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微睡む郷 Ⅱ

 降り立つリュディガーの甲冑が軋む音に、マイャリスは振り返る。


 丁度、兜を取り払うところで、その首元にオーリオルが長く黄金色の優美な尾を巻きつけるようにして、肩に乗っていた。


 小脇に兜を抱えた彼は、相変わらずあまり表情の変化はないものの戸惑っているのがわかった。


 そして、ひとつ咳払いをした彼は、音を立てて踵を合わせ、背筋を伸ばすと、武官らしく頭を下げる。


 その挙動からにじみ出る、覇気。これには興奮していた一同は途端に声もぴたり、と止めた。


「これまで、謀っていたこと、平にご容赦を」


 そこまで言って、リュディガーは頭を上げた。


「そちらのクリストフ・クラインから事のあらましはお聞き及びかと存じますが、私に直接質問を投げかけたい方もおありでしょう。まずは、お話を。__ホルトハウスさん、主だった方々を集めて頂きたい。談話室……いや、広間がいいか……。如何でしょうか?」


 ホルトハウスは、執事。リュディガーに最も近い使用人で、この屋敷を取り仕切る長。


 屋敷の主人、使用人の主として接していたはずの相手が、あまりにも敬った態度と口調になるものだから、何事にも動じないはずのホルトハウスであっても、それは衝撃的な出来事だったようで、目をパチクリさせて静止してしまっていた。


「ホルトハウスさん」


 くすり、と笑って名を呼ぶのは、フルゴルだった。


 その声に、はっ、と我に返ったホルトハウスは声をかけたフルゴルを見てから、リュディガーへと視線を移し、姿勢を正した。


「勿論でございます……」


 毅然とした態度であるが、その表情と口調からは戸惑いが滲み出ていて、マイャリスは彼の葛藤を思うと苦笑が浮かぶのだった。




 庭へと続く硝子戸を潜ろうとしたところで、ゾルリンゲリが後ろ足で地面を蹴って、その勢いを使って舞い上がった。


 その様子に視線を奪われ思わず動きを止めていれば、ゾルリンゲリを見送っていたリュディガーが振り返って、視線が交わる。


 甲冑姿の彼はマイャリスの姿を認めると足早に歩み寄ってくるので、フルゴルに目配せして、彼女を残す形で自らも彼に近づいて行った。


「帰したのですか?」


「まさか。周囲の哨戒をさせに行かせた。__あいつはキルシウムほど穏やかではないから、屋敷の誰かが興味本位で近づいて、威嚇して怖がらせないとも限らないから」


「そういえば、キルシウムはどうしたの?」


 彼の愛馬ならぬ愛龍はキルシウムだったはずだ。


 あの月蝕の当夜に現れた、龍の形を成していた瘴気の固まり。それを彼は、キルシウムと呼んでいた。懐いている素振りもあったあの龍は、どういうことだったのか。


 その問いかけに、彼の顔がいくらか影がさしたように見えた。


 嫌な予想が的中したかもしれない、と苦い思いがこみ上げてくるマイャリス。


「立ち話もなんだ。せっかくフルゴルにお茶も用意してもらったのだから、あちらへ行こう」


 彼は軽く気持ちを入れ替えるようにため息をこぼして、ちらり、とマイャリスが出てきた硝子戸を見る。そこには、静かに佇み微笑むフルゴルがいた。視線が合うと、彼女は、笑みを深くした。


 それに笑みを返していれば、庭の東屋へと促すようにマイャリスの背に手が添えられた。


 離れすぎても、近すぎてもいない東屋。冬枯れの庭を進み、少しばかり離れた小高い丘の東屋へ至る。


 大理石の椅子には毛皮の敷物がされていて、座るととても温かく、リュディガーが外套を外して肩に掛けてくれるので、寒さはまるでない。


「……死んでしまった」


「……そう」


「結構、頑張ったが……無理をさせたからな……」


 かつて緊急招集をされたときに突入した魔穴。それ以降、キルシウムは体調が芳しくなかったのだそう。それは彼から聞いていた。だから、もしや、とは思ってはいた。だが、こうして彼の口から聞かされる、と胸がつかえる思いが膨れ上がって苦しくなる。


「先日の事件で、あの翼の異形を見ただろう? あれはキルシウムの、想いの残滓。私が、翼があれば楽に戻れるのに、と想って……それに呼応して現れた。あいつの中では、私は無謀なことばかりするという想いがあったままだったから、うまい具合に噛み合ったのだろう、とアンブラには言われた」


「そうだったの。……慕われていたのね、すごく」


「心配だっただけだろう」


 リュディガーは、いつの間にか手甲と手袋を取り払っていて、茶器をてにとりお茶を淹れ始める。マイャリスがはっ、として手を出そうとするが出遅れてしまっては、譲るつもりがまるでない彼に任せるしかない。


「……あの、リュディガー……ローベルトお父様も亡くなったと言っていたけれど……あれは……」


「事実だ。亡くなったよ……」


 答えは、以前再開した時よりも、感情が籠もっている。素っ気なく答えられるのも心が痛むが、これはこれで、よく面倒を見ていた彼の記憶があるマイャリスからすれば、ずくり、と胸が痛ませるものである。


「父さんが先で……復帰して一年目は、まあ色々ありすぎたな。__こんな役目も拝命するし」


「間諜の話は、ローベルトお父様が亡くなってから?」


 配されたお茶に小さく礼を述べてから尋ねると、彼は頷く。


「ああ。たった一人の肉親を失って、思うところが出来て、それで騎龍キルシウムには見限られたってことにもできるから、辻褄をあわせられるし……ちょうどよかった。実際は、キルシウムが亡くなった直後には、ゾルリンゲリに認められていたから、違うんだが……まあそんなのは伏せてしまえばいい。調べようがないからな」


 ひとつそこでお茶を飲んだ彼は、遠く西の空をみやった。


「見送れたから……弔えたから、よかったよ」


「そう……」


「__失うものがもうなかったから、白羽の矢が立ったんだろう」


 どこか投げやりな言葉に、マイャリスは、ぎゅっ、と心臓が縮こまった心地に震えた。


 失うものが何もないなどと、どうして言えるのか。


 彼にはあったはずだ。


 __あったのでは、ないの……?


「……クリストフ・クラインも?」


「あぁ……あれは、命令系統が違う」


「命令系統?」


「クラインから聞いていないのなら、私からは明かせないが」


「そう……それは、そうよね」


 間諜などという特殊な任務につくのであれば、素養はそうしたものが求められるということなのだろうか。


 マイャリスは、喉のつまりを取り除こうとお茶を口に運んだ。温かいお茶が、ゆっくりと臓腑を温めていく心地に、思わずため息をこぼした。


「リュディガー、屋敷の皆さんのこと、ありがとう」


「いや、当然だろう。生活がかかっているんだ。これから鉱山の労働も改善されるだろうが、それに向かない者だっている。ここの屋敷の働き口を見つけられて、将来を描いていただろうに……本当に心苦しい」


 先だって、食堂で彼は色々と屋敷の使用人たちに誠心誠意応対し、その後はクラインの選りすぐった警護__かつての部下らだったが、同輩としての態度で応じていた。


 どちらにも同席していたマイャリスは、かなり彼が心を砕いていることを知り、それがまさしく記憶の中の彼ならば、と思える態度と言動で、人知れず安堵から涙しそうになるのを堪えていた。


 使用人らは、希望者には、州城での働き口を優先的に斡旋される。しかし、この屋敷の使用人の殆どが地元の者だから、この地を離れにくい者もいて、それについては、この地域を引き継ぐ者に雇用されることになっているという。


 どちらも望まないのであれば、紹介状を書くことも約束されていて、加えて向こう2年分の生活費として退職金をこころづけもされた額で出されるのだそう。


 いずれも望まないのであれば、要望をきくことも可能である、と。


 それらを聞いた彼らは、心底ほっとした様子だった。


 警護を担ってくれている者をはじめ、生き残った近衛は、素行を調査された後になるが、次の州侯の近衛として雇用される。もちろんこれも望まない場合は、紹介状、退職金が渡される。


「皆のこれからが明るそうで、安心しました」


 ところで、とリュディガーは視線をマイャリスへと戻す。


「__君は、君自身の処遇にまったく触れないが……まさか、感心がないのか?」


 指摘に、はた、と置かれていた状況を思い出した。


「あ……忘れていました」


「忘れて?」


「いえ……厳密には、忘れてはいなかったのですが……とにかく、日々不安そうにしている皆さんがいて……何もしてあげられないのですから……」


 なるほど、とリュディガーは腕を組んだ。


「__で、どうなるのですか?」


「実のところまだ決まってはいない」


「……え」


 言葉に詰まってしまった。


 目を見開いていると、彼は軽く肩をすくめてお茶を飲む。


「というのは、冗談だ」


 彼の言葉は理解に窮するもので、意味がわかって思わず軽く睨みつけてしまった。


「リュディガー……ほぼ無表情の貴方に冗談を言われても、本当だとしか思えないです」


「それは……そうか」


 すまなかった、という彼だが、さほど表情に罪悪感の片鱗さえみえない。冗談でさらに返しているのか、心の底から詫びているのかわからないから、マイャリスは小さくため息をこぼす。


「半分、事実だ」


「半分?」


「ほぼ決まってはいるようなものなんだが……今、まだ、処理しなければならない事案ができてしまって、それ次第らしい。明日か明後日には、連絡がくる__これで」


 言って、彼は肩に乗ったままのオーリオルを机へおろした。

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