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道連れ

 矢馳せ馬がすべて走り、射掛け終えた。


 終わると見るや、馬場の周囲にいた人の中には、去っていく姿も見受けられる__が、まだ終わりではなかった。


 舞台から太鼓と角笛が呼応し合うように打っては吹いて音が連なり、小さく風にかき消されるように消えていく。そして、神官らが粛々と祭壇に深く礼を取り、舞台を下りていく。


 これでやっと終いらしい。


 舞台の警護をしていたらしい神殿騎士らも、舞台を離れた神官らに続いていくさまを観て、馬場の周辺やすり鉢状の野外劇場の席に座っていた人々もいよいよ立ち去り始める。


 人の流れがある中で、それとは異なる動きをする軍服姿のアッシスが目に留まる。


 彼は、最後に役を果たした3頭と馬と、射手とを誘導していくようだった。そして、こちら__リュディガーに目配せするように視線を寄越す。


 リュディガーは小さく頷いて応えた。それを受け、アッシスは次いでキルシェに視線を流すと軍帽のつばを軽く触れて会釈をする。

キルシェもリュディガーに倣い、小さく頷いて応じるに留めた。


 リュディガーは何を見るわけでもない風を装いながらも、周囲を見張っていて動く気配がない。私服警備の任についているから、人がもう少し減るまでは居座るのだろう。


 矢馳せ馬は、落馬も暴走もなく、そして人々も荒れることはなく、恙無く終わった。


 的を外してしまうことはあったが、的は射掛ける位置より低くなるように据えられていて、矢があらぬ方へ飛ぶことはなく、負傷者は誰ひとりとしていなかった。


 去っていく人々は興奮冷めやらぬ様子であるが、それも大事に発展する気配はない。


「__どうだった?」


 人の流れを見つめたまま、リュディガーが尋ねる。


 何が、とは聞かずともわかった。


「……選ばれるかどうかは置いておいて、最初と最後の射手にはなりたくないですね」


 ふっ、とリュディガーが視線を向けることなく小さく笑った。


「__同感だ」


 最も注目を集めていたのは、明らかに最初と最後の矢馳せ馬だ。


 最初は、やはり観衆の注目が一番集まって、歓声も大きかった。最後は、それまで11頭の馬が走って見慣れた後の締め括り。観衆の注目は改めて集まるのはもちろんのこと、儀式として特に特別なのだろう、始まる直前に祭壇で祝詞が読み上げられたのだ。


 これまでとは違う一層の緊張感が場に満ち、観衆はしん、と静まり返ったほどだ。そして、三の的を射掛けた瞬間、割れんばかりの喝采が静寂を引き裂いた。


「ねぇ、リュディガー」


「何だ?」


「どうして、やめておけ、と言わなかったの?」


 寧ろ、君ならばできる、ぐらいのことを言っていた。断れない雰囲気づくりに加担していたのだ。


「よく言うだろう。旅は道連れ、と」


 道連れ__キルシェは、うっ、と言葉に詰まる。


 彼が矢馳せ馬の候補に立てられたとき、たしかに自分は、彼ならばできるだろうと勧めはしたが、それは彼がすでにできる能力があると評価をされていたから。


 __それも、実戦で。


 裏付けがあったからこそである。


 だが、自分は馬の鞍に立ったことさえないのだ。


「それは……ごめんなさい。でも軽い気持ちで言ってはいなかったのよ……馬上どころか龍の上でできていた、と聞いていたから……」


 罰が悪くなって、徐々に身を縮こまらせるキルシェ。


「死なば諸共、とも言えるか」


「……そんなに恨まないでください」


 くつり、と笑うリュディガー。


「__とは言ったが、まあそこまで気にしてはいない」


 え、と顔を上げて彼を見れば、腕を組んだまま、ちらり、と一瞥するように視線を向けてくる。


「君はよく、影にいようとするだろう。無論、それを全く否定するつもりはないが、君の能力が正当に評価されることは、自分のことのように嬉しいんだ。だからこそ、勧めてしまった」


 そこまで言うと、リュディガーは一度大きく息を吸って、まるでため息を零すかのように息を吐く。


「勧めたなりに、責任は負うつもりだ。私も一緒に取り掛かるわけだから」


 __それは、私だって同じだったのに……。


 矢馳せ馬のやり方で悩むこともあるだろう。そういうとき勧めた者として、できることは限られるだろうが、その中で彼の手助けとなることは決めていた。__責任を負う、ということだ。


 リュディガーは、塀を飛び退くようにして勢いをつけて地面へ下り、少しばかり衣服の埃を払いながら、皺を伸ばすように整える。


「それに……」


「それに?」


 促せば、リュディガーはキルシェに振り返る。


「できないかもしれない、と思えることができた瞬間というのは、思いの外気持ちのいいものだ」


 さらり、と拘りなく言ったその顔の、清々しいこと。まず間違いなく、心の底から思っている言葉のようだ。


 面食らうキルシェの脳裏には、つい先日まで彼が苦労していた必修の弓射の姿が蘇る。


「それは……そうね」


 そんなことは、久しく感じたことがない。忘れかけていたものだ。


「__とは申せ、私は呆気なかったが」


 皮肉じみて言う彼の言葉に、キルシェは思わず笑ってしまった。


 そうしていると、遠く北の方から鐘が響いた。それは本当に小さいものだったが、呼応するように帝都のあちらこちらの鐘が鳴り響いて、徐々にキルシェらがいる公園の最寄りの鐘楼の鐘まで鳴り出す。__(ひる)を告げる鐘だ。


「さて、時間だ。もういいだろう。見学も終わったことだし」


「お疲れ様でした」


 送ろう、と手を差し伸べるリュディガーに、キルシェは首をゆるく振る。


「待って。リュディガーのお父様のご飯を用意しないと、でしょう?」


「それは送り届けてからでもできる」


「でも遅くなるわ。屋台はもう店じまいなの? そうでないなら、なにか見繕ってお届けするようにしたほうがいいと思うの」


 差し伸べていた彼の無骨な手が、壁の上に降ろされる。


「だが、それこそ君の昼食が遅くなる。今日なんて、祭りで大学は最低限の人数で回しているはずだ。学食も最低限の提供だろうし……遅くなったら、食いっぱぐれるかもしれないぞ」


「__食い、っぱぐれる……?」


 聞き慣れない言い回しに、キルシェは、わからない、と小首をかしげてしまう。

時折、リュディガーの言葉は、キルシェの馴染みがない言葉が含まれる。育った環境の差なのは明白だった。


「ああ、すまない。__食べ損なう、ということだ」


 大学に入ってから、それなりに覚えてきた話し言葉だが、交友を率先して持たなかったこと、そして付き合っていた者といえば、ブリュール夫人やビルネンベルクという所謂上流階級の出自の者ばかりだったこともあって、中々触れていない言葉のほうが俄然多い。


 彼は気をつけてくれているようだが、とても紳士的でかつ言葉遣いも丁寧でいても、こうして出てしまう。しかし、彼はそうなると、いつも侘びてから、嫌な顔をせず丁寧に向き合って言い直してくれる。


「ああ、そういう。__それは、どうにでもなります」


 自分は、五体満足なのだ。だが彼の父は、不自由がある。日常生活を送るのもやや難儀しているだろう不自由さが。


「それに、屋台の食べ物があるなら、それをお届けしたほうがお父様だって少しは祭りの雰囲気が楽しめるのではないのかしら、と思うのだけれど」


「そうは言うが、矢馳せ馬は終わったとはいえ、人手がかなり多いぞ。出店のあるところなんて、先程のこことそう変わらないと思うが」


「覚悟はできています」


 言うからには、そこまで想像を働かせないほど浅はかではない。


 リュディガーはしばし考えるように、視線を塀に下ろした手に向ける。思案にふけっている間、彼は拳を結んでいた。逡巡の後、考えに整理がついたのか、その結んでいた手を開いて塀をひとつ軽く打った。


「わかった。__では、行こう」


 そして、穏やかな表情の彼が無骨な手を差し伸べてくる。


 キルシェは頷いて、手を取る__が、さてどうしたものか、と考えて動きを止めた。少し身体を捻って、着地する最適な下り方を探っていれば、リュディガーが笑った。


 彼がもう一方の手を差し出してくるので、それもとりあえず掴んでみる。すると、彼は正面に立って、足元の地面を示すように軽く足で叩いた。


「そのまま、手に体重を乗せるようにしながら一気に前へ」


 こくり、と頷いて、示された地面をしっかり見つめながら、呼吸を合わせて迷いなく一瞬で彼の手に体重を乗せると同時に、支えながら半歩下がる彼。その見つめていた地面へ、キルシェはふわり、と降り立つ事ができた。


 しかし思いの外、勢いを殺しきれず、つんのめるように一歩出てしまい、距離がさほどないリュディガーの胸のあたりに手を突いてしまった。


「ご、ごめんなさい」


 反射的に謝って離れるも、塀に阻まれ一瞬息を詰めるキルシェ。


 彼の身体は自分より遥かに高く、そして厚く大きいので、意図せず距離が詰まると、よく行動をしていても、圧迫感に圧倒される。


 そんなリュディガーは、いや、と笑い、行く先を手で示すので、キルシェはひっそり、と気を取り直してそれに従う。


 菩提樹の薫りを孕んだ風に包まれながら、来たときと同じ方へと進んでいくと、やがて公園の切れ目が見えてきた。

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