かつての師と教え子
シュタウフェンベルクは至極真面目な顔で、徐に腰に佩いている得物の柄頭に手を添えた。
柄の一部と帯執を除き、鞘全体は飾り気なく黒い漆に塗られて艶やか。それが内包する得物の刀身は、腰元から茎にかけ強い反りがあり、そこから先はほぼ反りがつけられていない直刀と彎刀の間の造りである。
蓬莱の刀が元であるが、造りとして決定的に違うのが柄巻の有無。帝国の龍騎士の得物には柄巻はなく、鞘と同じ木の素材を芯に同色の漆を塗り、そこへ薄く伸ばした金属の板を貼り付け、魔除けの文様を彫金したもの。
龍帝従騎士団では、更に太刀を提げるための帯紐というものがある。基本的に龍騎士が駆る龍の象徴である白と玄の2色の紐を組み合わせた帯紐とされているものの、唯一個々の自由がある程度許容されていた。
シュタウフェンベルクの帯紐は、一見して錫色に見えるが、よくよく見れば白と黒の糸の撚り合わせる割合で出している色味で、さり気ないこだわりを垣間見ることができる。
「地上も厄介な魔物が溢れている中、更に中へと龍騎士の隊を割いて飛び込ませた。元帥閣下が後続の編隊を引き連れてな。ここに編成したリュディガーの隊も加えた」
そこまで言うと、彼は柄頭に添えていた手で静かに握り込む。
「決断は正しかった。そこから勢いが著しく衰えたのだから」
「それほど活躍したのか、彼は」
「全員が、だな。よく時分を見極めた突入だった。リュディガーについては、突入のその後だ。部下の話を聞くに、まず間違いなく、賭けにでたのですよ。これは、そういう男です。__昔から」
__賭け……エルンストさんも確か言っていた。
キルシェはリュディガーの同期の言葉を思い出した。
ほう、とビルネンベルクは腕を組む。
「具体的には?」
「中に入って、自分が独りで賄い切れる規模になったと判断したら、必ず部下を下がらせ、外の掃討作戦へ向かわせる。魔穴は確かに長居しないことに越したことはない。何がどう転んで、何が潜むかわからないのですから」
「そんな中で、独り残るのかい?」
__独り取り残された場合の危険があるのではないの……。
魔穴は過酷な環境だとは容易に想像できるからこそ、ビルネンベルクの危惧する言葉にキルシェは奥歯を噛みしめる。
見込みや勝算があったのかもしれないが、危険極まりないには違いない。
キルシェが見つめる身体を横たえる男を、シュタウフェンベルクが顎をしゃくるようにして示す。
「その結果がこれだ。__正気の沙汰ではないでしょう」
「まったくだ。しかし、元帥も魔穴に入ったのだろう?」
「それが、閣下とは別の範囲を担当したらしくてな……。魔物はリュディガー側に偏っていたらしい。閣下が魔穴から戻ってきて暫くしてリュディガー以外が帰還して、それで状況と彼の判断を知り、戻ろうとなさったが、団長が信じて任せろ、という言葉で止めて引き続き地上の魔物対処を__という流れだ」
「君はその時は、地上の掃討作戦かい?」
「ああ。団長と地上だ。リュディガーが賭けに出て独り残る__その判断を下したと同時に、厄介な魔物がいるとわかったらしいが、そうなっても、どうにかできると下がらせた。これまで、部下にとっていい見本とは言えない、とつくづく申し伝えてきたにもかかわらず、だ」
シュタウフェンベルクは、腰に手を当てて片足に重心を置くと、窓の外へ視線を投げる。
外は、思わず目を細めてしまうほど、部屋以上に明るい。目には眩しい光を弾く緑と、色とりどりの花々がとても賑やかだ。
「……大学へ行くから暇をほしいと彼が言い出して、少しは変わるだろうかと期待していたのだが、今もそれは改善されないようだ」
「あるいは、改善させる気がないのかもしれない」
ビルネンベルクの言葉に、大きくため息を吐き出すシュタウフェンベルク。
「その可能性はあるなぁ。……まったく」
「被害は最小限だったのだろう?」
シュタウフェンベルクは呻くようにしてキルシェを見、次いで天を仰ぎながら、腕を組んだ。
「最小限の損害と言われているが、村ひとつが瘴気に沈み、近隣の村や街が今なお魔物の驚異に晒されてしまっている」
キルシェは思わず息を飲む。被害の規模をこのとき初めて聞いたのだ。
__イェソド州軍の初動の遅さが悔やまれる。
我が故郷の州軍ながら、何をしていたのだろう。キルシェは悔しさから、下唇を噛み締めた。
「元帥閣下は猛省してもしきれない。やりようがあったのでは、とな。そして、その顛末を、身を削るようにして戻ってきた部下に告げるのも酷なことだ」
__リュディガーはまだ知らない……。
目覚めている時間もさほど長くはなかったと聞く。
「目覚めてその結果を聞いたら、私でも無力感に襲われると思う」
__州軍がもっと的確に動いていさえすれば……。
他人事ではない。
__他人事にしてはならない。
わかっている。帝都にいて、たかだか学生の分際に何ができるのか、と。それでも内心、自身を詰っていれば、それを知ってか知らずか、すぐそばで、ふっ、と細く笑う声がして顔を上げる。
「リュディガーなら、大丈夫だ」
「何故言い切れる?」
ビルネンベルクが、くつり、と笑って見せる。
「なにせ、私が担当教官なのだからね」
「……それは、不安だな」
誇って胸を張るビルネンベルクは、おそらく神妙な空気を変えようとしているのだろう。対して、シュタウフェンベルクは、呆れたようなため息を零した。
「お、それは私への宣戦布告ということかい?」
「そういう訳じゃないが……残念ながら、ここにも教わった者の結果があるだろう」
含みのある言い方で、肩をすくめる。
「あぁ……君の場合は、ちょっとした__過ちだ」
ビルネンベルクの言葉に、かつての教え子シュタウフェンベルクが渋い顔をする。
__あ、過ち……? 過ちっていったい……。
キルシェは小首を傾げる。
「……否定できないから、辛い」
「同情するよ」
ぽん、とシュタウフェンベルクが落とした肩に、ビルネンベルクは慰めるように手を置いた。
__すごく、仲がいい……のね。
かなりの長い付き合いなのだろう彼ら。
師と教え子とは思えない馴れ合ったやり取りに、キルシェは入り込む余地はなく、乾いた笑みを浮かべ見守るしか無かった。




