リュディガーの同期 Ⅱ
馬がいるから、住宅街を抜けるまでは後に続く形になる。蹄が石畳を踏みしめる重みのある音が、迫るような住宅街に響いて小気味いい。
時折、距離を見定めるように、エルンストが振り返りながらにしばらく進むと、川辺の道へと至った。
川辺の道は、住宅街の入り組んだ道よりも幅が広く、一般的な荷馬車も通れるほどがあるため、キルシェはそこにきてエルンストと並ぶようにして歩いた。
「あの、シェンク卿」
「はい。__あ、エルンストで構いませんよ。リュディガーとは同期ですし……まさか、リュディガーは、ナハトリンデン卿と大学で呼ばれてる?」
「いえ」
「でしょう。ならなおさら、同じ扱いで。わざわざ卿と呼ばせているのを聞かれたら、何様だ、と揶揄されかねない」
卿とは、龍騎士といった、騎士と号する役職の者を呼ぶときの敬称である。これは仲間内でもそうらしい。
「__それで、何か?」
「彼の容態は? 深いところに入ったという事と峠は超えたという話だけで……」
歩みを一瞬止めそうになるが、彼は前を見据えて目を細める。
「お教えしたいのですが、私にもそれだけ伝わっている状況です」
「確か、今は、帝都の神殿で穢れを祓っているのですよね?」
「ええ。我々でも、面会は許されていません」
「やはりそうですか……」
「どこまでの深みに行ったのかも、私とは別の作戦行動だったので人伝程度です。結構面倒な魔物に会敵してしまったと」
ぎゅ、とキルシェは心臓を鷲掴みにされた心地に身震いした。
「暇をもらっても変わらず、彼らしいですよ。__賭けに出たのだと思います」
エルンストは苦笑する。
「賭け……?」
「ええ。彼も、暇をもらって久しいとはいえ、蔵人です。特攻することだけが能じゃない。独りでいけると踏んで、賭けに出た。部下には他を任せつつ下がらせ、本当にギリギリのところを攻めていたらしい。だからこそ、最小限の損害で、最大限の成果を出して生還できたと言える。__堕ちる手前だったと言えばそうなのですがね」
堕ちる__魔穴に堕ちるとは、後戻りができない深淵に踏み入ることを言うのだとキルシェは聞いたことがある。
「自力で戻ったというよりも、キルシウム__彼の龍ですが、彼を自律的に連れて舞い戻ったという話です。その時はもう、意識が混濁していたのだったか……いや、手綱を握っているのが奇跡だったのかな。とにかく、ほぼ昏睡状態と言ってよかったらしい」
ふむ、とため息のように唸って、彼は空を見上げる。
「話を聞いた感じから経験則で話しますが、今回のような度合いであれば、大抵は4日ぐらいは昏睡が続きます」
「4日も……」
「__が、まあでも今回は、処置が早期にできたので、快復は早いかと」
神妙な面持ちから、爽やかに笑むエルンストに、キルシェはしかし心穏やかには素直になれなかった。
「大丈夫ですよ。彼、体力馬鹿と言ってもいいので、連続7日ぐらい寝込んでもなんでもないですよ。ほら、図体でかいでしょう? 同期の中でも、とくに瘴気への耐性が高かったですし、加えて、克己心の権化みたいなところがありますから」
明るく冗談めかして言う彼の、安心させようとしてくれている気遣いがよくわかる。キルシェはありがたさから、いくらか表情を和らげることができた。
龍騎士として大変な状況だろう彼。そんな彼は、落ち着き払って相手を気遣っている余裕を見せる。
__なのに私は何をしているのだろう……。
安心させようとしてくれているのに、まだリュディガーの姿をこの目で見ていないから、どこか心が落ち着けずにいて、戻ってくる、大丈夫という言葉を信じきれずにいる。
エルンストはまだ戻ってやることがある、と言っていた。暇をもらっている者にまで召集がかかった事象の事後処理は、通常の事象よりも多いことだろう。詳しい内容や仕事は知らないが、それはおそらく、今日一日で終わらせられるようなことでなく、数日は続くと簡単に見込める。
「__あの、エルンストさん」
「はい」
異変はないだろうか、と周囲を観察していたらしいエルンストは、いかにも武官らしい歯切れよい返事をして顔を向ける。ただし、その所作にはより優美さが伴っていて、同じ所属でもこれだけの差があるものなのだ、とキルシェは内心思う。
無論、リュディガーの所作が無骨で粗暴だと思ったことはない。
「明日も、お父様の様子を見に行かれますか?」
「行くつもりです。……何かあってからでは、リュディガーが目覚めたとき酷なので」
至極真面目で真摯な表情と声音で彼は言う。
通常の仕事に加え、事後処理。その合間を縫っての親しい同期の家族への訪問。
__あまりにも大変だわ……。
よし、とキルシェは内心決意を固めて、エルンストを真っ直ぐ見る。
「よろしければ、私が明日からリュディガーのお父様の様子を見に参りますから、エルンストさんは、どうぞお勤めを優先してください」
エルンストは、キルシェの申し出に思わず足を止めた。
「それは……本当にありがたい申し出です。欠けた人員の穴埋めがあって、しばらく忙しいことには違いないので」
「欠けた__」
強張った顔で彼の言葉を拾えば、慌てて彼は手を振った。
「あ、言い方が悪かったですね、すみません。殉死したという意味ではないです。いつも通りの勤めを果たすにはまだ難あり、という者のことを、欠けた、と身内では言うのです」
「な、なるほど」
ほっ、とキルシェは胸を撫で下ろす。それを見て、エルンストは照れたように後頭を掻いた。
「すみません。__ですから、その申し出は本当にありがたい。……本当によろしいので?」
「構いません」
「本当に助かります。是非お願いします」
本当に、と何度も重ねるエルンストに、はい、と笑って応えれば、彼は胸に手を当て、丁寧に礼をとった。そして、改めて先を促すように指先を揃えた手で、行く先を示す。
「__しかし水臭いな」
ぽつり、とエルンストが零した言葉に、キルシェは首をかしげる。
「こんなご令嬢が親しい友人だなんて、一言も言っていなかった。__暇をもらってから今日まで、そこそこの頻度で会ってはいたのに」
そうなのですか、と返せば、彼は肩を小さく竦め、キルシェへ顔を向ける。
「大方、詮索されるのが嫌だったのでしょう」
「詮索?」
「まあ、揶揄ともいいます」
はあ、と得心行かず歯切れ悪く答えるキルシェに、ふふ、とエルンストは笑った。




