ホラー企画短編『人が死ぬ音』
“轢かれる”という言葉がある。
普通の人がよく聞くのは、「人が車に轢かれる」という使い方だろうが、私は納得していない。
事故の現場に出くわしたことがあるが、大きな鉄板に、重く大きな何かを叩きつけるような音だったからだ。
箱形の大きなワンボックスカーの前面に人が直撃したから、ということも原因だったかも知れない。
冷たく非人間的だと責められそうだが、「そうだな。車体って鉄板でできてるからな」と妙に納得したことを覚えている。
それ以来、「人が車に轢かれる」という使い方に違和感を持つようになった。
「轢かれる」という言葉は、電車の人身事故のような瞬間にこそ相応しい言葉だ。
人であったものは挽きちぎれ、肉片が広く飛び散るそうだ。
そんなことを思いついてから、私の中には、好奇心と呼ぶには暗く危険な衝動が生まれた。
圧倒的な質量によって生まれた力で、人が、本来の形も構造も無視され、弾けるようにぶつ切れる。
それは、どんな音がするのだろう?
そんな道徳心の欠片もない欲求は、日々、大きくなり、想像する機会は増え、そのせいで身近にあり得ることという意識が生まれたのだろうか?
私はホームの端を、普通の人の何倍も大きく怖れるようになった。
通学してた頃も通勤に使う今も、私は駅のホームに着くと壁に背中を預けるように立つ。
疲れていて、電車が到着した時には座席を確保したいと強く思う日でも、だ。
そして、もう一つの習慣も生まれた。
泥酔してホームをフラフラと歩く者。
よほど大きな悩みでもあるのか、周りに人がいるのを忘れているかのように、少し異様ともいえる挙動不審な仕草で、暗く沈んだ気持ちを漂わせる者。
そんな利用客を見つけると、壁沿いに移動し、その後ろに立つ。
そして高まる鼓動と黒い期待感を忍ばせながら、その背中を見守る。
しかし、結局、何も起きずに落胆しながら到着した車両に乗り込む。
駅には、いつもたくさんの利用客がいる。
でも彼らは、その中に私のような人間がいることなんて、想像もしていないだろう。
今日は営業業務で得意先回りをしていた。
疲れていた。
しかし、そのことを忘れさせるほど強く私を惹きつける男がいた。
髪の薄い小柄な初老の男。
地味なくたびれた普段着から見て、仕事の移動のために駅を訪れたとは思えない。
ホームへの階段を上りきって、いつものように壁際に向かった。
その短い歩みの途中で、すれ違った男。
目が明らかに異常だった。
とろんと呆けたような、思い詰めるような、遠くを見るような。
ふらふら、とぼとぼとホームの白線へ向かう。
私は、高まる鼓動を隠しながら、その背中を見送った。
挙動不審。
電車の到着を待つ利用客たちから察するに、男が向かう位置には車両のドアは来ない。
アナウンス。
もうすぐ電車が来る。
そして、男が消えた。
自分でも思いがけないほど、激しく動揺した。
線路に飛び降りたのか!?
目は離さなかったはずだ。
まばたきしたタイミングか何かだろうか。
まだ電車は到着していない。
私は白線へ駆けた。
助けようとしたのか。
近くで見たかったのか。
わからない。
衝動だけで、そこに思考はなかった。
線路に男はいなかった。
利用客たちの落ち着いた様子からすると、飛び降りてもいないだろう。
もう電車が来る。
私は大きく息を吐いて振り返った。
男がいた。
まるで目を閉じているかのような、うっとりとした笑みを浮かべている。
ゾッとする強い寒気が背筋を駆け上った。
しかし、互いに手が届く距離ではない。
そんな小さな安堵は関係なかった。
見えない何かに背を捕まれたかのように、私は大きく後ろへ引かれた。
周りの目には、私が後ろ向きに強く踏み込んだように見えただろう。
そして、空へ向かうかのように大きく跳んだように。
嫌だァァァァァァっ!!!!
私は心の中で絶叫した。
同時に、私の中にひどく冷めた感情もあった。
ああ……世の中には、こんなこともあるのか……。
男の姿は、透けるように消える。
きっと、今、駅にいる人たちは、私が長く憧れた瞬間を経験するのだろう。
それがうらやましく、恨めしい。
凄絶な音を立てる電車のブレーキ音は、私の意識にはなんだか遠く聴こえる。
ただ、女性が挙げたのだろう悲鳴はハッキリと聞こえた。




