遠い記憶 Ⅰ
リュディガーらが帝都へ去ってから、3日が経った。
マイャリスはその間、相変わらず以前のように州城にある私室と、冬枯れに近づく庭とを生活圏として宛てがわれていた。
話し相手は、警護のクラインとフルゴル、アンブラ。特に身の回りの世話は、フルゴルに一任されているようだった。必ずそのうちの誰か一人は側近くにいて、話し相手をしてくれている。
そんな彼らとともに、起きてから一日の大半を庭に出て、少しづつ片付いていく州都を、霧の合間に見守るマイャリスだが、この日は昼食の後、面会を求められた。
一挙手一投足を吟味されているような心地に、マイャリスはなるべく平静を装ってお茶を淹れる。
目の前の男は三白眼の鋭い印象の目で、お茶を注がれても一切マイャリスから視線を外すことはなかった。
その肩には黄金色の猫ほどの大きさの龍オーリオルがいて、龍にしては羽毛に覆われて愛嬌があるのだが、それとは真逆の視線を所持者である男から向けられている。
話がしたい、と申し出を受け、私室に訪れたハーディー・フォン・フォンゼル団長に、マイャリスは手ずからお茶の席を整えていた。
こういう時、クラインが居ればとは思うが、警護の彼は、フォンゼルによって席を外され、扉の向こうの廊下で待機である。
フルゴルもアンブラも、瘴気の処理等で時折いない。今もそうだ。
「貴女と貴女のご両親の墓を確認させました」
自身の茶器にも注ぎ終え居住まいを正そうとした途端、フォンゼルが投げかけた言葉はいくらか鋭い口調で、しかも、墓、という言葉も相まってマイャリスはわずかに身体を弾ませてしまう。
「お墓……」
「貴女の墓には、身代わりにされたような遺骨はなかった。当時の記録の通り、ご両親の葬儀の際、そこで小さい貴女は他の参列者同様、魔物に襲われて食われてしまったから、遺体のないままで貴女の葬儀は行われていた。__ご記憶は?」
マイャリスは、言葉に詰まった。
そのあたりの記憶は、本当に曖昧で、寧ろ、なかったこと、とも言えるような記憶なのだ。
それでも精一杯記憶を手繰り寄せるマイャリス。
「……護衛のような、常に誰かが傍にはいた気がしますが……あとは、遠くから葬儀を眺めていたような場面が思い出せるばかりです」
「遠く?」
フォンゼルの視線が動いて、マイャリスを射抜く。
「はい。目の前で葬儀を行ったのも見たように思うのですが、遠くから眺めてもいる……それほど、当時の記憶が曖昧なのです。すみません……」
明確に答えられない__きっと、フォンゼル団長という人物は、そうした答えは好かないし、苛立たせることに違いない。
身を縮こまらせていれば、フォンゼルは腕を組んだ。
「……獬豸の血胤が身罷られた、という出来事は、中央では__その存在を知る者の間では大きな出来事だった。故にその直後には、護衛に龍騎士が派遣されていた。そして葬儀の後、そのまま速やかに帝都へ連れ帰り保護する手筈になっていた」
「そうだったのですか」
「はい。__葬儀の際、現れた魔物は2体だった。その龍騎士は、魔物の一方と相打ちになって……貴女は、もう一方の魔物に……そちらは逃げ果せている。目撃者の証言やらをまとめた資料を見るに、あの魔物らも、ロンフォールの仕業だと思われる。突然魔物の襲撃を受けた混乱の中、魔物に食われるような形で貴女を攫った……。おそらく、その瞬間を待っていたのだろう。龍騎士が護衛する娘こそが、目的の娘だから」
「どういう……」
「あの当時、同じように数年に渡って文官と神官が何名か亡くなっていた。獬豸の血胤をあぶり出そうと、殺しながら探していたのだろう。__さすがに、アドルフォル・チェーニもそれを明かしてはいなかったようだな」
__アドルフォルという名前は……リュディガーの本当のご尊父の名前よね。
マイャリスは、苦い想いがこみ上げてきて、思わず茶器を手に取り、それを流し込むように飲む。
「彼は企てを知り、中央へ報せようとして殺された。それから数年、じっくりと怪しまれないよう時間をかけ探していた。今回の皆既月蝕までに整えばよいわけだ。宿願が確実に果たせるその日までに」
自分が幼い頃、自分が認識していない範囲で行われていた蛮行。
こうして改めて認識すると、彼らや彼らの遺族には謝罪してもしきれない気持ちが溢れてくる。
自分の使命を知らず、彼らの犠牲さえも気づけずに今日までいたという事実は、この上ない罪悪感を抱かせるには十分だ。
「__貴女の養父ロンフォール・ラヴィルは、本名をフィスクムと言うらしいが、事実ですか?」
「私も、あの事件当夜になって知ったので……存じ上げませんでした」
「左様か」
冷たく言い、フォンゼルはやっと視線を切ると、カップに手を伸ばしてお茶を飲み、それを戻したところで、じぃっ、と中身を見つめていた。
重い沈黙に、マイャリスは膝に置いていた両手を握りしめる。
なんとなくだが、許可がなければお茶に手を伸ばすことも憚られるようだったのだ。
「ロンフォールは……彼は、どういう男でしたか」
それは、いくらか鋭さを欠いた口調だった。
「えぇっと……あの人は、手段を選ばない人でした。利用できる者は人だろうが物だろうが……育ててくれている恩人でも、子供ながらにそれはあまりにも目に余っていて……。切り捨てることを厭わず、情なんて持ち合わせてはいない。__だからこそ不思議だった。どうして、私を手放さないのか、と。どれだけやり方に口を出しても、それを煙たがっても、決して手放さなかった……」
それさえも、目的の為だったのだ。遠ざけてしまえば、大したことではない。
「__天秤にかけ、かつ大局的にみていた戦略だったのでしょう……今にして思えば」
歳を重ねるごとに彼は口を出せば、その仕返しとして矛先を使用人に向けるようになっていった。
マイャリスも手を変え品を変え抗ってはいたが、終には寄宿学校送りにされてしまった。それに堪えなかったと言えば嘘にはなるが、それで挫けず、隙あらば口を出し続けていたが、使用人がある種の人質であったのは言うまでもない。
__それでも、諌められなかったことに変わりない……。
もっとも傍にいたのは自分なのだから。
「……申し訳なかった」
口を引き結んで目の前の男の出方を見守っていれば、ため息交じりにこぼすものだからマイャリスは面食らう。
何故、彼が謝るのだろう。意図がわからず、困惑する。
「彼は、私と同期__同僚になるはずだった」
「それは……龍騎士見習いだったとは知りましたが……」
「そう。彼は、見習い騎士__片翼だった。よく知る仲だった……知っていたのに、今回の事件まで、全く彼だと気づけなかった。うまい具合に、彼とはただの一度も顔を合わせなかったこともあるが……私は彼がもう死んでいると諦め、その死を疑っていなかったことが根底にある。もし会えていたとしても、向こう明かさない限り、よく似た別人__それ止まりだった可能性がある」
「確か……氣多廟で行方不明になった見習い騎士がいる、と……それが自分だと言っていました」
こくり、と遠い眼差しで眺めていた茶器の持ち手を、指先でフォンゼルは撫でた。
その手は、武官らしく節くれだっていて無骨である。




