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不本意な結婚 Ⅲ

 うっすら、と目を開けると、茜色が見えた。


 それが窓の外の景色だと分かる頃には意識がだいぶ覚醒していて、自分は見知らぬ部屋にいるのだと分かった。


 広さは大学の寮の部屋ほど。そこにの寝台に自分は横たえられていて、掛け布もされている。


 __雨……。


 そう、さきほどまで雨が降っていたはずだ。


 しかし、窓の外は雨上がりらしく、雲が切れ切れに流れていく向こうで、茜色に染まった空が見えていた。


 __州侯の娘、か……。


 自分は襲われた。そして、攫われたかしているのだろうか。


 __皆は……。


 状況を確かめようと、体を起こしたところで扉が開いた。


 ぎくり、と身を強張らせてそちらを見れば、白を基調とした法衣を纏った女性と視線が会う。


「お目覚めの気配がしたもので」


 切れ長の琥珀色の瞳は、すぅ、と細められる。


「……誰、ですか」


 見慣れない顔だ。


 ただ、賊という印象を抱けない品があって、怪訝にしながら問う。


「フルゴルと申します」


 抑揚のない恭しく淑女の礼と取る彼女は、マイャリスよりも年上に見えた。長い髪は高い位置でひとつに結っているだけで、腰まで長く下ろしている。


「具合はいかがですか? 全て治療をしてありますが」


「治療……あの、私たちを襲った者の仲間ではない……?」


 マイャリスの言葉に、茶器が並べられたテーブルに歩み寄っていたフルゴルは目を見開いたが、くすり、と笑う。


「私めが、賊に見えますか」


 彼女の身拵えは、かなり上等なものだ。


 長い裾の法衣は絹でできているのか、滑らかな艶を放ち、刺繍は金糸と輝石を惜しみなく使ったものであるが、下品なほどの華美さはない。何よりも、彼女がその法衣に着られている感じがまったくもってないのだ。


「い、いえ……そんなことは……」


 ふふ、と笑いながら茶器をいじり、お茶を淹れていくフルゴル。その動きは、洗練された品性の塊のような所作で、マイャリスも見惚れてしまうほどだった。


「とりあえずは、この一杯を。頭が冴えます」


 恭しくトレイに載せられて運ばれてきた茶を受け取り、マイャリスは薄い琥珀色の液体を覗いた。


 香り立つそれは、思わず肺いっぱいに吸い込みたくなるほどよい香りで、飲み慣れた紅茶とはまた違ったもの。口元へそれを運べば、口当たりがよい、ほどよい甘さを孕んでいて、鼻から抜ける香りもまたよい。


「もう間もなく、主が戻って参ります」


「主?」


「リュディガー様です」


 さらり、と告げられた名前に、マイャリスは一気に現実に引き戻された心地になり、強く彼女を見つめた。


 何故、彼が。


 彼は、まだ4日はかかる旅程の先に居るはずだ。


「……あの後は、どうなったのです。どうして、私は__」


 __無事なの……。


「主が駆けつけました。間に合ってよろしゅうございました」


「どうして……だって、彼はまだずっと先にいて……こちらの到着を待っていたはずしょう?」


 わけがわからない。


「詳しいことは、主から話すことになるでしょう。今、後片付けをしておりますので」


 __後片付け……。


「あの、マーガレットは……私の侍女や、護衛や御者の皆さんは__」


 そこで言葉を切ったのは、フルゴルが優美な手を翳して制したから。


「主からお話があるでしょう。私は、マイャリス様の御身の安全が優先するよう指示をうけておりましたので、その後のことは存じ上げないのです」


「そう、ですか……」


 わかりました、とマイャリスは不安感を薄めようとお茶を飲んだ。


「お召し物は私がご用意したものです。あまりにもな有様でしたので……。お気に召さないようでしたら、ご要望の物を手配しますが、いかがしましょう?」


 言われて、自分が着ていた物が真新しい装いに着替えさせられていることを知った。


「そうでしたか。いえ、これで。ありがとうございます」


 彼女が、目を伏せて頷いたところで、扉をノックする者があった。


「フルゴル、戻った。入ってもよいか」


 声は、男のもの。


 __どこかで、聞いたことがある……。


「アンブラです。おそらく、主も連れているはず。__よろしいですか? マイャリス様」


「え、ええ……」


 マイャリスの許可を受けたフルゴルが改めて入室を許せば、扉が開かれる。そこに佇んでいたのは黒を基調とした法衣の男__先日、空中庭園でリュディガーを呼びに来た呪い師のような男だった。


 __彼が、アンブラ。


 その彼の背後に佇む大柄の男に、マイャリスは息を飲んだ。


 紛れもなく、リュディガーがそこにいたのだ。


 アンブラが譲るように扉の脇へ身を寄せると、リュディガーがぬらり、と動いて部屋へと踏み入る。


 近衛の甲冑姿の彼は、小脇に抱えていた兜を手近な棚の上へと置き、手甲を外して手袋も外しにかかる。それも兜の横へと置いてから、改めてマイャリスへと向き直った。


 その手甲。赤黒く血染めのそれになっていて、マイャリスは息を詰め、彼を改めて見てみれば、泥汚れだけでなく、甲冑のところどころ血糊がついているではないか。


 リュディガーはマイャリスのいる寝台の方へと歩み寄ると、2、3歩距離をとったところで片膝をついた。


「お加減はいかがでしょう、マイャリス様」


 相変わらず抑揚の変化があまりない声だった。


「賊は征伐いたしましたのでご安心を」


「__賊……どういった賊ですか」


「州侯へ叛意ある者、と申し上げればよろしいですか」


 自分も最初は賊だと思った。


 だが、今の彼の説明では、それは重圧に喘ぎ、義憤に駆られた義賊ではないのだろうか。


「助けてくれたこと、心から感謝いたします。__ですが、彼らは義賊ではないのですか。州侯の娘が目的だったようですが」


「……はい。ですから、賊です。ここでの法は、龍帝より権威を与えられた州侯です。その州侯の身内に弓を引いたのであれば、反逆でございます」


 __彼は本当に、父の気に入りの『氷の騎士』なのね。


 自分を解き放つように、と言ってくれたのは、あるいは、と思ったが、決してそんなことはなかった。


 __淡い期待を抱いた私が愚かだった。


 マイャリスは苦いものがこみ上げてきて、これ以上このことについて言っても平行線だと判断して、止めた。


「あの……他の護衛の方々は……? マーガレット__侍女や、御者の方たちも」


「侍女も御者も負傷いたしましたが、別室で休んでおります。特に侍女は、車内で気絶していたことが幸いして、大きな怪我はしておりません」


「このフルゴルがしかと。しっかりと静養していただいておりますので」


「左様ですか」


 言葉を添えるフルゴルに、よかった、と安堵のため息を漏らすマイャリス。


「ですが、多勢での不意打ちで、近衛の2名は健闘したようですが__。惜しい人材でした」


 安堵したのもつかの間、ぎゅっ、とマイャリスはカップを持つ手に思わず力がこもる。


「大規模な移動にしないように意見具申し、今回の規模にしておきましたが、どこかからマイャリス様の動向が漏れていたらしく、今回のような事態になり、申し訳ございません」


 その言葉を聞き、なるほど、とマイャリスは内心納得した。


 それで、あれほど質素な移動の装いだったのか。


 __あえてだったのね。


 州侯の娘として見合った大々的に移動をすることは、まさしくここに居ると触れ回っているのと同様だ。


 __州侯の娘、だもの。


 州侯へ向けられた怨憎(えんぞう)


 自分の存在はほぼ知られていないはずだろうと思っていたが、隠しきれるものではないのかもしれない。


 彼らからの恨み辛みという恐ろしさから逃げているわけでもないが、彼らからすれば逃げ隠れしているように見えてなおのこと腹が立つのかもしれない。


 __州侯を諌めもしない娘だもの。


 養女だから、ということはそこに関係ない。


 諌めない__否、諌められない、ということなど、彼らには関係ない。


 事実として、州侯が横暴を働いていることを止められていないことだけで十分なのだ。


 __私の置かれた立場、身に染みて分かったわ。


 ただただ、州の民に申し訳ない思いだ。


「……どうして、リュディガーはこちらに。この危機を察したのです。まだ4日はかかる先で待っているはずでは?」


「オーガスティンが不穏な動きを察し、鳥で文を送ってくれたのです。合流したほうがいい、と判断して馳せ参じましたが……御身を危険に晒したこと、申し開きもできません」


「オーガスティンが」


 彼は飄々としていながらも、筆頭十人隊長という肩書は伊達ではない。


「本日はこちらでお休みいただきます。侍女にも静養をさせようかと思いますので、本日はフルゴルが身の回りの世話を」


 フルゴルは、無言で淑やかな礼をとる。


「明日から移動をいたしますが、これ以後は、(せつ)めを始め、選りすぐった者で道中の護衛を承らせていただきます」


 拙、と自分を(へりくだ)って呼ぶ彼は、目の前の存在が自分の妻になる者だということを意識していないのだろうか。


 __彼には、州侯の娘という位置づけのままなのかも知れない。


 父の影がなければ、少しは話せるかとも思ったが、それさえも怪しい。


 しくり、と胸が痛んだ気がした。


「……そう、ですか」


 これから新天地に到着するまでは彼に会わないでいられる、と思っていた。__そう、挙式のその時まで。


 目の前で跪礼をする彼に、顔を上げてください、と言えないのは、まだ自分の中で彼を受け入れられないからなのだろう。

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