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令嬢への礼節

 ビルネンベルクはにんまり、とした顔で口を開いた。


「さっき、君たちが席を離れているとき、リュディガーが明日の粘土板の運搬を手伝ってくれるということになったのだよ」


「左様でしたか」


「師匠想いの弟子を持って、本当に私は恵まれているなぁ」


 はは、と大げさに笑うビルネンベルクにリュディガーが渋い顔をする。


「まだ仰いますか……。コンブレンでの作業ということをあのとき添えてくださっていれば、手伝いにいっていました、と先程も申し上げたでしょう……」


 頭を抱えるリュディガーにキルシェはくすり、と笑う。


「すごく助かります。意外と嵩張って多いので……」


「すまない。コンブレンだと知っていたら、本当に手伝いには行っていたんだ」


 不本意だ、と言わんばかりに重ねて詫びるリュディガーに、キルシェは苦笑を禁じ得ない。


「分かっていますよ」


 __お墓参りもあって、そんなに心に余裕があったとは思えないのに……。


 彼らしいといえば、彼らしい。


「明日の活躍を期待しています」


 期待していてくれ、と笑って言い、姿勢を改めて正してキルシェへと向き直る。


「__では、これで」


「お気をつけて。__また明日、ですね」


「ああ」


 ぐっ、と片方の口角に力を込めるように上げて笑うリュディガーは、何かに気づいたように、そちらへ顔を向ける。


「__あの絵……」


 キルシェは彼の言葉に、そちらを向いた。


 広間の大きな暖炉。その上の大きな古い肖像画の横に、それよりは小振りな絵画があった。そこには、キルシェが纏う服と同じ物を身にまとった、貴婦人の肖像画が掲げられている。


「あれは昔の私ね。20年は前かしら」


「さすが、お変わりない」


「あら、まぁ。お上手ですわね、さすがビルネンベルク侯。__ちょうどあの服……キルシェさんにお召いただいている服を誂えたときだったわね」


 ふふ、と笑う夫人の言葉に、リュディガーは僅かに目を見開いて、キルシェへと顔を向ける。


「それは、自前じゃないのか」


「ええ。こんな上等なもの、私持っておりません。ブリュール夫人からお借りしたの」


「お貸しするから、是非キルシェさんにも、と無理を言ったのよ」


 目をぱちくりさせるリュディガー。


「……では、本当に」


「何だ、私の話を信じていなかったのかい?」


「……と申しますか、先生とキルシェの登場に驚きすぎて、説明が頭に残っていなかったのです」


 なるほどそういうことか、と独りごちてその絵を見上げるリュディガー。


「__私の自慢の娘ですの」


 ブリュール夫人が上品に笑いを含ませた声で言いながら、キルシェの背後から両肩に手を置いてリュディガーに示す。


 ブリュール夫人の紹介に、面食らうリュディガー。しかし、恭しくキルシェが淑女の礼を取ってみせれば、人の悪い笑みを浮かべた。


「ブリュール伯爵家にご息女がいらっしゃるとは、存じ上げなかった」


「ええ。私の秘蔵っ子ですので。__ビルネンベルク侯もご存知でなかったはずですよ」


 一同の視線を受けたビルネンベルクは、両手をあげて肩をすくめる。


「ご挨拶が遅れました。__はじめまして、キルシェ・ブリュールです」


 キルシェは握手を求めて手を差し出す。


「はじめまして、キルシェ嬢。リュディガー・ナハトリンデンです」


 その手を取ったリュディガーは、しかし握手ではなく、その手を__手の甲を上へと向けさせると長身を屈め、口づけを落とす。


「__っ」


 想像の範囲外の行動をされ、キルシェは心臓が弾み、反射的に手を引こうとするのだが、その動きを察知したリュディガーがつぶさにしっかりと掴んで阻止をした。


 それはおそらく、二人の間でしかわからないこと。


 何を、と更に驚かされたキルシェは手からリュディガーの顔へと視線を移して、真意をさぐろうとした。


 __眼が……。


 彼の深い蒼い双眸。それがどうにも苛烈にキルシェには映って見える。苛烈と言えど、キルシェらのおふざけに立腹というわけでもなさそうなそれ。


 では何故、そんなことを__こんな眼をするのかがわからない。


 目は口ほどに物を言うと言う。それにのっとって、彼の眼から理由を探ろうと思うのだが、じっと見つめてくる圧力に、怯んでしまってままならない。


お母上(夫人)に似て、美しくてあらっしゃる」


 手をそのままに、リュディガーは身を起こした。


「は、母の服ですから……その所為です」


「この子、何を着たって似合うのよ」


 上品に笑う夫人。対して自分は強ばった笑顔だろう。


 心臓が早鐘を打って、それさえも見透かしそうな彼の視線。一刻も早くこの彼から逃れたくなった__が、それさえ彼が許さないように思われた。


 __現に、手を離してくれない。


 そうした様々な要因からくる動揺が顔に出ていたのか、それとも知ってか知らずか、唐突にリュディガーが小さく笑った。


「以後、お見知り置きを」


 リュディガーはいつもの穏やかな顔でそう言うと、やっとキルシェの手を離した。


 __何、動揺しているの……ただの挨拶でしょうに……。


 確かに予想外ではあるが、社交ではよくある挨拶ではないか。しかも少し前に、デッサウにもされていた。その時は、ただの挨拶として受け入れられていたではないか。


 __そうよ……、挨拶。ただの挨拶。


 ここへ来た時、彼は自分や先生の存在を初めて知って、挨拶もままならなかった__否、していなかった。よく知る仲だし、毎日のように会っている間柄だから、改まった場でも挨拶しなくても気にはならない。ならなかったのだ。


 __よく知る仲……。


 よく知る彼が、こんな行動を自分にするとは思っても見なかったことが、動揺を誘っているのだろう。


 __きっと、それだわ。


 リュディガーはとても誠実で、紳士な振る舞いが自然とできる為人なのは間違いない。その彼が、普段とは違う礼装姿で、淑女令嬢に対する礼節を以って、自分に接することがあろうなどと、想像さえしてこなかった。


 それ故に驚き、動揺したのだ。


 キルシェは彼に口付けられた手の甲を抑えるように、下腹部のあたりで握り込んだ。それは傍から見れば、よくある淑女の佇まい。キルシェも常にそうしている立ち方である。


 __でも、さっきのあの眼は……。


 改めて彼を見れば、彼の双眸には先程の苛烈さは見当たらなくて、キルシェは内心首をかしげる。


「__おいおい、私の一番の気に入りに気障(きざ)なことをしてくれるなよ」


 ビルネンベルクがくつり、と笑いながら言う。


「ご令嬢への礼節でしょう。それに、私も気に入りの学生だ、とドレッセン夫妻にお話されておられたではありませんか」


「君の場合は、いじり甲斐がある気に入り、ということだよ。ラウペン女史の有能さとはまた違う」


 なぁ、とキルシェの肩に手を置いて同意を求めるビルネンベルクに、苦笑を浮かべて返す。


「__それでは、失礼します。夫人、ありがとうございました」


「いえ、いいのよ。私こそ、ご一緒できて嬉しかったですわ」


 リュディガーは夫人の手を取って口づけて、玄関の扉をくぐる。


 それに続くように、最後の客を送り出すため、皆も外へと出た。


 夜の風が、火照った頬に心地良い。


 静かに肺いっぱい吸っていれば、リュディガーが車へと乗り込んだ。そして、動き出した車の窓から会釈をする彼。


 その馬車のカンテラが、梢の彼方に見えなくなるまで見送る__終に見えなくなって、キルシェはため息を零す。


 どうやら知らぬ間に、緊張をしていたらしい。


 __動揺しすぎですし……まだまだだわ。



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