表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/249

醜聞になる前に

 キルシェはリュディガーが腰に佩いたままの、龍騎士の得物が目に留まる。


 黒い漆で塗られ、真鍮に彫金された装飾の鞘に納められた得物。


 __龍帝陛下の意思の具現、体現者たる龍騎士。


 求められることが多く、そして重い組織。


 社会的規範でなければならない、という暗黙の決まりごとが彼らを縛る。たとえそれが、一時、暇を貰っていても、常に付きまとう__否、一生涯。死ぬ時まで。


 彼らは多くを与えられているからだ。


 __それを彼ら自身、よく分かっている。


 組織の上__龍帝従騎士団の上の立場になれば、必然的に政治面でも明るくなければならない。安易な考えで部隊を運用することがあれば、対立する組織は鬼の首を取ったように叩きにくるからだ。


 大学を無事に卒業したら、リュディガーは戻るはずだ。


 __きっと、彼は……もっと上に立つでしょう。


 それも、きっと周囲から求められて。必然的に。


 そう思えてならない。


 __そうした為人(ひととなり)だもの。


 だが、そうしたら、彼はもっと重い物を背負っていくことになる。


 __きっと、それも承知の上。


 彼は、暇をもらっている龍騎士とはいえ、覚悟がある人だ。


 緊急の召集に応じ、戦線に臆することなく馳せ参じ、その覚悟を大いに示していたのが彼。


 __もし、私が中央の文官になったら、彼にいくらかでも支援できるかもしれない。友人として相談にも乗れるでしょうし、不穏な動きがあれば忠告もできる。


 だが、自分には魔穴(まけつ)の脅威に晒された故郷や、父のことが気がかりだ。放っておくことはできない。


 __私は、薄情者なんだわ……やっぱり。


 大事大事と思いながらも、容易に天秤に掛けてしまえるのだから。


「……なんて顔をしているんだ」


 ぐっ、と喉のつまりを覚えていれば、呆れたような顔の彼が、彼の手を握っていたキルシェの手に重ねる。


「すまない。そんな顔をさせるつもりはなかった」


 大きな手。


 とても大きな手が、優しくも、しっかりと包んでくる。


「駄目だな……。色々と良くない方へと考えがいってしまって__(これ)を飲んでいたつもりが、飲まれていたか」


 キルシェの視界から遠ざけた白鑞の水筒を取って、呆れただろう、と自嘲するリュディガーに、キルシェは首を振る。


「……リュディガーは、だから人の辛さだとか痛みがわかるのね。そして、誠実で、誰に対しても(いたわ)れる」


「買いかぶりすぎだ」


 包み込む大きな無骨な手が離れていこうと僅かに動いたところで、キルシェは制するように、もう一方の自由なままの自身の手を重ねる。


「少なくとも、私の周りにはあまりいなかったです。__故郷では、ですが」


 僅かに目を見開いたリュディガーに、少しばかり悪戯っぽく微笑んで見せれば、彼は難しい顔をした。


 そして、口を開こうとするのだが、彼は注意をなにか別のものに取られたように、視線を逸らせた。


 その視線はどこへ__と考える間もなく、彼が尋ねる。


「君、耳飾りはどうした?」


「え?」


 反射的に耳朶に触れる。そこには、常日頃していた耳飾りはなかった。それは、キルシェは承知である。


「まさか、落としたのでは__」


 探そうと身体を起こし、席を立ちかけた彼をキルシェは慌てて制する。


「あの、それなら。お部屋に」


 部屋、とリュディガーが怪訝に眉をひそめる。


「お風呂に入った時、外しましたから」


 リュディガーは、驚きに目を見開き、先程キルシェが示した2階の窓とキルシェとを幾度か交互に見た。

「なん……まさか……いやだって、君、寝間着では……」


「ええ。この下はそうです。__気づきませんでした?」


「何を考えているんだ」


 強張った顔になるリュディガーにキルシェは苦笑する。


「素行不良な娘ですので」


「そういう冗談を言っている場合か。戻るぞ。湯冷めするだろう。何故、風呂上がりだと言わなかった」


「気づいているかと」


 そんな訳があるか、とリュディガーは立ち上がって、白鑞(びゃくろう)の水筒を腰に括り付ける。


「__誰が、羽織物と前掛けの下が寝間着だと思う。それも、いいとこの御令嬢がそんな格好で出歩くと思うんだ。そもそも、まじまじと女人の格好を観るような、不躾なことをするわけがない」


 リュディガーに倣ってキルシェは立ち上がる。


 彼の剣幕に、少しばかり申し訳ない気がしないでもない。しかしながら、深刻な思いつめた様子がまるで消え去った今の彼に、笑顔になってしまうのだった。


「笑い事じゃない。事の重大さを自覚すべきだ。妙齢の令嬢が」


 __まぁ……確かに、外聞は良くない状況よね。


 夜に、湯上がりで、寝間着に羽織物をしただけで、男と2人きりで会う__この状況だけを言葉にすれば、あらぬ想像を駆り立てるのは間違いない。


 醜聞も醜聞。


「旅の恥はかき捨て、と言いますし」


 リュディガーは、半眼になってキルシェを()めつける。


「……そういうことを言っているのではないことは、わかるだろう。__君、だんだんと先生に似てきたな」


「あら、それはとても光栄です。尊敬している先生に近づけているのなら」


「……本当に似てきた」


 まったく、と周囲を気にしながら、キルシェの背中に手を添えて宿へ向かうよう急かすリュディガーは、渋い顔をしているものの、どこか穏やかであった。


「__酔いが醒めた」


 川辺を離れ、宿の門戸を押し開けたところで、ぼそり、と呟くリュディガー。


「酔っ払っていたのですか?」


「いくらか。強いやつではあったから」


 白鑞の水筒を示す彼は、自嘲する。


「だから、釈明だけでなく、あんなつまらない身の上話をしてしまったんだ。言う必要はなかっただろうところまで、明かしてしまって__」


 __つまらない身の上話……?


 自虐的に、照れ隠しで言ったつもりなのかもしれないが、その言葉がひどく心をざわめかせた。


 __言う必要はなかった、事……。


「__キルシェ?」


 名を呼ばれて我に帰れば、門戸を閉めて遅れて踏み入っていたはずのリュディガーが、数歩先に佇み、怪訝にして振り返っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ