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私服警備

 キルシェが困惑していると、どうした、と言いたげに軽く肩を竦めるリュディガー。そんな彼の顔は、キルシェの困惑振りをどこかからかうように笑っている。


 彼のことだ。困惑することも織り込み済みの行動なのだろう。


 ふぅ、と小さくため息をこぼしてからキルシェは意を決し、塀を右側にして彼に向き直り、両手を塀の上に置くと、足を彼の手に掛けた。


「遠慮せず、こっちの足へ体重をのせきるんだ。上げるとき危ない」


「え、ええ……」


 彼の言うことはもっともだが、やはり遠慮せずとは中々に難しい。


「信じろ」


 ほらほら、と促され、組まれた大きな手へ視線を移す。大きな組まれた手に、自分の足がほぼ全て包まれているその様。


 それを眺めながら、塀に置いていた手にも体重を載せつつ、ぐっ、と重心を前に移動させるように乗った。


「__上げるぞ」


 こくり、と頷く気配を察し、リュディガーは普段立ち上がるようななめらかな動きで、中腰当たりまで立ち上がってしまった。


 あまりにも、ふわり、とした持ち上げられ方で驚き怯んだキルシェは、思わず塀にすがりそうになるが、腰のほうが塀よりも高く持ち上げられてしまって、ただ手を突いている状態と変わらなくなる。


 そして、持ち上げたリュディガーが塀へと寄り、腰を下ろすように言うので、おずおず、と腰を塀の上におろした。塀は奥行きがあるから、腰掛けてしまえばもう安心だ。


 彼の手が離れ、足が開放されると同時に、身体の向きを馬場へと向けるようにすれば、先程まで見えなかった菱形の的が見て取れた。


「まぁ……」


 思わず感嘆の声が漏れ出てしまい、それを聞いたリュディガーが手の平を打つように汚れを払い落としながら笑う。


「よく見えるだろう?」


「そうね。__ここ、弓射の鍛錬場の的までの距離より、近いですね」


「確かに。なら、君ならここから十分に射掛けられるな。矢馳せ馬への注目を一身に浴びる好機だ。御所望なら、弓矢をお持ちするが?」


 いたしません、と笑いながら返せば、手の汚れを払い終わったリュディガーの顔が、ほぼ同じ高さで面食らってしまった。


 そして改めて周囲を見渡す。


 __これが、リュディガーが見えている世界……。


 人混みでも頭一つ分は出ていた彼の世界__視野。


 どれもこれもが、眼下に見える。


 遠くまで見通しが利くとは、これほど爽快感があるのか。ある種の優越感のような、それ。


 振り仰いでみれば、枝葉に手が届きそうなぐらいに近い。ここは手入れがされている公園だから、早々ないだろうが、他の森__例えば、大学の敷地の庭であったなら、このままの高さでは、ぶつかってしまうものもあるだろう。


 おちおち、よそ見もできないのではないか。


「……すごいのね、リュディガーってこんなに色々見えていたの」


「確かに見通せていいにはいいが、背が高くて損することも多い」


「そうなの?」


 ああ、と頷き、彼は塀に後ろ向きで左右の手を置くと、弾みをつけて飛び上がるようにして腰掛ける。そうすると、今度は彼の方が頭が高くなった。それでも、普段よりは座っている分近い。


「待ち合わせ場所にされる。__目ぼしい目印がないと必ず。リュディガーを目印に、という具合でな」


「そうなの」


「あとは、そうだな……身体もがっしりしているから、盾にされることもある」


「盾……」


 少しばかりキルシェが構えてその言葉を繰り返すと、リュディガーは苦笑した。


「なにも、戦線だけの話じゃない。普段の、仲間内でのいざこざのときに、私の影越しに言葉の応酬を繰り広げる輩がいるんだ」


「巻き込まれる、ということ?」


「そういうことだ。同期が大抵、盾に使う」


 やれやれ、とリュディガーは首を振った。それが、さもうんざり、と言いたげだから、キルシェは思わず笑ってしまった。


「__よく、こういうことはあるのですか?」


「こういう?」


「えぇっと…」


 そこまで言って、キルシェは近くに人がいないかを確認してから、それでも彼の今日の勤めのことを考え、顔を寄せて声を潜める。


「__私服警備」


「いや、滅多にない。暇をもらっているのだからな」


 それはそうか、とキルシェは納得しかけたが、ふと、彼が丸腰であることにこのとき気づいた。


 彼ら龍帝従騎士団の得物に宿るという不可知の力__クライオン。それは、大学に復帰した折、再び封じられた。だが、前回の出陣以降、得物は彼の手元にあることを許されている。だから、てっきりそれを持ってきているものだとばかり思っていた。


「リュディガー、今日は丸腰なの?」


 ああ、と言って、周囲の地面を見渡し、そこでキルシェの腕ほどの太さの棒を見出して指し示す。


「なにかあれば、ああいう物で制圧できるからな」


 __制圧……。


 お世辞にも穏やかではない言葉に、キルシェは生唾を飲む。


「私は私服警備だ。得物を提げていたら、一目瞭然だろう?」


「それは、たしかに」


「なくてもどうにかなるものだ。ああした棒きれ以外にも、ここにはいざというとき、使えるものが多い」


 これでも、と言って示すのは、彼の革のベルトだった。


 そして、おもむろに、ベルトの留め具を外し始めるので、反射的に顔を背けるのだが、くつり、と笑われた。


「__丸腰ではない」


 え、と彼の言葉に怪訝にして、恐る恐る視線を戻せば、膝の上で握り込まれた手の指の間から、小指ほどの長さの笹の葉のような小刀が顔をのぞかせているではないか。


 どこから取り出したのか__と目を巡らせるまでもなく、彼が手を返して開くと、その小刀の持ち手が革のベルトの留め具だった。まさか、と革のベルトをみれば、留め具があった場所にそれがない。


「これは、最終手段だが」


 自嘲して笑う彼は、目をぱちくりさせるキルシェをよそに、淀みない手付きで小刀の留め具を納める。その早さは二秒にも満たない。


「……私の得物を、陛下の愛ぐ子である国民に向けることはできない。それも、陛下から赦された得物を」


 留め具にベルトを通して、元の状態に戻しながら視線を遠く、人だかりに投げながら言った言葉に、キルシェははっ、とさせられた。


 そう。彼はとても崇高な理念を持った、まさしく龍騎士なのだ。


「それは、そうね」


 学生であってもその志を忘れることがない彼に、キルシェは胸が苦しいほどに敬愛の念を抱かずにはいられない。


「__馬が暴走した場合は、あっちが担当だ」


 顎をしゃくって彼が示す先に、人だかりの平均した高さの頭よりも、さらに胸以上が飛び出ている者がいて、キルシェは目を疑った。


 その人物は、軍服のそれを身にまとって、威風堂々とした雰囲気に満ちている。そして、それを隠すことなく周囲に視線を巡らしている彼に、リュディガーが軽く手を上げて振れば、こちらに気づいて顔を向けてくる。


 しばしこちらを見つめた彼は、破顔して手を上げ、こちらに身体を向けた__途端に割れる人だかり。


 そして、その間を駆け寄ってくる。


 その足は、四つ足__それは紛うことなき、馬の足。


 馬に乗っているのかとおもいきや、馬の首があるはずの場所から伸びているのは、人の腰から上。


「__人馬族……」


 ビルネンベルクと同様に、獣の性を見せる獣人族のいち種族である。

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