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移り住んで

 返事を受け、リュディガーはテーブルにあった食材を納めに台所へ行く。キルシェもそれに倣い、残りの食材を運んだ。


「せめて、なにか手伝います。ずっと、ぼんやりしているのは冥利が悪いので……あちらでもできることがないですか?」


 言って示すのは、居間のテーブル。狭い台所では2人で作業はできないし、居間に独りローベルトを放置するのも忍びないから、ちょうどよい。


「__馬鈴薯の皮剥き、しましょうか?」


 動きを止めたリュディガーが持つ、タライで洗ったばかりの馬鈴薯を見つけて、問うた。


「ついでに切りますよ。何に使いますか?」


「……できるのか?」


 キルシェは苦笑し、居間のローベルトには聞こえない程度の声音で答える。


「__寄宿学校で修練しましたから」


 良家の子女ならば、家事の一切は使用人任せのはず。おとなになっても、蝋燭に火を灯すこともできない人がいるような世界だ。


 だが、キルシェはそこだけではない世界にもいたのだ。一般的な、所謂、良家の令嬢という言葉では想像の範疇にない世界。


 冗談めかして言ったのだが、難しい顔をするリュディガー。それをあえて気づかなかった振りをして、キルシェは馬鈴薯とまな板と包丁を預かって居間へと踵を返した。


「一口大に切って、ここへ」


 馬鈴薯の芽を包丁の顎でくり抜いていると、水を張った鍋をそばに置くリュディガー。


「……手を切らないように。昨日、研いだばかりだ」


「リュディガーが研いだの?」


 やや静かなリュディガーの忠告に対して、キルシェは顔を上げて明るく問う。それがどうやら彼には予想外な明るさだったらしく、驚いた顔になった。


「あ、ああ」


「すごいのね。研ぎ師さんしかできないのだと思っていたから」


「リュディガーは小さい頃に覚えたんだよ。研ぎ師さんのを見様見真似で」


 ソファーに座るローベルトが笑って教えた。


「そうだったんですか。器用ですね」


「大したことじゃない。ほら、手元が止まってる、キルシェ。__まだある」


 遅れて置いたタライには、洗ったばかりの馬鈴薯がたくさんある。


 __こんなに……。

 

 何に__何の料理に使うのだろう、と疑問に思いながら、キルシェは作業を再開した。


「__そうだ、リュディガー。さっきはいいものを聞いたよ」


「何です?」


 台所に下がって作業をしながら、リュディガーがローベルトに答えた。


「カーチェをね、久しぶりに。ああ、お前さんはカーチェを知っているかな?」


「……弦楽器ですか」


 答えたリュディガーが、ちらり、とキルシェを見る。


「そう。__しかもこれが中々上手なものでね。お前さんは、聞いてないかい?」


「__彼女です」


「ん?」


「彼女__キルシェが弾いていました」


 ローベルトへ言い放つリュディガーの言葉に、聞くに徹していようとひっそりと決めていたキルシェは、ぎくり、と身体を弾ませる。あわや、指を切りそうになるほど。


 __なんで……反応しないでいたのに言ってしまうの。


 ちらり、と足元に置いたカーチェの入った鞄に視線を落とし、足で彼ら__特にローベルトの死角に入るよう少しばかり追いやった。


「キルシェさん、弾けるのかい?」


「……手慰み、ですが……少々……少し……」


「彼女が言う手慰みっていうのは、労なくできるってことですからね、父さん」


「いえだって、私独学ですし……」


「なら、素質がおありなんだよ。じゃあ、だいぶ前にも、弾いていたこともおあり?」


「……はい、かなり、前になりますが……今日と同じ場所で弾いたことは、あり、ます……」


「しばらくぶりで、嬉しかったよ」


 誰かに聞かせるというつもりもなく、自分が何もかも忘れて没頭できるからこそ弾いているにすぎない。もちろん、誰かに聞かれている可能性は、ここでなくともどこでもあって、それは百も承知だ。


 しかしながら、誰かに面と向かって、こうして聞いていたと言われ、評価__しかも高評価を受けるということに馴れていないキルシェは、どうにも頬が熱くなってしまう。


「一曲なにか、頼めないかね?」


 うっ、とキルシェは困惑して手元を止めてしまった。


 やたらに恥ずかしい。なにがどう、とはうまく言えないが、とにかく恥ずかしくていられない。


「父さん、今は食事の準備が先ですよ。キルシェを困らせないであげてください。しかも初対面でしょう。図々しいですよ」


 どうしたものか、と困り果てていれば、そこへリュディガーが見かねて助け舟を出した。


「確かに、それはそうだ。__いやでもね、本当にいい音だったんだよ」


 惜しいと言わんばかりのローベルトに、くどいです、とリュディガーは一蹴して、話題を切り替えてしまった。


 その後の会話はどんな内容なのか__キルシェは、その会話には加わることはほぼなく、我武者羅に目の前の馬鈴薯を向き合うことに徹し、落ち着きがなくなりかけていた心を鎮めるのだった。


 


 川辺の道を歩きながら、一路大学を目指すキルシェとリュディガー。


「リュディガー、大学の食事は本当に足りているの?」


「ああ。__前もそれを聞かれたな」


 つい今しがた、昼食として出されたもの。多めに作った食事は、彼の父ローベルトの2日分のものを含んでいて、飽きがこないよう、食べる時に調味を変えてもいいように工夫もされているらしい。出る間際に、そんなやりとり__助言のようなことを、リュディガーがしていた。


 その取り置き分を加味しても、食卓に並んだ量は、ざっと4人前はあったように思う。


「客が来たら多めに出すものだろう? 私はどれだけ大食らいだと思われているんだ」


 笑いながら言われ、キルシェは、それもそうか、とふと脇を流れる小川を見た。その流れの中、花弁が弄ばれていて目を引く。


「__そんなことより、よかったのか、あんな約束をしてしまって」


 せせらぎを聞きながら、水面を滑る花弁に視線をやっていると、リュディガーが問うた。


 食事が終わり、改めて彼の父が一曲所望したのだ。


「ええ。今日はまだリュディガーの弓射の鍛錬が待ってますし、後日でいいなら……なんというか、覚悟ができますから」


 一曲所望される、という経験はいまだかつて無い。


 足が悪く、外をあまり出歩かないリュディガーの父ローベルトの、ささやかな希望だから、応えたいには応えたい__が、謙遜とかそうしたことではなく、手慰みもいいところの練習で半人前の腕前だという自負があるから、日を改めて覚悟を決めて取り掛からせてほしかった。


「あまり気負わないでくれ。父は浮かれていたところもあるし」


「浮かれる?」


「ああ。明らかに浮かれていた」


 リュディガーはふと、歩いてきた道を見る。そちらは彼の家があるはずの方角だ。


「__肺を患って、治療のために帝都へ移った。ちょうど私の配属が帝都になったのもあって、呼び寄せた形だが」


「ゲブラーから、でしたっけ?」


 ゲブラー州はこのタウゼント大陸の南東に位置する。東の隣州は、ビルネンベルクが根城としているネツァク州で、ネツァク州に対してゲブラー州は低地。日差しが強く、一年の大部分が暖かな気候の土地。


「ああ。故郷から離れてしまって、今でこそ慣れてくれたが……今にして思えば、無理をさせてしまったように思う。ああいう性格だからそこまで表にはしなかったが」


「そう……」


「私が薬草学を早く修了したのも、確かに龍騎士として植生に明るければ有用であるという動機もあったが、それ以上に父の病気に有用な薬の知識を持っていたい、という下心があったからだ」


「そうだったの」


「肺については小康状態。ただ、去年の冬に転倒して足の骨を折ってしまって。……帝都は意外と坂道があるだろう? 穏やかとはいえ。折ったところが太い骨で、一時寝たきりだった。その時は、あそこから通っていたんだ」


 それはかなり大変だったのではないのだろうか。徒歩での往復に2時間はかかる。うまく帝都を巡回する馬車に乗れたとしても、それなりに時間はかかるのは確実だ。それをほぼ毎日。


「その……お母様は……?」


「いない。言っただろ? 男所帯だ、と。__亡くなっている」


 キルシェは驚いて口元を手で押さえ、ごめんなさい、と謝る。


 __踏み込みすぎた……。


「いや、いいんだ。謝るようなことじゃない」


 苦笑を浮かべるリュディガーは、進む先を見やる。


「__見送れただけ、ましだ」


 ぽつり、と呟く言葉に、並ぶ彼を見上げれば、どこか遠くを見ているようにキルシェには見えた。


「すまない。そういうつもりはなかった……」


 掛ける言葉が見つからず俯いていると、リュディガーが謝るので、キルシェは怪訝に顔を上げた。


「え?」


「君の……ご両親……」


 キルシェの実の父母は魔物に襲われた。葬儀は行ったが、死に目には会えていない__彼はそれを思い出したのだろう。


「いえ、全然」


 思いも寄らない気遣いで、キルシェは笑って応じた。


 そもそも、あまり当時は覚えていない。葬儀はしたように思う。小さい頃だったし、あまり思い出さないようにしているからか、記憶が明瞭でないのだ。


 __私は薄情者なのかもしれない。

 

 キルシェはひっそりと自嘲した。

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