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龍の秩序 Ⅳ

 天井から生えているのは、樹齢が想像もできないほど年月を重ねた大樹。


 鈍色に輝く大樹の表面は、まるで細かい鏡がびっしり敷き詰められたような樹皮に覆われ、周囲の景色を切り取り映し出している。


 光の粉はどこからともなく空間を舞うが、地上に落ちる前に、溶けていくように消えてしまう。


 光が舞い落ちると、それが発しているのか常に心地よい音色が響く。その音が、より静謐さを際立たせていた。


 葉は地に向かって大きく枝を伸ばし、大きな葉は重なり合って、空間の中央に佇む台座を__台座の上の何かを、ふっくら、と包み込む。


 何か、は球。


 ひと一人ほどの直径を有した、球。


 真っ黒い球は、静止しているようにも見えるが、高速で自転しているようにも見える。


 球は、少し前に見かけたときよりも安定しているように見受けられた。なにせ、大きさ__拍動しておらず、常に輪郭が一定の大きさなのだ。


 それを包むこの銀樹こそが、影身、と呼ばれるもの。


 フルゴルの助言があったからこそ処置できたが、そもそも、こうあるべき、という感覚が冴えていて、もしかしたら本能のままに処置できたのかもしれない。

 

 __終わった……。


 その光景を見て、思ったのはそれだった。


 極度の安堵。


 どっ、と身体を襲う虚脱に、マイャリスは逆らえなかった。


 今は足の先から頭のてっぺんまで、熱い。


 身体の中心が特に、頭上へ向かって熱が吹き出すように__そして、気づいたら、今は寝台の上。


 ふわふわ、とした浮遊感は、微熱があるからだろうか。


 視界に窓を見つけてそちらを見た。


 __明るい……。


 闇が、月を連れて地平に溶けていく様が見える。


 月は、一切の欠けがない満月。


 地平に近くなり、やや赤み掛かった黄土色に見えるその月は、月蝕のその紅とは違い、厳かな雰囲気を纏っている。


 __静かだわ……。


 穏やかな気配に満ちた部屋は、つい今しがたまでの異形の咆哮や不穏な地響きが夢だったように思わせる。


 終わりを迎えると、こうも変わるのか__ぼんやり、と窓の外を見つめていると、扉が開いて、踏み入る人の気配がした。


「__お目覚めですね」


 フルゴルである。


 首をそちらに返す__そこで、部屋がかつて自分が過ごしていた州城の私室だと気づいた。


「あの……」


「影身を然るべき場所へおさめた直後、倒れられたのです。ここは__」


「州城の私室、ですね?」


 幾分かかすれた声で答えると、フルゴルがわずかに驚いたように目を見開いたが、すぐに穏やかな目元になった彼女は、ふわりと笑み、頷く。


「本当に、もう、終わったのですか……?」


「はい」


 きっぱり、と彼女が言い切ってくれて、マイャリスは心の底から安堵のため息をもらした。


「龍騎士の増援と、州兵も戻ってきて、事後処理はほぼ完了ということです」


「……リュディガーは? アンブラやオーガスティ__えぇっと……」


「クリストフ・クラインですか?」


「はい。皆はどう……?」


「クラインは、扉の向こうで警護に。アンブラはリュディガーについております。リュディガーは、まだ残穢がございまして……」


 残穢、と小さく反芻し、マイャリスは身体を起こす。


 ぐわらん、と途端に頭が鈍く痛み、すかさず足早に歩み寄ったフルゴルが背中に手を添えた。


「影身の安置で、お力添えをしていただいたので、まだその余韻があるのだと」


「そう……」


 小さく笑った彼女は、背に添えた手とは別のもう一方の手を肩におき、それらを使って寝台へ静かに横たえさせる。


「どうぞごゆっくりお休みください。__リュディガーはまだ数日は目覚めませんから」


「それは……大丈夫なのですか?」


「勿論。我々がついておりますから。今は、とにかくマイャリス様ご自身の静養をお考えください」


 彼女の言う通り、何をするにもまずは自身の療養が先決なのは違いない。


 はい、と頷いて、今一度深呼吸をし、目を閉じる。


 すると、あっさりと意識が深く落ちて行こうとする感覚に襲われ、抗うことなく沈んでいった。




 夜が明け、昼近くに目覚めたものの、身体の倦怠感は収まるどころか増していた為、マイャリスは私室の寝台からほぼ動けなかった。


 身の回りの世話はフルゴルが行い、他の接触は一切ない。さらに翌日は、嘘のように身体が軽く、フルゴルの許可もあって庭園には出ることができた。


 護衛には、かつてのようにオーガスティン__もとい、クラインが当てられて、まるで当時を擬えるように彼に色々と状況を教えてもらった。


 リュディガーは鏡を安置させた後、合流した時には昏倒していてアンブラと彼の龍が守っていた状況だったそう。


 彼は今、州城の一室で隔離されて処置を受けているという。


「まぁ、よくあそこまで耐えてましたよ。通常なら、とっくに意識が飛んでいただろうし、下手をすれば……」


「なんです?」


「廃人ですよ、廃人」


「はい、じん……」


「契約者だったから、あの程度で済んだんです。まあ、当人が一番分かっているでしょうがね」


 マイャリスが進む歩調に合わせ、続くクラインの言葉に苦いものがこみ上げてくる。


 素人であるが、きっとそうした危険な橋を渡っていたに違いないとわかるのだ。


 フルゴルから予め聞いていた話だと、順調にいけば、目覚めるのは今日か明日だという。


 __契約者だから、それで済んだ……。


 フルゴルとアンブラがいなければ、クラインが言う通り、回復せず廃人になっていたことだろう。


「……ここの庭も、次の春にしっかりと芽吹くかどうか」


 マイャリスが触れた木は、菩提樹。


 最後の死闘が繰り広げられた、あの現場近くにあった大樹である。


 以前触れたときよりも、樹皮に乾燥がめだち、色もくすんでいて、触れれば、ぽろぽろ、と剥がれていく。


 冬に向けて乾燥がちだからだろうか、と思っていたが、それにしても細い枝は風が吹く度、乾いた音を立てて折れていっているように見えたのだ。


 試しに手近なところの枝をひとつ、手の中で伸びる方向とは違う方向へ負荷をかけてみると、ぽきり、と簡単に折れてしまった。


 ぱさつき、とげとげとした断面は、水が通っていない証拠。


 他の枝を見てみるが、同じような色味と、樹皮の乾燥具合である。見るからに状態は同様らしい。


 ここでこの時期の木々の枝のことを覚えているが、若い枝がこれほど簡単に折れたことはない。しなりがかならずあって、こんな程度では曲がることも珍しく、折れるなどということはなかった。


 __こんなことになるほどだなんて……。


 数年とはいえ、ほぼ毎日踏み入り、手入れをしてきた庭。自分が自由にすることを許されたこの庭に、思い入れがないはずがない。


 とりわけこの庭で一位二位を争うほど古い木であるそれは、菩提樹ということもあって、マイャリスには特別な意味合いを持っていた。リュディガーの姓の由来の、その木と同じだから__。


「……」


 数少ない大切なものが蹂躙されたことに、マイャリスは顔を曇らせる。


「そんな顔をなさいますな。この庭と違って、ナハトリンデン卿は、(じき)に目覚めますから。保証しますよ」


「ええ……」


 胸の奥が詰まって、手に持った枝を放り、マイャリスは足を進めた。


 くねった道を進み、庭の有様を見るにつけ、足取りは重くなっていく。


 そうして、俯きがちな視界が、さっ、と開けた。


 庭の端に至ったのだ。


 その縁から覗き込むと、いつになく眼下が見通せる。


 それは、鏡をしかるべき場所に収め、瘴気がこれまでよりも抑えられているからだろうか。


 しかし、お陰でまざまざと見せつけられる、眼下に広がる街並みの被害。


 心が、ぎしぎし、と軋んだ。 


 マイャリスが居る州城も、ところどころ崩壊しているところがあった。あの混乱であれば、城も無傷で済むはずがないとは承知でいたが、その瓦礫によって、下の街に被害があったのは言うまでもない。


 倒壊した家屋、火災で焼け落ちた家屋、不自然に空き地のような開けた場所が所々あるが、よくよく目を凝らせば、そこには瓦礫が散乱していて、建物の倒壊などによってできた空間なのだとわかった。


 龍帝従騎士団の龍は、上空と周辺とを警戒して飛んでいるものもいるが、市街でも家屋の撤去に大いに活躍しているのが見て取れる。


 ところどころから昇っている煙は、燻っている火事ではない。炊き出しや、人々が暖を取っているためだとクラインが教えてくれた。


__どれだけの死傷者が出たのだろう……。


 やるせない思いに、縁に置いていた手を握りしめた。


 そこに、がちゃがちゃ、と金属音が近づいてくるので、弾かれるように音のする方を見る。


 クラインはすでに、マイャリスを音のするほうから隠すように前へ進み出ていた。


「__少々、よろしいか?」


 その音が、少しばかり離れた場所でとまって、マイャリスが怪訝にする暇もなく、そちらから上がった声は、アンブラのものだった。


 彼は茂みの影から、すつ、と現れたが、彼の挙動では、先程の金属が擦れ合う重厚な音がしない。


「アンブラ、どうしました?」


「リュディガーが目覚めた」


 こだわりなく言い放った言葉に、マイャリスはどきり、とした。


「ほら、大丈夫だったでしょう?」


「ええ」


「お疑いでしたか、やはり」


「そういうわけでは……ただ、心配で……」


「冗談ですよ、わかっています」


 憎みきれない笑みを浮かべるクライン。


「__彼は、どうなのです? アンブラ」


「実のところ、未明には」


 おや、とクラインが意外そうな声を上げた。


「あのときは、まだ憚られる状態だった」


「なるほど、そういう」


「今は動ける。__そして、挨拶に、とそこまできている。通してもよいか?」


「もちろんです」


 高揚し逸る気持ちを抑えようと胸元で両手を握りしめてみるものの、マイャリスは前のめりになりそうな勢いで頷いてしまった。


 くつくつ、と傍のクラインが潜めて笑うので、気恥ずかしい。


 彼に苦笑を浮かべていれば、アンブラが半歩下がるようにして振り返り、軽く手を振るった。


 そして、彼が身を引くと、その向こうに二人の人物が現れる。


 一人は小柄で細身の人物で、その人物に一歩遅れて続く形の、大柄な人物。どちらも、龍騎士の制服姿__甲冑を纏った姿だった。

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