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貴族と準貴族と

「あと半年ほどだなんて……それは寂しくなるわねぇ。私はゆっくりとしているから、来年になるかしら」


 何事もなければ、と笑う夫人はふと、神妙な面持ちになった。


「リュディガーさんだって、何でもできそうな龍騎士さんに見えたのだけれどね……」


「__と申しますと?」


「4年ほど前だったかしらね……リュディガーさんのことは、帝都の夜会で初めてお目にかかったのよ。ほら龍騎士さんも準貴族のような位置づけでしょう?」


「ええ、はい」


「壁際でひっそりと佇んでいたけれど、堂々としていて目を引いたわ。今よりは少しだけ背が低かったように思うけれど、十分に上背もあって、目鼻立ちも整っていて、付け焼き刃じゃない立ち居振る舞いだし……あの人は誰だろう、と御婦人方の注目を浴びてたわね」


 龍帝従騎士団の騎士に叙されると、無位であれば準貴族としての地位となる。少数精鋭の部隊であり、帝国の誇りである彼らには上流階級でも敬意をもつ者が大多数を占め、準貴族として方々から招待状が届くようになる。


「服装こそ、夜会用の正装だけれど、見ていて気持ちがいいくらいの無駄のない立ち居振る舞いで、かなりできる人なのだろう、と思ったわ__私、こう見えて、見る目はあるのよ」


 くすり、と夫人は笑った。


「キルシェさんは社交には、まだ?」


「はい。……大学へ来てしまったので」


 __そういう体裁なだけだけれど……。


 キルシェは、貴族ではないものの上流階級の家柄だ。貴族顔負けな、かなりの水準の教育を施されこそすれ、社交の場には一度も出たことがない。


 __然るべきときに、然るべき場所へ出す。


 それが養父の方針。養父としての、責務だと言っていた。


 出す、とは社交に限ったことでないことは分かっている。社交に出ることもなく、嫁がされることも含んでのこと。


 __そこに微塵も、私の意思などいらない……。


 屋敷の使用人や、教育を担当した家庭教師らの話を聞くに、とても綺羅びやかなのは間違いない。そして、それとなく上流階級の見合いの場所なのだとも察している。


「そうなの。注目の的になるでしょうね」


「そうでしょうか」


「言ったでしょう? 見る目はあるのよ」


 想像することはあるが、そこまで憧れらしいものは抱いてはいないのがキルシェだった。その世界でも、自分にはあまりにも選択肢はないのだと解っているからだ。


「リュディガーさんも、注目の的だったのよ。でもしばらくしたら、ぱたり、と現れなくなったと友人から聞いたわ。噂だと、故あって暇をもらっているらしい、と。そうしたらいつの間にか大学に居るものだから、とても驚いたわ。なるほど、それは来なくなるわけだ、と」


 夫人は柔和に笑む口元にお茶を運び、その中を静かに見つめる。


「……何人も見てきたけれど、龍騎士さんは。彼の場合は特に有望に見えたわ。年の割に、とても肝が座っている。__確か24よね」


「えぇっと……おそらくそうだと思います」


「あら、あんなに一緒にいるのに、知らないの?」


 意外だわ、と目を見開く夫人に、キルシェは苦笑を浮かべて頷くしかない。


 年齢はぼんやりと把握していた程度。八年前に龍帝従騎士団の試験を通過した、という彼の話から逆算しただけである。


 __あまり、踏み込みすぎない方がいい。


 それは自分だけでなく、お互いそう思っているらしい。あるいは、察しがいいリュディガーの気遣いか__いずれにせよ、付かず離れず、不思議な距離が保たれている。


「……興味がない、というわけではないのでしょうけど……」


「それは、どういう……?」


「さぁ、別に意味なんてないわ。年寄りの戯言よ。__初々しいな、と」


「はぁ……」


 困惑していれば、ふふ、と夫人は笑ってごまかし、先程分けたマドレーヌの残りを頬張る。


 そして、近くを通りかかった店員が、夫人のお茶が空であることに気づき、持っていたポットから注ぐのだが、その店員に夫人が問いかける。


「__蛍はこれからよね?」


 __蛍?


 唐突な質問で、キルシェは穏やかな表情で夫人と店員を見守りながら、内心首を傾げてしまう。


「はい。ですが、昨今では本当に少なくなりました」


「そうなの……やはり」


 失礼します、と一礼して去っていく店員の背を見送りながら、キルシェは尋ねる。


「蛍がどうかなさったのですか?」


「さっき言ったでしょう? 景色も名物だと。ここ、それはそれは時期には飛んだのよ。一度だけ見たわ。すごいのよ、もう光が踊るというのかしら。この辺りは中心地ほど明るくないから、特に幻想的で」


 遠い視線で水面を見つめる夫人。


「そろそろ蛍が飛ぶ時期なのだけれど、ここは昔ほど飛ばなくなったと聞いたのを思い出して、訊いてみたのよ。本当にそのようね」


「そうなのですか」


「ええ。ほら十年以上前になるけれど、護岸工事をしてしまってから。でも帝都にはまだ飛んでいる所があるのよ……どこだったかしら……」


 蛍というものは、キルシェは見たことがない。


 本で知り、そして故郷にも飛んでいる場所があるとも聞いてはいた。一度は見られたら、と思っているものではあるが、中々厳しい家ということ、そして寄宿学校へ入れられていたこともあり、いまだかつてこの目で見られたことはない。


 __リュディガーなら、知っていたりするのかしら……?


 帝都のことなら、リュディガーは詳しいかもしれない。なにせ彼は、一般人が立ち入れない場所にも入ることができる、龍帝従騎士団の制服に身を包み、龍を駆る特異な身分だったのだ。


 __……確かに、見栄えはするかもしれない。


 綺羅びやかな世界にあっても、彼ならば場違いにはならなそうだ。優男というわけでもないが高圧的でもない武官で、清潔感があって、見た目にそぐわない身軽さを生かした立ち居振る舞いは、間違いなく目を引くに違いない。


 加えて、処世術も持ち合わせていて、場合によっては愛想笑いのひとつやふたつ、そつなく使いこなせるのだろう。


「__それにしても、懐かしいわね……」


 ぽつり、と呟く夫人を見れば、彼女は記憶をたどっているのだろう。とても愛しげな視線から、その記憶の中に、連れ添った御夫君が居るに違いない。


「とても、いい御夫(ごふ)……__旦那様だったのですね」


「ええ、そうね。もっと我儘を言えばよかったな、と後悔ばかりするけれど」


 そんなことを言える間柄というのは、中々に仲睦まじかったに違いない。言ってのける夫人の表情は、本当に穏やかだ。キルシェは思わず微笑んだ。


「仲がよろしいのは、よくわかりました。羨ましいご夫婦で」


「キルシェさんにも、そういう人はいるじゃない?」


「……え?」


「リュディガーさん」


 茶化す風でもなく言われた言葉はあまりにも唐突で、キルシェは心臓がひとつ大きく跳ねた。


 __何故……。


 何故こんなにも拍動が早まるのか。


「おふたり、とても歩調が合っているようだけれど、その実お互いの不足分を補っていて、見ていて微笑ましいのよ。そういう仲であっても可笑しくなく、すんなり納得できる感じで。__だからどうなのかしら、と」


 笑みを作るが、顔の筋肉が間違いなく強張っている。


 何故こんなにも動揺するのか。


「……彼にも、選ぶ権利がありますよ、奥様」


「では、嫌ではないということね」


「え! い、いえ、そういう意味ではなくて__」


 慌てて言葉をつむごうとすれば、一瞬空が陰り、数瞬の後に鋭く一陣の風が露台と建物の窓を打つように、(はし)った。


 くつろいでいた面々は、突然のことに短い悲鳴を上げるものの、それらは一瞬のできごとで、収まってから周りをみれば、風に煽られた花々は床やテーブルに花弁を散らしてしまっていた。


「……あれは、龍騎士の龍よね?」


「まあ、本当」


「だいぶ低いようだけれど……」


 声は近くの客から。彼らを見れば、東の空を見つめている。キルシェはその先を見、目を細めた。


 確かに三頭の龍がいる。空に滲みかけているが、辛うじて腹は黒、背は白のように見える。__三角形の編隊らしい飛び方も加味して考えれば、それは間違いなく龍騎士の騎龍種アルビオンだ。


「今の、“龍の山”から飛び立っていなかったように見えたけれど」


「まさか」

 

 __まさか……。


 誰かの言葉を、自身も心の中で反芻する。


「西だったわよ、ねぇ」


「ええ、西だったわ」


 どくどく、と心臓が早く打つ。妙な緊張感。これは、昨夜目が冷めてしまったときの感覚に似ている。


「西なんて、龍帝従騎士団の詰め所なんてものないぞ」


 __大学がある……。


 口の中が粘ついて、不快感を流し込もうとカップを手に取って口へ運ぶ。


 __まさか……まさか……。


 冷め始めた紅茶の苦味が、まるでこのときは鉄の味のように、キルシェには感じられた。

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