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自らを曝すということ

 どうやら自分は、無意識に足を止めていたらしい。


 そのまま動かないその様子を見て、リュディガーがいくらか心配する色を顔に映した。


「どうし__」


「そんな言い方は、哀しいです」


 口を一文字に引き結んだリュディガー。彼の顔を見ていられなくなって、キルシェは逃げるように視線を落とす。


 満月に近い月影に照らされ、くっきり、と彼の影が石畳に落ちていた。


「……リュディガーのことを知れて、嬉しかったです。……私は家庭のことは話し難いことが多いので……貴方のことを、信用していないとか、そういうことではなく……」


 __面倒事に、彼を巻き込みたくはない……。


「誰だって、大なり小なり踏み込まれたくないことはあるものだろう」


 キルシェは緩く首を振る。


「……一方的になってしまって、申し訳なく思っているの。聞くばかりで……いつも……」


 私なんてこうよ、と明るく笑い飛ばせるような話題に変えられない。


 そうした能力を、自分は持ち合わせていないらしいのだ。


 __歯痒い……。


「励ましもなにもできなくて……つまらない身の上話、と言わせてしまって……決してそんなこと、ありませんから」


 視界にある彼の影が動き、やがてその視界に、リュディガーの足が歩み寄って来るのが見える。


 そして、一歩を残して彼が止まる。


 身体に見合った大きな革靴は、細かい傷があって使い込まれているものの、よく手入れされているらしく、磨かれて光沢があった。


 晩餐会など畏まった場があったから入念に手入れしていたのかもしれないが、普段から彼は目立たない服飾__靴であっても手入れをしていたのをキルシェは知っている。


 ただの学生らしからぬ、彼。ただの武人らしからぬ、彼。


 彼の立ち居振る舞いに非の打ち所がないのは、そうした細やかなことも気にかけられるからかもしれない。


「本当の自分を曝け出す、ということは、とても勇気が要る。場合によっては、自ら命を差し出すほどの勇気が」


 静かに言うリュディガーの言葉に、キルシェは顔を上げる。


「……勇気……そうね、それは確かに」


 曝け出す勇気__打ち明けることで付随する出来事を受け止める覚悟。


 自身が過去に向き合う覚悟。


 相手から見限られてもよい覚悟。


 巻き込んでしまう覚悟。


 その覚悟__勇気は、自分の中でどうやっても生まれないだろうが__とはキルシェは内心に留める。


「あぁ……別に、今ここで話せ、という意味で言ったわけではないからな。そういうものだろう、と言いたかっただけ。__私の先程の身の上話も、それほど勇気が要るほどのものではないし」


「そうなの?」


「ああ」


 精悍な顔立ちの彼は真摯な表情でいたのだが、すぐに薄く笑みを(たた)えた。


「__ともかく偉そうなことは言ったが、必ず曝け出さなければならない訳ではない。言いたくなければ言わなければいいし、あえて言う必要がないことだってあるだろう」


 そうね、とキルシェは視線をやや落とした。


 そこで目に留まるのは、瑠璃色の帯紐で腰に佩いた紛うことなき龍騎士の証である。


 __これを得るまでに、どんな大変なことを経験したのかしら……。


 ローベルトと出会う以前は__ガリガリに痩せ細っていた幼少期は、何があったのか。


 それは、ローベルトの話を聞くに、養父である彼にも詳しく告げていない様だったから、彼にとってそこを明かすことは命を差し出すほどの勇気がいる過去、ということかも知れない。


 同じ養子であることを打ち明けたキルシェにも、自身が養子だということも告げないでいるのは、確実にその過去に触れるから、打ち明けるには、命を差し出すほどの勇気が要る過去。


 __あるいは、思い出したくもない過去なのかも……。


 目をつぶって、なかったことにしておきたい過去。


 無論その過去があっての今ということも分かっている。


 __だとしても、なかったことにしたいとい気持ちは、すごくわかる。


 何があったかは気にはなるが、彼が言うように、必ず曝け出さなければならない訳ではない。


 千差万別。それぞれに、打ち明けられないことだってあるのは間違いないのだ。


 __それでも……大したことではない、と彼は思っているのだろうけれど……話してくれた。


 抱えていた過去の片鱗。


「リュディガー。ありがとうございます。お話しし難いことなのに……話してくれて」


 顔を上げて、柔らかく笑んでみせれば、一瞬驚いたものの、彼もまた穏やかに表情を崩す。


「こちらこそ、付き合ってくれてありがとう。__励ましもなにもできない、と君は言ったが、そんなことはない」


 そして、彼が手を差し伸べるので、キルシェは頷く代わりに笑みを深めてその手を取った。


 筋張って硬い胼胝(たこ)がある彼の分厚く大きな手。無骨な手は、とても力強く温かい。


 彼の力強さを表す手から、優しさが温もりとなって伝わってくるようだった。胸の奥にもじんわり、と温もりが溢れてきて思わず顔が綻ぶ。


 __あ……。


 そこで、ふいに昨夜の出来事が思い起こされた。


「__そうだわ。ひとつ気になったことがあったのを思い出しました」


「ん?」


 一歩踏み出しかけた足をお互いに止める。


「昨夜の帰り際の、あれ」


「……ああ、あれ」


 あれ、と具体的に言わなくても、彼は分かってくれたらしい。


「何故、あのようなことをしたの?」


「よくある御令嬢への挨拶だろう?」


「挨拶だということは、勿論、分かっています。驚きはしたけれども……。そうではなく、私が言いたいのは、その後のことよ。何故、手を離さなかったの? 私が手を引っ込めようとしたの、わかったはずでしょう?」


 驚いて、手を引こうとしたのだ。それを彼はしっかりと掴み、阻止した。


 その時の彼の眼。彼の深い蒼い双眸が、苛烈に映って見えたのは鮮明に記憶にある。


 その手は今のように温かいものではあったが、心を緩ませることはなかった。


「なんとも、手の上で転がされていた心地にさせられたからな。ひとつ翻弄されて(からか)われた私の気持ちをわからせてやろう、と思って」


「まあ。なんて言い草……私だって、貴方が来るなんて知らなかったのに」


「だとしても、先生と夫人と一緒になって、私を誂いにかかったじゃないか」


「でも、あの眼は本当に、驚かされたわ。何でこんな眼をするのって……誂いっていう度合いを越えていましたよ」


 そこで、リュディガーは手にしたキルシェの手を昨夜のようにしっかりと掴んできた。キルシェは、はっ、と息を飲んで身構える。


「__君のあの狼狽えていた様は、忘れられない」


 にやり、と人の悪い笑みを浮かべるリュディガーに、キルシェは、もう、と肘で脇腹を軽く押すように突く。無論、それで体幹がしっかりしたリュディガーが、びくともしないことは承知だ。


 ただ、なんとなく悔しくて突いた。


 こそばゆい心地にキルシェは笑い、リュディガーもまたくすくす、と笑う。


 笑うリュディガーを見て安堵しながら、背中に添えられた彼の手に促されるように歩みを再開した。

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