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一番偉い人

 その人馬族はやや褐色の肌で、軍帽から覗く髪は黒い男だった。


 髪を鬣という彼らは、長く伸ばす習慣があり、彼もそれに倣い、後ろでゆるく結わえているが、武官らしく前髪が顔にはかからないようにしていて、正面から腰より上を見る限りでは、ただの人間と変わらない。


 馬体に掛けられている布は人馬族特有の式典用の装具で、銀の刺繍が施された黒の天鵝絨。縁に縫い付けられた鮮やかな青の房が揺れ、布がはためくと、天鵝絨の裏地の鮮やかな青が差し色のように見え隠れする。


 軽く駆け足をしているつもりなのだろうが、近づくに連れて歩調を緩めるものの、装具の軽やかな音色とは別に、塀を伝わって響く地響きのような足音と、馬の脚の武具の擦れる音、それだけで相手を威圧する。


 その存在感に、キルシェは思わず背を反らせて気持ちの上で距離を取ろうとしてしまう。


 馬体の四肢はがっちりとして、通常の馬よりも太いものの重装歩兵が跨るほどの太さはない。


 塀に対して平行になるよう馬体をひねって止まる人馬族は、見上げる位置から柔らかい表情。


 そして、人馬族はリュディガーから視線をキルシェに移して、軍帽をとりながら礼をとる。


「__こんにちは」


「こんにちは」


 そこで気づいたが、布に覆われた馬体には鞍はなく、代わりに鞍を固定するための太いベルトには、馬体の側面の左右それぞれに大きな剣が留められている。


 __武官……。


 キルシェの緊張を察したのか、彼はとても柔らかく笑んで頷くようにさらに頭を下げた。


「彼は、アッシス・マグヌ・ア。国軍の少尉だ」


 少尉は龍帝従騎士団で言うところの小隊長にあたる。地位こそ中隊長のリュディガーよりは下になるが、国軍の規模を考えれば従える規模は倍か、もしくはそれ以上になるはず。


「残念。今はもう中尉だ」


 なに、とリュディガーが目を見開く様を見て、アッシスはくつり、と笑った。


「__いつ」


「この前の魔穴対処で」


「あぁ……あれ。__この規模で中尉の君がいるなら……じゃあ、ここを仕切っているのは、君か」


「そう。僕がここで一番偉い人。だから、開始直前でこんな立ち話してても文句をいう輩はいないんだ」


 ははは、とわざとらしく笑うアッシスは胸を張る。


「他にも人馬族が3人いるからね。今日は楽ができる」


 らしいな、とリュディガーがもらす傍らで、キルシェは会場を見渡した。確かに、頭が__上体が人々の上に飛び抜けている者がみっつあった。それは、馬場のそばだ。しかしながら、彼らはアッシスのように軍服は着ていない。どちらかというと、儀式に際して礼装のような成りである。


 国軍とかからではなく、同族に声をかけて集まった人員といったところだろう。


「__中尉というと……中隊長、ですか?」


「いえ、龍騎士の中隊長には匹敵しませんね。軍は規模が大きいので、階級が細かくなっているに過ぎませんから。中隊長に匹敵するのは、少佐です。__えぇっと……」


「ああ、すまない。__キルシェ・ラウペンだ」


 リュディガーが伝えると、改めて丁寧にキルシェへ礼をとるアッシス。キルシェもまた座ったままであるが、可能な限り丁寧な礼を返した。


「__リュディガー、珍しいね」


「珍しい?」


「女の人と祭りに来るなんて甲斐性があったんだ」


「お前なぁ__」


「屋台とかは、巡ってきましたか?」


 リュディガーの言葉を遮る形で、アッシスがキルシェに問うた。


「いえ。矢馳せ馬の見学だけをしに来たので」


 おや、と目を見開いたアッシスは、リュディガーに説明を求めるような目を向る。リュディガーは、言葉を遮られた抗議のつもりなのだろうか、半眼を彼に返した。


「……彼女は、大学の学友だ。__ビルネンベルク先生は知ってるだろう?」


「うん。あのネツァク州のビルネンベルク御一門の方だろう? 君の大学のビルネンベルクということなら、ドゥーヌミオン様か」


「ああ。その先生に頼まれて、矢馳せ馬の見学に連れてきた」


 人馬族は、重心を片足に乗せ、右の蹄を立てて地面に乗せる。


「見学……見物と違うということかい?」


「冬至に備えて、な」


「……む? 待って待って。リュディガーだけじゃなくて、こちらのご令嬢も冬至の矢馳せ馬の候補ということ……?」


「はい、そのようになってしまいました」


「それはすごいことじゃないですか!」


 アッシスは破顔した。


「弓射の腕なら、間違いなく今大学で右に出る者はいないからな」


「へぇ、すごいなぁ。__ただのご令嬢と侮ってはいけないという事ですね」


 アッシスの心の底からの感嘆に、キルシェは苦笑を返すしかできない。これほど賛辞されることは__それも会ったばかりの人物に__ないからだ。


「えぇっと……リュディガーには、別件があって。私はついでですから」


「別件?」


 きょとん、とするアッシスに、リュディガーは腰だめに手を添えるようにして、さり気なく鞘を握るような仕草をし、肩をすくめた。それだけで、合点がいったらしいアッシス。


 お互い武官だからか、所属は違えど、通じる暗黙のやり取りがあるのだろう。


「__ああ、そういう。てっきり小綬章を授与されて、しかも女の人を連れているから、さぞ浮かれているんだろうなぁ、と思って冷やかしに来たのに」


「……当てが外れたようで。__ん? 待て、小綬章の話がなんで君のところにまで言っているんだ?」


「エルンストから聞いたよ」


 あいつ、と舌打ちも混ざっていそうな声で、渋い顔になるリュディガーに、アッシスは、くつり、と笑う。


「照れるなよ、リュディガー。__おめでとう」


「照れてない。……ありがとう」


 不本意そうな顔をするリュディガーに、ふふ、と笑い、アッシスは背後を見た。


「__ローベルト小父さん、今年は見に来てないんだね」


「ああ。今年はいいんだそうだ」


 キルシェもそれは、リュディガーに尋ねたことだった。人混みに繰り出すと回りに迷惑を掛けてしまうから、と遠慮したらしい。


 アッシスというこの人馬族はリュディガーとかなり親しい様子だから、彼の父ローベルトのことも詳しく承知なのだろう。


 __帰りに何かしら買って帰るのだろうけれど。


 夏至祭の勝手はわからないが、リュディガーの性格を考えるに、手土産を贖う可能性はある。それは、キルシェも付き合うつもりだ。リュディガーが言い出さないようであれば、キルシェが提案する心積もりでいる。


 __どれほどの人混みかはわからないけれど……。


 ここでこれだ。屋台があるあたりはどうなのだろう__と考えたが、目眩を覚えそうになって途中で放棄した。


「そっかぁ。僕が非番なら、背中に乗せて上げられたんだけどね。お御足がなぁ……」


「その気持ちだけで、父さんは喜ぶよ。__あ、君が矢馳せ馬する射手になるって話なら、来ていただろう。今からでも遅くない、やればいい」


「この成りで?」


「その成りだからこそ、だ。式典様の軍服の人馬族が駆け抜けるのは、なかなか勇壮だろう」


「それは、認める」


 自慢気に腕を組み馬の蹄で地面を突く彼に、キルシェは小さく笑う。


 軍服姿の人馬族__それも式典祭礼用の装具を纏ったところはあまり見かけないし、そもそも人馬族自体、獣人族のいち種族だから人間族ほど多くは見かけない。


 彼らは、もともと移動する狩猟民族だった。千里__とは言い過ぎだが、それでも百里の移動ができなくもないらしい。


 彼らは馬の四肢を持つが、肉食をしないわけではない。それを揶揄されることもあるらしいが__。

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