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奇跡の御業のなさしめる Ⅱ

 均整の取れた身体__背が負うそれ。


 絶対的な存在への忠誠の証。同時に、彼ら龍帝従騎士団の矜持の象徴。


 肩甲骨の下部末端の間、背骨を中心として左右対称に配された、刺青らしくやや青みがかった墨の紋。威風堂々たるそれは距離があっても目を引くほどの大きさで、まずもって見落とされることなどないもの。


 それを敵に向けることは退くことを意味し、あってはならないとされ、それ故か彼の背には傷は少なく、正面の方が古傷も新しい傷も多いように思う。


「__もう一回。あと2往復してみせて」


 その十歩の距離。たかだが十歩だ。


 しかしながら、その十歩を往復する様を見て、キルシェは苦しさを覚えるほど胸が締め付けられながら、心底ほっとした__のだが、ふと、リュディガーが鳩尾を押さえて顔をしかめ、足を止めるので、ぎくり、と身構えてしまう。


「……少し、内臓に響きます」


「まあしょうがないさ。身体の頑丈さは鍛えようがあるけど、内臓は鍛えられないからね。__頭痛も目眩もしないね?」


「ありません」


「よしよし、歩行も大丈夫そうだ。どれもこれも、順調順調。朝に比べたら驚異的だ」


「恐れ入__」


「彼は、見た目通り、体力と回復力が取り柄ですので」


 リュディガーの言葉を封じるように言い放ったラエティティエルに、フーデマンは笑う。


「なるほど。__あ。足は大きな怪我は何もなかったね、確か」


 はい、と頷くリュディガーに、今一度大きく満足気にフーデマンが頷いた。


「なら、これで終わりだ」


 フーデマンはラエティティエルへ目配せし、それに応じて頷く彼女はキルシェが居る方へと向かってくる。そのとき、彼女と視線が合い、穏やかに笑顔を向けられてしまった。


「すみません、気になってしまって……」


「いえいえ、いいんです。__どうぞ」


 恐縮して身を縮こまらせれば、優しく彼女が部屋へと誘ってくれた。


 歩行中は半裸であったリュディガーは、キルシェが部屋へ踏み入るのを見て、先程の動揺した様子から配慮してくれたらしく、その時すでに衣服を整え終え、寝台の縁に腰を下ろしていた。


「部屋だけれど、もうこの大部屋の必要はないんだが、個室に移るかい?」


「ラエティティエルが楽な方で」


 キルシェらが歩み寄る姿をちらり、と見ながら彼らは会話を続けていた。


「どっちがいいかい?」


「でしたら、このままこの部屋の方が助かります」


 キルシェの後へ続く形のラエティティエルの答えを聞き、フーデマンが頷いた。


「なら、このままということで」


 そうしてすっく、と立ち上がると、キルシェに座っていた椅子をすすめる。


「では、私はこれで。他の者を診るからね」


 ありがとうございました、とリュディガーは寝台から立ち上がって礼を取る。それは淀みない武官の鑑のような動きで、寝台の上で身体を動かすのを難儀していたのが嘘のようだった。


 __こんな短時間でこれほど快復できるの……。


 これが奇跡の御業というものなのだろうか。


 残穢を吐いてからは早いらしいが、それにしても驚くばかりだ。


「それじゃあ、何事もなければ、また明日」


「はい」


 軽く手を挙げて、次いでキルシェには会釈をし、部屋の外へと足を向ける。__が、あ、と思い出したような声を上げてくるり、と振り返るフーデマン。


「__もしできそうなら、外を歩くといい。むしろ積極的に動いたほうがいいねぇ」


「今日からもうよろしいのですか?」


「ああ。なるべく普段通りに過ごすほうが、活性するよ。元通りになろうとね」


「左様でございますね」


 フーデマンの言葉に、ラエティティエルが笑って頷いた。それに彼は頷くと、じゃあ、と改めて別れの挨拶として手を挙げ、今度こそ部屋を後にした。


 キルシェは去っていくフーデマンへ、見えていないとはわかっていても頭を下げて礼をとる。そして顔を上げれば、安堵のため息が思わずこぼれてしまった。同時に視界がじんわり、と滲んで口を一文字に引き結び、それ以上滲まないよう堪える。


 なるべく平静を、平常心を__。


「__なんて顔してるんだ」


 言ったのはリュディガーで、やはり気づかれたか、と内心がっかりとした。


 反射的に手の甲を鼻に押し当てるようにして口元を押さえ、ちらり、と見れば、滲んだ視界に佇む彼が片眉を顰めながらも笑って見てくる視線が、大げさだ、と物語っている。


「あんなしっかり歩けるなんて……それに目だって心配だったので……」


「__安堵なさったのでしょう」


 __そう、それ……。


 ラエティティエルが言う言葉は、まさしく自分が言いたいことだった。


 リュディガーが怪訝に彼女と見比べるので、こく、と頷き肯定する。


 ラエティティエルはサイドテーブルに置かれていた、冷めきってしまっている茶器を、つい今しがた彼女が運んできた茶器の盆にまとめながら言葉を続ける。


「よくお考えください。見舞いに来ても寝たきりで、目覚めたと思ったら変なものは吐き出すし、朦朧としている姿しかご覧になっていないのですよ」


「それは……まあ……」


 やや棘のある言い方に、リュディガーは渋い顔になる。


「そのようにただただ無様を晒して、どの口が、なんて顔しているんだ、です? よいご身分におなり遊ばされた様で」


「い、いえ、あの__」


「……ごもっともだ」


 なにもそこまで、と焦るキルシェだが、ラエティティエルの言葉を制す間もなく、リュディガーが後ろ頭を掻いてため息交じりに呟いた。


「では、猛省して、快復に専念なさいますよう」


「ああ、それは勿論」


「まだ動ける気力はありますね?」


「ん? ああ」


 よろしい、と頷いてラエティティエルは窓の外を見やる。


「__あらためて新しいお茶をご用意しますが、それは外の東屋にお運びしますので、さっそくそちらまで歩いて行ってください。清涼な風と日差しは身体にはいいものですから。私はその間に、寝台を整えるなどいたします」


 返事を待たず、彼女は壁の身の丈以上の大きさの箪笥に向かうと、観音開きのそれを開ける。そこには一着羽織が掛けられていて、それを手に取ると両手に抱えるようにして運んでくる。


「付き添いに、今から誰か手が空いている者を見つけてきますので、お待ちを」


 羽織を手渡し、次いでまとめた茶器を乗せた盆を手に取るところで、キルシェが思わず口を開いた。


「でしたら、私が」


 その言葉を発するころには、平常心を取り戻せていて表情も無理せず明るく保つことができていた。


「それは、ありがたいお申し出ですが、お時間は大丈夫なのですか? 彼が目覚める前から居られましたのに」


「大学は大丈夫なのか?」


「今日の午後は何もないので。だからこうして来てます」


 __あるのは、ローベルトさんのところへ行くだけだし。それだってまだ時間に余裕があるもの。


「でしたら、お願い致します」


 ラエティティエルに、キルシェは頷いた。

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