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空ナ刻 Ⅰ

 リュディガーは、ふぅ、とため息を吐くと同時に、身体のこわばりを解いた。


 首の根元から肩にかけて、まだ残るこわばりを解すように揉み、そして背もたれへ身を預ける。


 目の前の机は、いつの間にか空間はなくなっていた。


 広げた本は無意識のうちに幾重も重なり、机と横の窓の縁を専有し、文字を連ねた紙を辛うじて置けているような有様。


 文字で埋め尽くしてしまった紙を新しくしよう、と手を伸ばす__そこで、手に触れた重石に思わず見入ってしまった。


 硝子でできた、歪さがある重石。


 ぎゅっ、と奥歯を噛み締め、リュディガーは重石の下から紙を取り出して、文字で埋め尽くした紙を軽くどかして広げた。


 気を取り直して、一心に本と紙とを行き来する。


 こうしている間が、何も考えず、ある種の無心でいられる。今の自分にとって、平常心を保っていられる瞬間だった。


 忙しく過ごす。


 追い詰めるように、そうしていれば、余計なことは考えないで済む。


 __余計……?


 ぴた、と手が止まった。


 そうして、再び視線は視界の端の、本の影からわずかに覗く硝子の重石に移る。


 __どこが、余計だと?


 言い訳に出た言葉。


 大した意味もなくつぶやいた言葉のはずだが、それが妙にひっかかり、罪悪感が鎌首を上げた。


「何様だ、お前は」


 こめかみを痛いくらいにわざと押さえ、気持ちを無理やり切り替えて、再び集中力を取り戻し、机に向かう__が、扉が誰かに叩かれた。


「リュディガー」


「……」


 学友のエトムントだ。


 だが、無視を決め込み、机に向かう。


「おい! 居るんだろ!」


 より強く扉が叩かれた。


 さらにこれも無視を決め込む。最近はこれで、集中しているから、と彼は諦めてくれるのだが、この日は違った。


 一層、嫌がらせでは、というほどけたたましく扉を叩くのだ。


「あああああ! 腹立つ! もういい! 蹴破る!」


 宣言通り、彼はどうやら扉を蹴りだしたらしい。


 鈍く、重い音。


 蹴破る破壊力を出すには、もう一声、というところ止まりなのは、彼にまだ理性があるからだ。


 とは申せ、体重を乗せたそれを続けられれば、流石に壊されてしまうだろう。それはたまったものではないから、リュディガーは負けを認めてペンを握り締めたまま扉に向かい、無言で開けた。


「わっ__」


 短い悲鳴を上げて、受け止める扉をなくしたエトムントは、勢いを殺せないまま部屋の中へと転がり込んだ。


「いってぇ……。くっそ、お前! そういうのは反則だろうが! お前、ここまでしないと最近出て来ないの、どうにかしろよ!」


 床に身体をおこし、腰をさすりながらびっ、と指を指してくるエトムントに、リュディガーは小さくため息を吐いた。


「ってか、寒ィなこの部屋……おい、暖炉消え__」


「要件は」


 細かいことまで話が及びそうになるのを、リュディガーは阻止するために強く言い放つ。


 すると、彼はぶすっ、とあからさまに不機嫌な表情になって腕を組んだ。


「ビルネンベルク先生が呼んでるんだよ」


 またか、とリュディガーは内心、舌打ちした。


 ここのところ、何かにつけて呼びだててくる担当教官。


 以前の無理難題な課題や指示、小間使いをさせるため、というより、昨今は様子を見ることに重きを置かれている気がしてならない。


 腫れ物に触れる風ではないものの、それでもいくらかそうした含みがあることは、リュディガーでも察せられた。


「学長室だ」


「学長? ビルネンベルク先生の部屋でなく?」


「そうだよ。すぐに来い、と。火急も火急だそうだ」


「……わかった」


 ため息交じりに応じて、リュディガーは机へと戻る。


 いつもであれば、エトムントはそこで引き返すはずなのに、このときは腕を組んだまま動く気配がなかった。


「何だ、エトムント」


「__何日寝てない」


 エトムントの唸るような声に、机の上の本を、戻ってきてから不便がないように、と仕分けをしている手が一瞬淀んだ。


「三徹……四徹目か?」


「……」


「お前、身体壊すぞ」


 正直に言えば、何日目か記憶が曖昧だ。


 完全に寝ていないわけではない。


 休んではいる。ただ、熟睡とはかけ離れたものだから、リュディガーは何も言えなかった。


 いざ寝ようとしても、よくわからないが頭が冴えてしまう。


 頭を働かせて、疲れ切ってしまえば、事切れたように気がつけば眠れるから、それが来るのを、ただ身を委ねるように待っているに過ぎない。


 今回はたまたま、彼の言う通り数日その状態が維持されている。


 不思議とそんな状態でも知識は蓄えられるから、勉強のほうは以前よりも駆け足のように早く修めていた。


「……とにかく、行けよ。休憩がてら」


「……あぁ……」


 呆れたため息をこぼす学友に、リュディガーはやっと手元の作業に見切りをつけて離れる。


「__すまん」


「心配かけてるって自覚があるなら、本当に改めろよ、お前。態度で示せ、態度で」


 ばん、と強く背中を叩かれ、リュディガーは部屋を後にした。




 学長室とは何事だろう__リュディガーは、苦い虫を噛んだ顔になっていた。


 学長室に呼ばれるなど、およそ通常の生活を送っていれば、ほぼないと言ってよい。


 いよいよ学長にまで話があがって、昨今の生活態度を咎められるのだろうか。一応、元龍騎士という肩書があるから、そちらの顔に泥をぬることはないようそこまで素行不良にはなっていないはずだ。それに成績は落ちていない。寧ろ良い評価を叩き出しているというのに、とうんざり、としながら重い足取りで階段を登り、一番奥の学長室へと至った。


 ひとつ呼吸を整えて意を決し、ノックをして名乗ると、学長の厳かな声で入室の許可がされる。


 落ち着いた香が醸し出される部屋は、学長室というだけあってとても広い。


 執務用の机とは別、応接用の卓と長椅子__そこにレナーテル学長とビルネンベルク。それから、もう一人__その人物に、リュディガーは立ち尽くした。


「何故、ハン・シファさんが……」


 すらり、とした見た目のビルネンベルクとレナーテルのふたりに対して、ハン・シファは見るからに重心が低く、押しつぶしたようにずんぐりむっくりとした小柄な壮年の男である。


 ハン・シファはツヴェルク族と呼ばれる種族。それは、十の種族のうち妖精族という種族の一種。レナーテルら耳長族(エルフ)と同じ種の括りであるが、こちらは身体的特徴で小人族と呼ばれる。


 彼らは成人した人間の腰の高さほどの身丈で、少しばかりどんくさいように見えるものの、とても手先が器用な者が多い傾向がある。そして、力も強いという。


 故に、彫金をはじめとした細かい作業や、石工や鍛冶職人になることが多い。


 ハン・シファもまた、例に漏れず職人__彫金師。


 しかも彼の場合、直せないものはない、というほど彫金師という括りにしては失礼なほど、大抵のものは直せてしまう。


 政府で管理している宝物の修繕の依頼も受けることが多く、帝都では五本の指に入るほどの職人だ。


 そんな彼への依頼は、やはりそこそこに待たなければならない。


 リュディガーも龍騎士として彼を知り、彼に度々、私物の修繕を頼んでいるような仲で、先だっては父の懐中時計、そして今もまた別件の依頼中である。


 促されて後ろ手で扉を締め、一同の下へと歩み寄る。


「……お前さん、これ覚えているよな?」


 しゃがれた声でハンが尋ね、机に置かれていた箱を開けた。


「無論。私が、修繕の依頼をしている……いた物」


 そこには、たしかに依頼をしていた修理の品があって、しかも修繕が終わって元通りの姿になっていた。


「__これを、どこでどうしたか教えなさい」


 レナーテルが静かに、それでいて強く問いただしてきたから、眉をひそめる。

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