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遠い記憶 Ⅱ

 遠い眼差しでいる彼は、遠い記憶を辿っているのだろう。


 重苦しくはないが、神妙な空気に包まれた部屋に幾分か慣れてきたマイャリスは、フォンゼルの言葉を待ちつつもお茶を一口飲んだ。


 その時、窓ガラスを何かが擦ったような乾いた音がして、マイャリスは身体を弾ませ振り返る。


 見れば、窓の外は風が俄に強くなっていて、窓辺近くの枝がひっかいたようだ。


「__見習いの時、3ヶ月ほど彼が急に長期で休みを取ったことがあった」


 フォンゼルが語りだし、彼を見れば、彼はやや鋭い眼光で窓の外を見ていた。彼もどうやら物音のした窓へ意識を向けていたらしい。


「……あれは、あの当時知らされていなかったが、密命を受けて彼の祖国へ赴く為。……それは機密扱いで、当然見習いの私は知らなかったから、復帰してからの彼の変わり様は理解に苦しんだ」


 彼の故郷ブロークリントが瘴気に()まれ、まさしくその場にいたという。


 どのような惨状だったのだろう。


 つい先だって、魔穴から魔が溢れた状況をこの身をもって知ったが、あれ以上の惨状となるとただもう呆然と立ち尽くすしかできなかったかもしれない。


 当時の彼は、間違いなく打ちのめされていたに違いない。


 それを阻止するために、密命を受けて派遣されていたのだから。


「それから、彼は氣多廟で行方不明になった。__不可知の領分での行方不明は、魔穴での行方不明と同義。故に、彼は一ヶ月後には死亡とみなされた」


 それを生じさせた根源に、帝国の龍室がかかわっていたと知れば、矛先をそちらへ向けるというのは頷ける。


 __許されないことだけど……。


 鬱屈した想いが、望郷の想いが、魔穴で祖国へと続く道を開き、禍事の神の麾下と結びつけた。


 もはや彼には、失うものなどない。


 それを境に、どんなことでも出来たのだろう。


 帝国民など、些末なもの、取るに足らないもの。


 使って、不要になれば捨てれば良い。替えなどいくらでも利くのだから。


 __理解してほしいと、私が言ったことがあるか?


 そう言い放った、彼の視線の鋭さと昏さを思い出し、ぞくり、悪寒が走り抜け、ぎゅっ、と膝に置いていた手に力を込めて耐えた。


 自分は、意見する根底には、解りたいという想いがあったのだと、今ならば思う。


 間違いなく彼は、自分に衣食住を与えてくれる存在で、思い入れが芽生えないはずがないのだ。


「とても、優秀だった。本当に。ロンフォールという名前を誇りに思い、かつての偉人ロンフォールのようにならないと、と志をもって龍騎士を目指していたぐらいだから」


 ロンフォールという名前は、そこそこに聞く名前である。


 この国の建国に関わった偉人ロンフォール。


 ギオルギやギオルク、ニノやニナという名前と同様、その功績にあやかろうとして名付けられる。これは外つ国にも伝わっていて、そのままであったり、あるいは現地の訛も混ざったりしながらも名付けることがあるらしい。


「彼がもしあのまま龍騎士になっていたら、私でなく彼こそが団長になっていただろう」


 マイャリスは、目をわずかに見開く。


「外つ国出身者とは、知られていなかったのですか?」


「それは、周知のことだった。外つ国出身者であったが、龍騎士を誇りに思っていて……帝国への、陛下への忠誠も間違いなくあった。あの出来事がなければ……」


 フォンゼルは、茶器へと改めて視線を落として、その目元に力を込める。


「まあ、あの出来事で揺らいだということは、どこかやはり心の底まで帝国を愛してはいなかったのだろう。ただ単純になりたい動機の根底には、国内外問わず、世界屈指の精鋭、誉れ高い龍帝従騎士団に入団する、という箔を求めてのことだったのかもしれない」


「……しかし、帝国をこれ以上なく誇りに思っていたとしたら、帝国の負の側面を見て、愛国心の反動で__」


「我々を見縊(みくび)らないで頂きたい」


 それはかなり強く吐き捨てるような口調で、マイャリスはびくり、と思わず身体を弾ませた。


「我が国は、信条の自由は許されている。同時に、結社の自由も。それは等しく龍騎士にも許されている。だが、帝国を滅ぼそう__そんなことを思う輩は、どうやっても龍に認められることはない。たとえ龍騎士になった後であっても、途端に龍に見限られ、龍騎士ではなくなる。それが我々」


 彼らが駆る龍は、そうした篩にかけるような能力も備わっているということか。


 彼が内心で帝国など瘴気へ沈めばいいなどと思った。であれば、どんなに優秀であっても龍騎士見習い止まりで、結局は龍騎士になることはない。


 龍騎士は龍帝の手足であり、意思の体現者__そんな現役龍騎士の中から謀反者が現れるという前代未聞な不祥事が起きることは防げる。


 龍が天秤にかける__それはつまり、すでに用意されていた、謂うなれば防壁ということだ。


「__今回の事件を受け、明確に外つ国出身者の階級に上限を設ける方針がほぼ固まった」


 これについては、大学でマイャリスもその危険性について講義で考えさせられたことである。


 帝国に置いての最高刑は国家転覆罪。これは死罪が適応される。全容解明のために捕縛しても、覆ることがない罪。


「私が彼の存在に__かつての彼だと気づいていれば、ここまで酷いことにはならなかった。__幼少の頃から、貴女には特に申し訳ないことを……。ご両親を、奪わせてしまった」


「それは、貴方のせいでは__」


「お心遣いはありがたいが、事実は事実に違いない」


 言う先を制する言葉は、一切の異論を受け付けないというほど、覇気に溢れたものだった。


「貴女だけは、絶対に災禍からお護りすると誓う。__貴女のご両親にも誓って」


「両親……」


 ええ、と頷いたフォンゼルは、お茶をひとつ口に含む。


「__ご両親と言えば」


「……何でしょう?」


「おそらくですが……察するに展墓(てんぼ)されたことはないのでは?」


 マイャリスは息を詰めた。


 墓参りは、一度としてなかった。


 葬儀を遠巻きに眺め、それきり。


 どこにあるのかも、霞がかった記憶の彼方。


「は、はい……」


「ご希望であれば、お連れしましょう」


 聞き間違いか__弾かれるように顔を上げるマイャリス。


「い、いいんですか?」


 対して、フォンゼルは驚いたような顔をする。


「どうして駄目なことがありましょう」


 考えたこともなかった。


 そこまで考えが浮かばなかった。

 

 __やっぱり……私は、薄情者だわ……。


 色々な状況が絡み合っていたとはいえ、懇願もしなかったのは事実。


 内心自嘲して、マイャリスはうつむく。


「すぐには無理だが、いずれ」


「ありがとう、ございます……」


 今更、こんな薄情者の自分が両親に顔向けができるわけがない__そんな言葉は飲み込んで、マイャリスは素直に厚意に感謝した。


 風が窓を叩く。


 上層に位置するこの屋敷は、風が冷たい。冬枯れの季節である今は、なおさら。


 窓の外の風が先程にもまして強くなってきたからか、部屋の空気が冷やされたようにマイャリスには感じられてならなかった。

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