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国と州の武官

 思いも寄らない人物との邂逅に、キルシェは呆然と立ち尽くしていた。


 まさか、帝国において、龍室を除いた地位で一位という人物に遭遇するとは、ゆめゆめ思いもしなかった。しかも、自分は椅子に座ったまま、気安く会話を交わすとは。


 __とんでもないことだわ……。


 気分は害していないようだったが、それにしたって非礼に過ぎるのではないか。


 緊張感が未だに尾を引き、指先が冷えたような心地がして、キルシェは手を握り込む。


「元帥閣下にご挨拶もできてよかったよかった。__様子はどうだい?」


「あ、えぇっと……変わらずです」


 問われて我に返って答えれば、ビルネンベルクはくつり、と笑う。


「紹介しよう。__これは、リュディガーの上司にあたる、イェルク・プレトリウス・フォン・シュタウフェンベルクだ。イェルク、彼女がキルシェ・ラウペン。私一押しの学生」


 この紹介はいつものことで、ビルネンベルクの常套句に等しかった。


「こんにちは、ラウペン女史」


「はじめまして、シュタウフェンベルク卿。以後お見知り置きを」


 キルシェが苦笑しながら恭しく礼を取ろうと、スカートの裾を持つ隙があらばこそ、シュタウフェンベルクはその手をとって、甲に口づけて礼を尽くす。


 その手はリュディガー同様__否、それ以上に無骨で筋張っていた。


 シュタウフェンベルクは南部ビナー州の名門貴族のひとつ。そして、その三男坊であるイェルクは侯爵の名家の名に負けず、龍帝従騎士団の3つある大隊のひとつを任せられている。


 龍帝従騎士団は、少数精鋭部隊を左右中という序列の大隊に分けている。シュタウフェンベルクは左大隊長だ。


 大隊の序列同様、左大隊長、右大隊長、中大隊長という序列がされ、稀に将軍と呼ぶこともあるが、軍にも将軍という元帥に次ぐ地位があり、これも左右中と別れているため、区別するために龍帝従騎士団では左右中を冠して大隊長と呼称する。


「イェルクは、私が若い頃、家庭教師として教えていたことがあるのだよ。で、帝都の大学へも進学していてね、そのときも教える側と教わる側。__今ではよき友人というやつだ」


 青みを帯びた涅色(くりいろ)の髪の後ろ頭を掻くシュタウフェンベルクは、褐色がかった黄緑の複雑な色味の瞳の目を細め、苦笑にも見える笑みを浮かべる。


「君と、リュディガーの先達にあたるわけだ」


 元帥に引き続き、シュタウフェンベルクまでもが先達。


 __部下を持つようになり、教える立場になって、あまりにも自分が無学だと痛感したので。


 ちらり、と視線を落とした先の中隊長だったというリュディガーが、かつて暇をもらってまでして大学へ来た理由を語っていた。


 武官であっても、上に立つ者は武だけでなく文も求められるのだろう。求められるから学を修めるのか、学を修めたからこそ上に立つのかはわからないが、あるにこしたことはないに違いない。


「君は、彼と会話はできたのか?」


「いや、世話を任せている者が、覚醒したのを確認しただけだ」


 目覚めはしたが、会話らしい会話はできていない__大学へもたらされたのは、そこまでの報せである。


「なるほどな。__そうだ、イェルク。聞こうと思っていたんだが、リュディガーだけが負傷を?」


 他の使われていない病床を紅玉の瞳が見渡して、問いかけたビルネンベルク。


「まさか。他の負傷者は、こことは別の大部屋か各々の部屋で療養している。もっとも穢れが濃かったリュディガーだけ、この部屋をあてがった。ここが一番何かがあったとき、気付ける部屋だから」


「処置はもうできる限りのことは済んだのだよな」


「ああ。本来なら、神官による神の奇跡の御業で治癒を施すが、外傷は少ないかわりに、あまりにも濃く深く瘴気に侵された状態では体力を奪う側面もあって効率が悪い。故に、まずは瘴気を祓う方へ力を入れ、自然治癒を高めて無理なく快復できるよう調整した」


「覚醒が進めば、より促進される__ということか」


「そうなるな。目覚めるまでが、実はもうひとつの峠だった」


 なるほど、とビルネンベルクは頷く。


「__後遺症は?」


「ない、という話だ。均衡の神子御自らお力添えくださった」


「なんとまぁ」


 この帝国には、神子と呼ばれる存在がいる。それは、神に見初められた存在で、御業を行使できる尊い存在。信仰の対象としての側面があり、帝都にはそうした神子の__信仰の対象としての神子の__御座所として神殿がある。


 リュディガーが当初運び込まれたのが、その神殿のひとつ__均衡の神の神殿だった。


 神子の御業の行使は、神の許しがなければならないとされていて、その恩恵にはなかなか預かれない。神子の代わりに、司祭という存在により恩恵を得られる。


 ビルネンベルクが驚いたのは、穢れを祓ったのはそうした司祭によるのだとおもっていたからだ。これは、キルシェもそう思っていた。


「……今回の布陣は、元帥閣下は猛省していると聞く」


 ぽつり、と呟くシュタウフェンベルクに、ビルネンベルクが目を細めた。


「そんなにまずい布陣だったのか」


「いや、あれが最善だったと私は思う。魔穴は地上に近かった。規模も大きく、予想以上に魔が溢れるまでそう時間がかからなかった。州境を超えて魔が溢れ、首都州__帝都も危うかった」


 州境と聞き、キルシェは思わず言葉を発する。


「あの……確か、イェソド州軍の動きが鈍かっと聞きましたが」


「ええ。よくご存知のようだ」


 まだ公になっていない情報であるそれに、興味深そうな視線を向けてくる大隊長。


「イェソド州は彼女の出身州なので、その辺りはすでに私から」


 それは、とシュタウフェンベルクは言葉に詰まり、険しい顔になる。


「私の家は、州都にありますから、家族は大丈夫です」


「左様ですか……幸いでしたね」


 シュタウフェンベルクは、リュディガーへ視線を向ける。それはどこか遠い視線で、険しい物が見え隠れしていた。


「最善を尽くした、とは貴女を前にして言いにくいな」


「いえ」


 はぁ、と疲れたため息をシュタウフェンベルクは漏らす。


「……暇を出していた龍騎士__帝都にいた彼や、他の者にまで召集をかけざるを得なかったほど、溢れる速度も量も予想以上。彼が現地に合流する途中で、地上で軍が取りこぼしていた魔物と会敵し、これらを討滅していたと私の元へたどり着いた際の報告を聞いて、肝が冷えるどころか潰れたのを覚えている。広がりが早すぎる、と」


「地上は、首都州軍だけだったのか?」


「いや、最初はイェソド州軍のみ。州境だからこれに首都州軍も加わって、リュディガーが会敵したときには近隣にいた国軍の中軍が加わっていた」


 軍は国軍と州軍とがある。国軍とは、まさしく国の軍。州軍とは、州がそれぞれ独自に配備している軍である。


 国軍は州軍に比べ最も少なく、唯一、常に左軍を持たない。国難有事に際して、ここに龍帝従騎士団の団長が左将軍として龍騎士団全隊が左軍に組み込まれることになっているからだ。国軍が禁軍と呼ばれる所以でもある。


 格の序列は、龍帝従騎士団と国軍は形式上同列とされていて、以下は首都州の州軍、各州の州軍となる。


 龍騎士は龍帝の選り抜きの精鋭。国軍__禁軍もまた龍帝の指揮下にある軍。これらふたつを合わせた数が、地上において帝国を治めるにあたり、天帝から龍帝が赦された最大限の行使できる軍事力である。


 国軍は平時では主に、帝都と、干渉地と定められている周辺地域の治安維持等が任務。諸外国からの驚異についてももちろんだが、国内での乱などの有事があれば、これを対処する。


 では首都州の州軍はといえば、平時では首都州各地の治安維持等にあたっている。首都州の州侯は皇太子であるが、皇太子もまた地上にはいないため令尹という地位に据えられ、別に州侯が配されている。


 首都州軍に命を下せるのは、令尹および権威を与えられている首都州侯だが、その任務が国軍とかぶることも多く、実質的に龍帝の指揮下に加わることもある。これは、令尹かあるいは首都州侯の命として、龍帝に従うよう指示がでるため可能であるとされる。


 国軍も首都州軍も、どちらも他の州軍より格が上と据えられているのは、実力が備わっているからこそだ。それが梃子摺る状況とは__キルシェは、身体を強張らせてシュタウフェンベルクの話を聞いていた。

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