転機
(1)
コイツ誰だ。
目の前でつらつらと話す女を見ながら、咲は思った。いや、知っている。同僚の花だ。しかし、淡々と辛辣な言葉を並べる女が果たして私の知っている花なのか…私には分からなくなっていた。
家から近いというだけの理由で決めた短大を卒業し、周りの友達がしているからと始めた就活。内定をもらったから働きだした会社。これといった不満もなければ、特にやりがいもない。決められた時間に出勤して、同じ業務をこなす日々。退屈ではあるが、かと言って何かに挑戦する気もない。気が付けば年が明けて、ふとカレンダーを見ると年の瀬を迎える。そんな日々を送っていた。
ある日、短大時代の友達から久しぶりの連絡があった。数年ぶりに再会した友達は、大人女子に上手く化けていた。大学時代の加工メイクは鳴りを潜め、ナチュラルメイクを会得したらしい。しおらしく手を振る彼女に始めは戸惑ったが、話し出せば端々に見え隠れする懐かしさに思わず吹き出す。場所を移動して、腰を落ち着かせたのも大衆居酒屋という、わざとなのか本気なのか。そんなことを思っていたのも始めの内だけで、乾杯!とビールの大ジョッキを打ち鳴らす頃にはどうでもよくなっていた。近況報告から、仲の良かったグループの誰それの話、果ては信憑性の薄い噂話に花を咲かせている内に気が付けば終電間近となっていた。
バタバタと駅へと走っていく友人を見送り、私は酔いに火照った身体を涼ませるため、ゆっくりと歩き出した。とっくの昔に終電は過ぎていて、どうせタクシーを拾わなくてはならない。それに明日は休みだ。駅近くに行けば拾えるだろうか…、そんなことを思いながら少し調子の外れた歌を口ずさむ。
季節はもう秋だ。深夜に差し掛かるこの時間帯はさすがに肌寒く、露出した腕を擦りながら少し歩調を早めた。すると、左手の路地からほのかにオレンジ色の明りが伸びていることに気が付いた。いつもなら気にも留めないのに、なぜか興味がわいた。どうせタクシーで帰るのだ、ちょっとぐらい寄り道しても大差はない。誰に言い訳しているのか、そんなことを呟き私は路地へと足を向けた。
路地を入ってすぐ、占いと書かれた看板と小さな机、そして一人の老婆が背を丸めて腰かけているのが目に入った。どうやら明りの出所はこの看板だったらしい。じっと無遠慮に見る私の視線など気が付いていないのか、微動だにしない老婆。時間も時間だ、もしかしたら寝ているのかもしれない、そんな考えが浮かんだ。普段の私ならここで踵を返すのだが、まだ抜けきっていないアルコールの力も相まって老婆に話しかけることにした。
「こんばんは。」
ぴくっと背中が反応を見せ、ゆっくりとした動作で老婆が私の方に顔を向ける。視線が合った瞬間、老婆が息を吹き返したように見えた。ゆっくりと唇の端が上がり、顔に皺が寄って笑顔を作る。
「はい、いらっしゃい。どうぞ、お座りになって。」
にこやかに微笑む老婆に促され腰を下ろすと、存外近い距離の対面に思わずのけ反り、危うく椅子から転がり落ちるところだった。軽く咳払いをして座り直すと、電池が切れた人形のように、微笑んだまま微動だにしない老婆と目が合った。視線を逃れるように下を向くと、机の上にはオレンジ色に照らされた水晶玉と細かい文字がびっしりと書き記された紙の束、そして束ねられた木片が端に寄せられている。
私は内心舌打ちをしていた。今まで占いにさして興味を抱かずに生活してきたからか、こういう状況でどう切り出したらいいのか分からない。何より、特に悩みらしい悩みも思い浮かばず、完全に冷やかし客状態だ。今更ながら、不用意に声をかけた数分前の自分に呆れた。
ここは適当に切り上げて帰ろう、そう決めた私は、困った時に良く使う眉を下げて曖昧に微笑む表情を浮かべ、口を開こうとした。すれよりも早く老婆が一言、「あんた、死んじゃうかもね。」そう言ったのだった。