か方法が…。」
徐々に早くなっていく鼓動が彼を焦らせる。
「あ!そうか…要は、ブルノより上であればいいんだよ!」
ぱっと顔を輝かせたイエノは、その脳裏に2体とクロノメを思い浮かべた。
「いや、クロノメさんはダメだろ!
そこ行っちゃったら、俺…何の為に指示受けたのか分かんねぇーし。」
残るは2体…クロノメ直属の配下1位グレノと、続く2位のグリノである。
「うーん…言いやすいのはグレノさんだけど、クロノメさんにすぐチクるからな…。
かと言って、グリノのじいさんは…堅物だし。時々何言ってるか分かんねぇーし。
あああーまともなのいねぇー!」
自分の事はすっかり棚に上げるどころか、綺麗に収納する勢いのイエノは頭を抱えた。
「あああ…しょうがねぇ。ここはグリノの爺さんに拝み倒すか!」
イエノは今日一番の覚悟を秘めた顔で、進路を大きく変更した。
咲は、自分史上最大の危機に瀕していた。
「おや、想定よりも早い再会でしたねお嬢さん。」
気だるげに潜った洞窟の先に、見覚えのあり過ぎるカラスが1体待っていたのだ。
「ははは…どうも…。」
クロノメは、よく1体だけで自由に飛びに行く。
行き場を決めない、自由気ままな小さな旅路。
この時だけは、何のしがらみもない只の自分に戻れる気がして…クロノメにとって、かけがえのない時間なのだ。
「そうでした、彼を見に行かなくては。」
とは言え、そこはやはりと言うべきか。
彼はいついかなる時でも、クロノメなのだ。
ふらりと気ままに飛んでいるつもりでも、その目はしっかりと見るべき所に向いている。
「ふむ、やはり…失敗ですか。
簡略化を図るための試みでしたが、少々ずさんが過ぎましたね。…仕方ありません。
しかし、こうもあっさり攻略されるとは…。
やはり人間は面白い。」
そして彼は短い自由から、またクロノメへと戻るのだ。
「さて、お嬢さんを探しますかね。
いい機会ですから、人間の隠された能力でも教えていただきましょう。」
彼は、クロノメはこうして再び翼を広げた。
「おや、想定よりも早い再会でしたねお嬢さん。」