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矢馳せ馬

「__冗談はさておき、私としては修了でよいと思うが、君は不服かね?」


「いえ、そういうわけではないのですが……」


「達成感がないのでしょう、彼は」


 なるほど、とデリングはビルネンベルクの言葉に顎を擦る。


 思いも寄らない形で、こうもあっさり終わってしまったという事は、これまで一番時間を割いてきた彼には不本意で釈然としないことだろう。キルシェでさえ、これでいいのか、と微かにでも思っている節があるのだから。勿論、修了できたことは嬉しいことなのだが__。


 __そうは言っても、私が卒業までに終わらせられてよかったわ。


 これで心残りなく、卒業ができる。


 教官が言うように、あとは堅実にひとつひとつ学を修めていけばよい。彼のことだから、そちらについては何ら心配していない。


 少しでも遅れを取り戻したほうがいいだろう、と思いたち、彼が療養施設に留まることを余儀なくされていた一日二日だけだが、講書の真似事をしてみて、彼はとても飲み込みが早くものにしてしまうことがよくわかった。

 

 __彼の様な人が、政の要にあってくれればよりいいのだろうけれど。


 文官としてもやっていける能力はある、とキルシェは断言できる。


 為人も備わっている彼。自身の至らないところに気づき、それを補い、自分で補えなければ外に求め、生かす。


 私は、人望がない__何かの折に彼がそう言っていたが、それは当人がそう思い込んでいるだけで、今日に至るまで大学内や龍帝従騎士団で見かけた限りでは、人望がないということはない。


 __私以上に、人望がない人間もいないわよね……。


 キルシェはひっそり、と自嘲した。


「__まあ、できれば、今後も鍛錬は続けるべきではあるがね」


 無論です、とリュディガーは頷いた。


「__全て彼女がお膳立てしてくれたからこそ、と言えますから」


 リュディガーは言いながら、並んで会話を聞くに徹していたキルシェへと顔を向ける。


 その顔の穏やかなこと。キルシェが面食らうほどであった。


 __何……?


 彼が柔らかい表情をすることは、それなりにあるが、これほど柔らかい顔を見せたことは果たしてあっただろうか。


「ラウペン君」


「は、はい」


 少しばかり動揺していたところに名を呼ばれ、キルシェは身体を弾ませた。


「君も、ご苦労だったね。よく見放さないでいてくれた。私は、彼に与える助言がもうなかったし、学生ひとりにかかりきりにはなれなかったから、君の存在は大きい」


 弓射と馬術は必修。修了した者は手を掛けなくていいとはいえ、その規模たるやビルネンブルクを多いに凌ぐ。


 これらの必修は、教官を分けることも話されているが、それはなかなかいかない理由があった。


「私の見立ては悪くないだろう」


 まったくだ、とデリングとビルネンベルクは互いに笑う。


「__そこで、だ。ナハトリンデン君」


「はっ」


「冬至の矢馳(やば)(うま)、君に頼もうと思うのだが」


 リュディガーは、またも目を剥き固まる。


「ヘアマンが、今度の冬至の矢馳せ馬の人材ならもう居るはずだ、と言ってきてね。誰かと問えば、ナハトリンデンだ、と」


 __ヘアマン……?


 キルシェは小首をかしげるが、並ぶリュディガーは表情を強張らせた。


「ヘアマン……とは、まさか__」


「お察しの通り、ヘアマン・フォン・イャーヴィス元帥閣下だ」


 ビルネンベルクがさらり、と言い放つ言葉にさすがのキルシェも息を詰め、リュディガーと顔を見合わせる。


 イャーヴィス元帥__先日、リュディガーの覚醒度合いが浅い頃、様子をみに来たという御仁。白髪交じりの金の御髪、そして整えられた髭の上品な紳士。穏やかな雰囲気を纏っていたが同時に貫禄も備わっていて、一度しか接見していないキルシェでも、とても強く印象に残っている。


「__やってくれるかね?」


 矢馳せ馬は、夏至祭の催し。たしかに一般的にはそうなのだが、実のところ冬至にも行われている。


 冬至の矢馳せ馬は、一般の目につかないもの。それもそのはず、儀式めいた側面がより押し出される。夏至の矢馳せ馬の者とは別の者が選出されるのが慣わしで、これは技術継承のため、できる人材を多く確保しておきたいという狙いがあった。


 龍帝一門、神官の長の教皇、文官の長の大賢者、武官の長の元帥、そして各九州侯等という面々が揃い執り行われる宮中の祭りで、魂振儀(たまふりのぎ)と呼ぶ。


 日輪は帝の象徴__帝国においては龍帝の象徴とされている。


 その日輪の力が最も弱まり陰る冬至に、再び息吹を取り戻すように、という祈りの儀式の一環で矢馳せ馬は奉納される。


「お待ちを。私はようやっと、このような温情の大盤振る舞いで修了と見なされたような腕です。それがどうして矢馳せ馬に選ばれるのか……」


 キルシェはリュディガーの言葉に眉をひそめた。


 __本当に、自覚がないのだわ……。


 たまたま遭遇し、会話を交わした件のイャーヴィス元帥は、彼の弓__それも限定的だが__は評価していた。


「謙遜を」


「いえ、謙遜などではなく__」


「……あの、リュディガー」


 恐る恐る、キルシェが口を開けば、一同の視線を一気に受ける。それに一瞬怯みながらも、リュディガーに顔を向けて言葉を続けた。


「__リュディガー、貴方なら、矢馳せ馬できるはずよ」


「いや、だから、やっと弓射を通過できたような実力だぞ、私は。君まで何を言い出すんだ。一番私の実力を知っているはずだろう」


「イャーヴィス元帥閣下が、そう評価していらしたの、私この耳で聞いたの。ほら、元帥閣下からご助言を頂いたって言ったでしょう? その時に」


 何、とリュディガーが眉をひそめる。


「先日の魔穴でのこと。龍に跨って、矢馳せ馬のような状態で、連続五射のうち四矢は当てていた、と。それも、これまでもそうした話があった、と……ほぼ一瞬なめるようにして見て射掛ければ、かなりの高確率で当たっていた__そう仰っていたわ」


「馬鹿な。そんなことは」


「実感がないかい?」


 あるわけございません、とはっきりと答えたリュディガーに、ビルネンベルクは肩をすくめて笑む。


「__そう言うと思って、ちょっと証言を取ってきたんだ。仲間内では、リュディガー、君が弓が苦手という認識はないらしい」


 信じられない、と言わんばかりの顔で、リュディガーはキルシェに顔を向けるものの、キルシェは苦笑を浮かべて頷くしかできない。


「キルシェの言う通り、先日の魔穴のときもそうだったらしい」


「確かに矢は使いましたが、あれこそもう牽制になれば御の字、という程度の認識で__」


 リュディガーの言葉を、デリングは手を翳して制する。


「弓射があまりにも上達しないようなら、矢馳せ馬をさせてみて、その結果いかんで修了としようか、とも考えていたほどなのだよ。ヘアマンが話を盛って言うはずがないのだから、試してみるか、と」


 デリングが弓射と馬術の教官をふたつともこなしているのは、その中で矢馳せ馬の見込みのある学生を見出すためである。


 故に、別の教官に分けてしまっては具合が悪く、教官2人の意見を擦り合わせての見込みを見出すほうが効率が悪くなるから、分けるに分けられないのだ。


「というわけで、やりたまえ。ナハトリンデン君。弓射で合格できてしまえば、もはや不安な部分は私にはない。しかも学生で一番の注目株なんだから、これ以上の人材はいないときた。__やらせるしかあるまい?」


「デリング先生……」


 珍しく困り果てた声を上げるリュディガーに、デリングは笑みを浮かべて腕を組む。


「いいじゃないか。一頭龍小綬章を下賜されたのなら、矢馳せ馬を奉納する名誉までも掠め取れば。ついでだよ、ついで」


 くつくつ、とビルネンベルクに笑われ、リュディガーは呻いた。

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