顕現スルもの Ⅲ
その直後、唐突に火が消えたかと思えば、水が溢れ、今度は新たに炎が爆ぜ、風が奔り__淀みが切れ、炎で照らされた都の街並みが昏い紅い月明かりの中にいくぶんか見えた。
闇を裂く稲光は地面から起き、光の柱が生えたかと思えば、地響きが起こった。地面が不自然に歪み、地面から杭のようなものが突き出、そこに貫かれる異形の姿が目にとまる。
「何……」
夜陰に響き渡る異形の咆哮は、これまでのものと違う質__断末魔の咆哮それになった。それは幾重にも。寄せては引く波のように。
空中庭園が震えるほどの咆哮で、マイャリスは息を飲み半歩下がる。
「龍帝従騎士団の者です」
その言葉の響き。フルゴルの口調はいつもと変わらず穏やかなのに、とても力強い言葉に感じられ、心が高揚した__が彼らに足りないものに気づく。
「でも龍は……」
龍騎士たる所以の龍に乗らないことなどあるのだろうか。龍は彼らの得物の延長と言ってもいい存在だ。
龍を駆るからこそ、恐れられる部隊という認識を世界のどの国からもされている彼ら。龍は彼らの代名詞でもある。
「首都州の魔穴の規模は、さして問題ではない程度だったか……あるいは、そもそも生じなかったのかもしれない」
そのようで、とアンブラに頷いて、フルゴルは視線を眼下で起こる不可思議な出来事を見た。
「__転移装置が起動したら、ヒトだけで乗り込むことになっておりました」
「なっていた……?」
「イャーヴィス元帥が考えた作戦だ。転移装置が動き出したら、先発部隊を転移させる、と」
龍は転移装置を使うことができない__かつてリュディガーが言っていた。
龍騎士の強さの要素である龍だから、龍騎士が龍を捨て置いて転移装置を行くとなれば、丸腰に近い状態で移動することになる、と。
使うことはもちろんあるが、やはりそうしたこともあって、龍で移動するのが常。龍で事足りているし、龍がいない状況は不利だから、必ず龍が必要。__故に皆が皆、すべての転移装置を網羅しているわけではないのだそう。
「聞いたときは、正気の沙汰とは思えなかったが」
「ええ。でも、理にかなってはいましたからね。__龍は、後から来るはずですよ」
「後から?」
「龍だけなら、乗っている者を気にせず、最速で駆けつけることができる。それまで耐えれば、押し切れる。上空で待機、ということも考えられたが、州侯に感づかれないとは言い切れなかったからな」
別の備えをさせられては困るから、ということだろうか。
「率いているのは……フォンゼル団長か」
「団長が? 団長が先陣を?」
あれ、とアンブラが示したのは、州都の中でもっとも激しく変化が見られる場所。断続的に地面が隆起し、その度に魔物の断末魔の咆哮が木霊している。
「帝都から瞬時に転移する。その先に、何が待ち構えているか知れない。状況はわからず、激変がつきまとう。龍もいないのだ。即座に退避などできない。玉砕するかもしれない。団長の代わりならばいくらでもいるから……ということではないのか? イャーヴィス元帥閣下では、軍部全体に影響が出てしまうからな」
眼下の瘴気の淀みが、爆ぜ、割け、絶たれて、次第に視認できる街並みが広がっていく様を見ているマイャリス。
「さて、我々は我々で準備をしておきましょうか」
「準備……鏡を戻す?」
アンブラが持っていた鏡を視線でみやった。
「左様です。安置させていた場所はここよりも瘴気が濃いですし、境界があやふやで危のうございます。こちらで__」
「それはできない。彼女も共に」
フルゴルの言葉を断つように、アンブラが強く言い放った。
なんですって、と彼女にしては珍しく気色ばんだ。
「準備をしておくことは賛成だ。この状況になったのであれば。まだ予断は許されないといえばそうだが、安置するに彼女は欠かせない」
「何故、欠かせないなどと」
自分は、あからさまな特徴を持っている。ひと目見てそれだ、と気づけたアンブラ。彼が知り得ているのであれば、フルゴルだって素性はわかるだろうに__と怪訝にしてしまう。
そして、マイャリスはふと、自分の額にふれる__が、そこに先ほどまであった一角がなく、変な声を上げてしまった。
アンブラとフルゴルが同時に視線を向けてきて、マイャリスは交互にそれぞれを見た。
「……魔穴の中では、ときにその魔素によって本性が出てしまうことがある。リュディガーが、我々が秘しておいた契約者の紋が出てしまったのもそれ故。そして、貴女の一角も同じ原理。今は魔穴の外ですから、これまでと同様に秘したのだと」
「……角?」
フルゴルは怪訝にして、その言葉を反芻する。
そして、逡巡した後、はっ、とした顔になってマイャリスを見た。
「まさか、影身の__獬豸の血胤であらせられる……?」
「えぇっと__」
「そうだ。自覚はつい先程までなかったらしい。……いや、今もか」
視線を泳がせ言葉を探すマイャリスに変わって、アンブラが答えると、フルゴルは言葉を失って目を見開いた。
「道理で……道理で、民族楽器の音が別格な訳でございますね……」
ひとり納得するフルゴルに、マイャリスは戸惑うばかりだ。
「__であれば、ご一緒いただく方がよいですね。……心苦しいですが」
「いえ、役に立てるのなら、ぜひ」
迷うことなく答えて頷く。
これまで何もできなかったのだ。自身の素性は未だにもって実感はないが、それが有用に使えるのであれば、そんなことは些末なこと。どうでもいい。できることをするだけだ。
__命を賭しているのだもの、皆。……リュディガーも。
視線で、移動を促すアンブラは手に鏡を持ち直す。
その彼の姿を見た、彼の背後。十数歩は離れているだろうところに広がる、開けた場所に、何かがあった。
その何かに視線を移し、それがヒトの大きさほどの、照りのない真っ黒い球体だと判別した刹那、アンブラの身体が目の前から消えた。そして、直後には自身に何かがぶつかって地面を転げる。
気がつけば、フルゴルに抱えられながら地面に伏していて、そこでやっと彼女が体当たりをしたのだとわかった。
「ご無礼を」
フルゴルはしかし、視線をあらぬ方へ向けたまま。その横顔、目つきの鋭さの先__そちらで、ちらり、と光るものが見えて、マイャリスも見やる。
それはつい今しがたまでアンブラが手にしていた鏡だった。
鏡は、黒い瘴気の塊に掴まれていて、瘴気の大元は、先程みかけたあの球体らしく、そこから伸びていた。
なおも球体から瘴気が溢れているが、それは粘り気のあるどろり、とした鈍い動きだった。その動きから、どうにも瞬時に動いたようには見えないものだから、不気味さがまして見える。
アンブラは、と探してみれば、ちょうど茂みから、脇腹を抱えてぬらり、と現れる彼を見つけた。
ねっとり、と動く瘴気は、鏡を引き寄せる。同時に玉の形が歪んで、ヒトの形を成した。やがて、真っ黒いヒトは陰影と、濁ってはいるものの色彩を得る。
漆黒の礼装に身を包んだヒト。薄い色の黄金の髪。薄氷のような色の相貌。
「……そ、んな……」
現れた人影に、マイャリスは息が詰まった。
鏡を手に、にたり、と口元を歪めるその人は、養父その人だった。
__リュディガーが、負けた……?
まさか、そんな。
なにかの間違いではないのか。
彼は、龍帝従騎士団の騎士で、龍帝の懐刀と渡り合うほどの実力の持ち主のはず。相当の手練ではないのか。
ぎゅっ、と心臓が縮み、急激に寒気に襲われる。




