矜持の帰還 Ⅰ
口布のある兜を、小柄で細身の人物が外しにかかるのに倣い、大柄な人物も外す。
その大柄な方の人物に、マイャリスは釘付けになった。
榛色の髪の毛はしっかりと整えられ、一切の乱れがない。力強い眼光の、青。その奥に眠るような紫は、彼の信念の強さを表しているようだった。
相変わらず、表情の変化に乏しい彼だが、いつぞや、この庭園で再会したときとは異なり、彼の表情は昏くはない。
近衛の甲冑は黒を基調としたものだったが、今の彼が纏っている甲冑は、陽の光を浴びて輝く銀。
その甲冑が弾く光りもあってか、彼の顔は生気が溢れて見えるのかもしれない。
見ているだけで高揚するそれは、まさしく帝国の誇りである。
「フルゴルから聞いていますが、体調は、いかがで?」
フォンゼルの問いかけに、マイャリスは我に返った。
答えようとするが、その彼の肩に目が釘付けになる。
彼の肩__首にぐるり、と襟巻きのように黄金色の毛皮が巻かれている。
それは、オーリオルという種の、龍騎士が使役する小型の龍。
大きさは猫ほど。身体は猫のそれだが、鳥のような翼と嘴のような形の口元。そこにわずかに牙が覗く。小振りな一対の角を戴いていて、尾花のような優美な尾を首に巻き付け、龍騎士の肩に乗るのだ。
オーリオルは特殊な龍で、個体同士で情報のやり取りができる。これを利用し、龍騎士らは相互にやりとりを行う。
蒼穹のような目が、愛らしくもマイャリスを吟味するように細められて、少しばかり身構えた。
「お、お陰様で……こうして」
「左様ですか。しかしながら、御身の安全に係わることとは申せ、州城のこの邸宅へ押し込めてしまっていること、平にご容赦頂きたい」
「はい、それは、承知しております」
州侯の娘__そこに養女ということは関係ない。
憎しみを向ける対象として、それで十分なのだ。
自分でも、つい最近までそれは盲点で、身をもって知ることになった。
__でも、帝国としては、獬豸の血胤最後の私がこの世からいなくなったほうが、永劫鏡を保持できるでしょうに……何故、護るようなことをするのだろう。
鏡を壊す手段は自分しか持ち得ていない。
そんな自分が__保護され、生かされていた自分が、いつ牙をむくか知れないのだ。則ち、帝国にとって百害あって一利なし。
「現状、イェソドは暫定的に私が治めています。中継ぎ、とも言えますが。取り急ぎ、復興へ向けての下地作り__それに取り掛かっているところです。そして、貴女の処遇は、これから決まります」
「処遇……ですか」
是、とフォンゼルは頷いた。
「__では。どうぞ、ご自愛を」
こちらの質問を受け付ける素振りもない、あまりにも端的な一方的な会話で、呆気にとられるマイャリス。
それを気にも止めず、一礼して踵を返すフォンゼルだが、クラインが大きく手を一つ打った。
「__あ! 団長閣下、少々よろしいですか? ついでにご相談が……」
思い出したような声を上げるクラインに、何だ、と踵を返したばかりのフォンゼルは眉をひそめて振り返る。
「こちらのやんごとなきご令嬢の警備の長として、いくつか気がかりがありまして__あ、ナハトリンデン卿、ちょっとそちらお預けします」
リュディガーの返事を待たず、誘導するようにクラインがフォンゼルの背を押して、先に行ってしまった。
なにやら話し込みながら離れていく彼らを、呆然と見送るマイャリスは、近くで咳払いをされて我に返る。
見れば、咳払いをしたのはリュディガーだった。
彼は、彼らに続くよう促すので、マイャリスは遅れて後を追うことにする。
二人の後ろには、付かず離れずの距離でアンブラが続いていた。
「君は、体調は?」
「え……。ですから、もうこうして出歩いているぐらいには」
「__本当のところを」
リュディガーには敵わない、と苦笑を浮かべるマイャリス。
「……ほんの少しだけ、ふわふわした感じがするだけで、いたっていつも通りです。リュディガーは?」
「まだ内臓が、こう……ぐるぐると気持ち悪く動く、不快感が時々迫り上がって来るときがあるが……まあ、この程度ならってところだ。負った傷は、アンブラとフルゴル、そして神官のお陰でもうなんともない。どの傷も……一番酷いところで、かすり傷だと言えるぐらいになっている」
痛みを堪えるわけでもなく、穏やかに余裕を持って答える彼に安堵する。
先程からの彼の挙動を見るに、外傷は大丈夫な様子であることは伺い痴れていたが、改めて本人の口から聞くとより安心する。それは勿論、嘘偽りない回答だからとわかるからだ。
「甲冑はどうしたの?」
「運んでもらっていたらしい」
「らしい?」
「応援部隊が運んできたんだ。私は昏倒していたから。目覚めて、動けるようになったら途端に、着ろ、と言われた。非常時だからな」
リュディガーは軽く視線とともに顎をしゃくって、指示したのはフォンゼルだ、と示した。
「第一礼装のあの格好は、特別に誂えて瘴気を軽減するようにしていたが、防御の面では布だからどうやっても甲冑に劣る。特別な礼装__物理的な方面での強化しておいてもいいが、それはそれで馬鹿みたいに高価になるし、何より痴れ者に感づかれるからな。なんでそんな成りをしている、と。__お陰で、仕込みの装備も全て切り捨てざるを得なかった」
「仕込み……?」
反芻すると、例えば、とリュディガーが徐に腰のベルトの留具を示した。
その動作で、彼が私服警備をしたとき、ベルトの留め具を加工した小刀を有していることを思い出す。
「あの礼装では、その特性を最大限に引き出すため仕込めなかった。ベルトも呪術的な方へ思いっきり振ったらしいからな」
「そうなのね」
リュディガーは自身の成りを、歩きながら改めて見た。
「甲冑といっても、しばらくあの近衛の甲冑だったから、なんというか……これは、こそばゆい感じがする」
「初めて見ました」
リュディガーはわずかに目を見開いて、驚いたように足を止める。
「そうだったか?」
「ええ。招集を受けて大学から出たっていう日も、私いなかったですから。リュディガーのこの姿は初めてです」
__夢で、見かけたことは幾度かあったけれども……。
きっとこうなのだろう、と夢で見かける度、目覚めてそう思った。
「よく似合っています」
「それは……まぁ、龍騎士冥利に尽きる、とでも言っておこう」
契約の代償で喜と楽の表情は縛られて出せず、仏頂面と言えるものの、どこか照れたように見えるから、マイャリスはくすり、と笑ってしまった。
そこに、俄に空が陰ったが、すぐに明るくなる。
はて、と思って見上げると、やや強く風が吹き抜けていき、龍が庭園の上を一周していることを知る。
龍は二騎。それらは、庭園の開けた場所へと降り立った。
一方は、不思議なことに鞍が空で、マイャリスは小首をかしげる。
「時間か」
__時間……?
リュディガーが目で少しばかり急ぐと告げてくるので、マイャリスは怪訝に思いながらも意図を汲んで頷き、彼に合わせて歩調を早める。




