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刻ノ夢の緒 Ⅳ

 養父によって、自分は知らぬ間にわざわざ死を装われて、この世から消されていたのだ。


 幼少期、すでに殺されていたことになっていた自分。それもまた養父の姦計のひとつで、当時は事故として処理された。


 自分にはあやふやな記憶しかなく、断片的。当時のキルシェのみならず、周囲全ての事柄は養父にはすべて都合よく働き、恩人だと刷り込むことは容易だったことだろう。


 __全て掌握できるように、動いたからかも知れないけれど。


 そして二十年近く、それは続いた。


 苛烈なほどの憎悪。このままで終わるものかと全て投げ打つほどの執念は理性となり、胸の奥へとそれを押し込めた。


 ずっと焦がし続けていただろうに、それが爆ぜることがなかった。


 好機の一瞬に向けて、じわりじわり、と気取られないよう、養父はただただ悲願のために__。


 __それはリュディガーも同じだった。


 国家安寧のために、滅私奉公していたに等しい。


 __そう。それも見抜けなかったけれど……。


 キルシェが内心自嘲していると、リュディガーが、すい、と視線をずらす。__キルシェの耳飾りに。


「私にあったのは、その耳飾り。片割れがあっただけだ」


 思わず、キルシェは耳飾りに触れた。


 失くしたはずの片方は、彼がわざわざ見つけ出して、知らぬ間に直してくれていたものである。


「私には、君が実は死んでいないかもしれない、と示された証拠があったに過ぎない。そして、その君からは、大学から去る時、養父は政変に少なからず関わっていたようなことを言っていたから、この任務につけば消息を追えて、もしかしたら再会できるかもしれない……そんな下心を抱いて就いた任務でもあった」


 リュディガーへ視線を向けると、彼は自嘲を浮かべる。


「もし、亡くなっていても……自分には故郷だったし……なくしたものを取り戻したいわけじゃなく、あるものを守りたいこともあったし、一矢報いたい、と任務にあたって……そうしたら、生きていた君と再会できた」


 空中庭園で養父に引き合わされたときの彼の表情。


 死んでいたとされる者に再会できたという状況のはずの彼は、まるで血も通っていない、感情の起伏が皆無だった。


 喜んでいるわけでもなく、悲しんでいるわけでもなく、謀られたことへの怒りがあるわけでもなく、ただただ淡々とある彼。


「君が、生きていた__君と再会できていたから、ならばあれを確証として認識して、揺るがないものとしようと、決めたんだ。ただひたすら、そうなるものだ、と」


「そ、そう……だったの、ね……」


 キルシェは両手で火照った頬を抑える。


「__で、確証の話をしたが……不快だったか?」


 不快ではない。


 不快ではないが、素直にそう答えるのは気恥ずかしくてできない。


 視線をやや伏せて、小さく首を振ることで答える。


「そうか」


 いくらか笑いをにじませた声に、キルシェはため息を零す。


 頬の火照りは、なかなかおさまらない。早鐘を打つ心臓も、いくらか落ち着いたとはいえ、まだまだ早い。


「……ただ、ただ……恥ずかしいです」


 世帯。


 夫婦。


 身重。


 その3つの言葉__とりわけ、身重、という言葉が、深く胸に突き刺さっている。


 彼とは、婚約中だ。


 この先に、何事もなければ、夫婦になって世帯を持ち__そういう流れで、そのどれもが待ち受けていることはわかっている。少し考えればわかる。


 自分だって、意識しないことはない。


 だが、だが__。


 ひとつ大きなため息を吐き出し、キルシェは頬から手を離した。


 すると、衣擦れの音とともに、リュディガーが動いた気配があって、キルシェが体を弾ませている隙があらばこそ、大きな(かいな)が回されて懐におさめられてしまった。


 突然のことで体を強張らすキルシェは、彼の懐で、心なしか大きく、早く打つ堂々としたリュディガーの心音を聞く。


 その心音を聞くにつけ、加えて全身を包み込む体温と、甘やかな香りは相変わらず心地よく、体から緊張がほぐれていくのがわかる。


「確証の話、もう少し先……実際に世帯を持ったら、明かそうかと思っていた。それなら、笑い話ぐらいにはなるから」


 心音とは裏腹に至極落ち着いた深みのある声に、わずかに体を離して顔を上げるキルシェ。


「流石に、呆れられただろう」


 吐息がかかるほどの至近距離にある、穏やかだが自嘲したような彼の表情に、キルシェは笑って首を振る。


「キルシェ。いくら私が視たからといって、これに縛られる必要はないからな」


「それはどういうこと?」


「君にだって選ぶ権利はある。前に言ったが、改めて求婚をするまでの間に、君の中で私への認識の乖離があったら__」


「リュディガー」


 彼が言う先を察し、制するため、キルシェは名を呼ぶ。


 そんなことをすることは本当にないから、リュディガーは思わず口を噤む。


「__それは……それこそ、ないわ」


 穏やかに、しかしやや強くはっきりと言えば、彼はわずかに目を見開いた。


 対してキルシェは気恥ずかしくなって彼から離れようとするのだが、リュディガーはそれを阻止して引き寄せ、流れるような動作で唇を重ねる。


 深く、吐息ごと飲み込むような接吻に、熱を帯びる身体。じくり、と下腹部が疼く自身に戸惑って、少し強く彼の身体を押せば、彼は唇を開放してくれた。


 だが、しっかり、と抱きとめたまま。


 彼の懐の中で、再び早く拍動する心臓。


 それは、彼の心音も同じだった。


 強く早く__やがてその心音も、いくらか落ち着いた頃、徐に、リュディガーがわずかに身体を離して、左手をとった。


 そして、彼は口元へ運ぶ動きを視線で追いかければ、彼の視線とかちり、と交わる。


 普段の無骨な、武人然とした彼とは打って変わって、艶っぽく見える双眸。


「__君が卒業したら、改めて」


 熱い吐息を掛けられた手。その手袋に覆われたままの甲に、唇を押し当てる彼。


 しっかりと見つめてくる視線の奥底にある、苛烈なほどの感情を覗き見たキルシェは息を呑む。


 やっとの思いで、小さく頷く。おそらくぎこちなかっただろう。


 リュディガーはくすり、と笑って、再び腕の中へと抱き寄せた。


 今一度、優しく甘い彼の香りと、体温とに包まれて安堵し、同時に実感する。


 自分は、やはり彼を慕ってやまないのだ、と。


 __先生に認められなかったら……許されなかったら、どうしたのかしら……。


 ふいに、それが脳裏をよぎる。


 彼に聞いたが、自分自身そうなっていたら、どうしただろう。


 後見人を引き受けてくれた不義理をしたのだろうか__。


 __わからないけれど……そうならなくて、よかった……。


 噛みしめるととみに、厚い胸板に頬を寄せる。


 すると、ひとつ心音が大きく打ったのが聞こえ、同時に応じるように腰あたりに回された彼の腕の一方が、より引き寄せるように動いた。


 数秒のことだっただろう。それが続いて、彼はゆっくり身を離し、身体を前へ向ける__が、片腕は腰に回されて、密着させられたままだ。


 そして、彼の身体が前かがみになって、足元へと手を伸ばす。


「落とした」


 拾い上げたのは、彼から贈られた筒状の手元の防寒具だ。


 汚れがないか、軽く払いながら確認してから差し出され、キルシェは礼を言ってそれを受け取り、右手を通す。


 そして、左側に座るリュディガーへ示せば、意図を察した彼は、左手を差し入れてキルシェの手を握りしめた。


 並んだお互いの膝の上に置いて、そのマフの上に自身の残りの手を重ねる。


 リュディガーは腰に回していた手でより引き寄せるので、キルシェは応じるように彼の身体に寄りかかった。


 握り込んでくる彼の手。その指が、優しく撫でてくる。


 見える訳では無いが、その感触にキルシェは視線を落とした。


 そのマフの上に置かれる自身の手。その手袋の中の薬指にあるはずの指輪に、意識が__視線が留まった。


 今はここにあるが、いずれ、彼が触れ、撫で付ける薬指に同様の指輪が嵌められる。


 それはそう遠くない先のこと。


 リュディガーが視たことのある夢__7、8年続く夢に含まれていたのかも知れず、彼が(ちょ)に就くきっかけとなった刻の一部。


 キルシェにとっては、新しく始まり、続く刻の()の象徴。


 __今度は望んでの結婚。


 キルシェは密かに、胸躍らせるのだった。 よほどの契約相手がついているらしい。


 内心舌打ちをしながら、ひたすら躱していく。


 あきらかに濃度が高い瘴気だ。当たれば、影身玉は砕けてしまうだろう。そうなれば、もはや勝ち目はない。


 __そう時間がかからず、堕ちるな。


 斬り伏せることは可能だろうが、際限がなさそうで、自分が疲弊するだけに思われた。


 ならば、と腹を括り、口布の下で呼吸を整え、攻撃の合間に身を返してロンフォールへ向き直った。


 そこで細く息を吐き出しながら、喉の奥を開くようにしてやや低い声を乗せた。


 __迎エ、弾ク。叩ク。断ツ。爆ゼ。


 すると、黒い粒子が吐き出す息に乗って流れ、目の前に集まって、一握りほどの球を形作った。


 球ははっきりとした輪郭をとる__刹那、無数に表面に葡萄の蔓のようなものが不規則に生えた。前後左右関係なく広がる蔦。


 その球に、迫ってきた瘴気が当たった。


 __消エ……。


 その瞬間、リュディガーが内心で()()()その言葉。途端に、瘴気の触手は霧散していった。


 あとに残るのは、リュディガーが生み出した球。それも遅れて霧散する。


 霧散して消えるそれらの向こうに、驚愕する顔になったロンフォールがいた。


「お前、それ……その()()……すべて同じ刻の言葉を使えるのか」


「契約相手から、その知識は教えてもらったのか」


 皮肉を込めてそう言いながら、口布に隠れて呼吸を整える。


 忌々しい、と言わんばかりに顔をゆがめるロンフォール。


「お前如きが使えるとは……」


 先程の球は、文字だった。


 非線形の、表意文字。ひとつの文字の中に無数の要素があって、たった一文字だけで意味を成し言葉として成立する。


 通常、言葉は__帝国をはじめ知られている言葉は、線形だ。


 時間の経過とともに、過去から現在を通り、未来へと至る。進む。そう表現する。一方向の、線上。線形の言語。


 原因が先で、結果が後。


 __そういうものだ、と我々は刷り込まれる。だが、違う見方が世の中には、確かにある。


 言語学の権威であった恩師は、石版を手にとってさらに続けた。


 __言語によって、その者の思考は形作られる側面がある。時間の概念がない文化圏の言語話者が、時間の概念がある言語を知り、そこで初めて時間というものを認識するように。言葉によってものの見方が変わる。私はそれを、体験しているのだよ。


 見方が変わる言語で、今の現象を未来から変容させる絶大な言葉。


 魔穴は不可知。


 想いや思考も不可知。


 地上では発動までいたらない言葉だが、魔穴であればこの言葉を知り会得さえすれば、有効に働く。


 __幸いにして、君は私の教え子の中でも賢いから、身につけられるかもしれない。


 自分は契約者になった。魔性の異形と共有した価値観も加わったことで恩師の指導と相まって会得はできた。


 __()まれるぞ。


 そう忠告したのは、恩師の父祖にあたる南兎の男だった。彼もまた、今では恩師である。


 この言葉は反面、魔穴でこれ多用すれば、容赦なく押し寄せる情報の渦に、自分がどこにいるかさえわからなくなる。


 ずっと線形で生きてきて、無意識にそう認識するほど刷り込まれているのだから、当然だ。


 __ヒトが果たして扱ってよいのか……。


 常々思っていることだ。


 少なくとも、アンブラとフルゴルを介して、やっと初歩の初歩を会得してみて、自分には余る智慧だと認識した。


 __ヒトを辞めるつもりはない。


「それをあわよくば使える知恵を得られれば、と、ビルネンベルクに近づけたというのに……」


「そういう魂胆で、彼女を大学へ入れたのか」


「そうだな。もっとも一番の目的は、準備のためだった。ついでにビルネンベルクに気に入られて嫁がせようと目論んでもいたのは事実だが」


 なに、と俄に驚いてリュディガーは目を見開いた。


「そうした事態もありうるよう、上流階級のご令嬢に負けぬほどの女に仕上げたのだ。教養から振る舞い、言葉遣い、全てを磨き上げておいた」


 確かにビルネンベルクは彼女をいたく気に入っていた。だが、彼は獣人で、人間族をそういう対象として捉えられない質だった。


 たとえ彼女が獣人だったとしても、教官という立場であれば、なおのこと教え子としてしか見ないだろう。ドゥーヌミオン・フォン・ビルネンベルクはそういう御仁だ。


 __それに、それはあり得ない。起こり得ない。


 なぜなら__と、思っていれば、目の前に広がる鮮やかな世界。景色。


 その中にいる白い印象を与える影。それはよく知る影__そこでリュディガーは下肢に走った痛みで我に帰った。

 無意識に、()に居なかったのだ。


 __これだから、困る。


 内心舌打ちしながら、足の患部を見た。


 一度、口から零した言葉のせいで、気をつけていなければ、こうして()が疎かになる。


 __確証がある。それだけでいい。


 軸をずらしてはならない。


 魔穴において、わずかにでも疑ってはならない。


 相手が強敵ならば、なおさら。

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