小さな一歩
(105)
「ふん、なるほどねぇ。
自ら大怪我を演出することで、カラス達の恐怖心を煽ったかい。
いや…人間という未知の存在がいるかもしれないと、そう思わせるだけで良かったのか。
なんにせよ、根性のねじ曲がった奴だよまったく。」
ベニはため息交じりに言った。
「クロノメは“単体で突っ込めば私のようになる”そう、傷ついた体で言ったそうだ。
奴の思惑は、面白いように嵌ってのぅ。
見る見るうちに、カラス達は共闘を学びおった。
お主も見たことがあるかの?
奴らの結束を表す、一糸乱れぬ飛行術を。
あれは…クロノメが伝えたのだそうだ。
幸か不幸か。共闘を知ったカラス族は、只の戦闘狂から誇り高き戦士と呼ばれるようになった。」
オジイノはふーっと深いため息をつき、ヤチノの顔を見上げた。
「…しかしのぉ、どこにでも分からず屋というモノはいるもんだ。
1体だけ、頑として受け入れぬモノがおった。
そ奴は、単身天狗族に乗り込んできおってのぉ。」
オジイノは当時を思い出したのか、クックッと小さく笑った。
「今でも鮮明に覚えとるわい。
“ここに人間という兵器があると聞いた。”
奴は堂々と正面から現れ、開口一番そう言いおった。
わしらはびっくり仰天でのぉ。
遠く見ていたはずのカラスが、まさか正面から現れるなんて、とな。
右往左往するわしらを、奴はただじっと待っとった。
ただじっと…答えを待っていたのじゃよ。」
ちらりとベニを振り返り、オジイノは続ける。
「わしは言った、“そんなもの、あるはずが無かろう”と。
奴は…じーっとわしを見ておった。
そうして一言、“そうか”と言って去って行った。
その後、奴がどうしたのかは分からぬ。
ただ、カラス族はクロノメを筆頭に組織化され、今の形となった。
…クロノメの望んだ通りになったというわけだ。」
オジイノは力なく笑い、ベニを見た。
「なるほどねぇ…大体の流れは分かったよ。
それでも、なんでまたクロノメはカラス族を組織化したかったのかねぇ?」
「それはわしも分からぬ。
坊が何か知っていたやもしれんが…今となっては、それも…。」
揃ってヤチノを見上げた2体は、しばし黙って彼の顔を見つめた。
「オジイノの旦那、お前さんヤチノと仲良かったんだねぇ?」
ベニは重く垂れこむ空気を一新するかのように、努めて明るく言った。
「ふぉっふぉ。
正面突破以来、奴は度々顔を出すようになっていたのじゃよ。
なんてことない、不可侵の約束など既に断ち切れていたのに…わしらは長く気づけなんだ。
きっかけは、いつだって小さな一歩なんじゃのぅ。」
オジイノの目にちらりと光るものが見えたが、ベニは見ない振りをした。