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別れ路の慟哭 Ⅰ

 深く地を割くような谷は、草原の中に突然現れる。


 谷は、霧が晴れることがめったに無く、底まで見ることは稀だ。


 そこに渡されている橋は、堅牢な石造り。


 その日は特に霧が濃く、朝から周囲は見通しが悪かったらしい。馬車は橋の手前で、霧に紛れて出現した魔物に襲われた。


 同時刻に通りかかっていた通行人は散り散りに逃げたが、そちらには目もくれず、魔物は特に大きなその馬車を真っ先に狙ったらしい。


 炎を吐く、黒い陽炎のような魔物は、輪郭がはっきりしていなかったらしいが、四つ足だったことは見て取れたそう。


 襲われた馬車は2台。魔物にひと掻きされても走ったが、次に放たれた炎に巻かれてしまった。そして、炎に焼かれ制御を失い、暴走した馬ともども谷へと落下していった。それを追うように、四つ足もまた谷へと滑り降りていったと言う。


 岩に当たって砕ける音は車の音。馬の悲痛な咆哮が谷から木霊し、最後に鈍い音がした。一連の出来事を目撃したものは、恐怖に震えて息を潜め様子を伺った。


 しばらくすると、霧の谷から、四つ足は這い上がって来た。周囲を伺い、めぼしい獲物がいないとわかると、再び谷の霧の中へと沈んでいった。


 騒ぎを聞きつけ、駆けつけたのは州軍と、付近にいた龍騎士一班。一班は、龍騎士四騎の最小単位。


 彼らは周囲を警戒したが魔物は、ついに見つけられなかった。




 リュディガーは、呆然と立ち尽くしていた。


 目の前には、どうにか武官らによって拾い上げた残骸。それは馬車の部品ばかりだった。


 人らしい形のものはなかったが、どうしてないのかは、龍騎士であるから察しがついた。


 この谷の底は空気が淀みやすい。瘴気の吹出口があるような見立てもされているが、昨今は先日の魔穴から溢れた瘴気が停滞し、特に濃い。


 濃い瘴気にある(むくろ)は、腐敗の進行が早いのだ。下手をすれば不浄な『もの』が宿って、生きているものを襲いかねない。


 事後処理が終わり、撤収作業を進めていた首都州の州軍。


 彼から神官が来た、という話を聞いたから、清めは済んでいるだろう。『もの』が取り憑く心配はない。だが同時に、腐敗が進みすぎていて、拾い上げる際に崩れてしまって上げられないのだろう。


 軍と龍騎士がいたのであれば、状況を確認するために降りたはず。龍が降りるには狭い谷だ。岩肌を伝って降りて、そして、拾い上げられたのは、いま目の前の残骸だけ。


「__遺体は、7名分だろうという話です。男性の四肢が、おそらく5名分。女性の右腕が2名分と」


 __右腕……。


 ぞくり、と悪寒が走るが、なるべく平常を心がける。


「……そうか」


「服装品から、御者と使用人と、主人という構成で__主人らしい身分の方は、女性だと」


 主人らしい身分の女性__心臓が鷲掴みされた心地になる。


 心臓の拍動が乱れた__否、大きくなった。耳にうるさいほど。


 拳を握りしめて、気持ちを落ち着けようと試みた。


「……そうか」


「はい。__では、我々は……」


「ああ、すまない。引き止めて」


 いえ、と礼を取って去っていく州軍の軍人。


 号令が遠くでかかり、ぞろぞろ、と引き上げていく人の群れが視界の端で見えたが、リュディガーはじっと目の前の残骸を見つめていた。


 引き上げる、とは言うが、彼らはしばらくこの近くの警備にあたるはずだ。野営のための設営をしに本隊へ合流しにいくのだろう。


 いくらかして、あたりが静かになったところで、空で何かが光ったように見えた。


 遅れて聞こえるのは、大地を震わすほどの雷鳴。


 振り仰ぐ。いつのまにか空は分厚く昏い色の雲に覆われていた。


「……すまない」


 やっと絞り出せた声は、掠れていた。


 魔物は、魔穴が現れて以後、別の場所で暴れまわっていたものらしい。そちらを警戒していて、この橋は手薄になっていた。


「……俺が……取りこぼしたようなものじゃないか……」


 取りこぼしは、残念ながらある。


 しかも、先日招集がかかって駆けつけたあの魔穴は、あまりにも瘴気と魔物が溢れるのが早かったし、量も多かった。


 その魔物の一部が、今回の惨事を招いた。


「すまなかった、キルシェ……」


 謝罪の言葉とともに、膝から力が抜けて地面について項垂れる。


「……怖かっただろうに」


 喉が引きつって、苦しさから顔をあげる。


 ふいに、頬にかかる水。それは、細い雨。


 ぎりり、と奥歯がなるほど噛み締め、膝を殴った。


 獏とひろがる、虚無感。喪失感__否、喪失は、まだ認めたくはない。


 リュディガーは弾かれるように合切袋から紫の布を取り出した。瘴気をやり過ごすための口布である。非番であっても、これは有事に備えて常に携えている決まりのもの。


 手際よく鼻と口を覆って、谷の淵へと駆け寄り、降りられる場所を探す。


 足がかりをみつけ、壁に張り付いて降り始めたところで、突然キルシウムが吠えた。


 何事かを確かめるまでもなく、首根っこを掴まれるようにして引き上げられた__かと思えば、身体が宙を飛んで、草地に落下する。


「うつけが! まだこの下に魔物がいるかも知れんのだぞ!」


 とっさに受け身をとって衝撃をやり過ごし、起き上がろうとすれば、むんず、と首を捕まれ、押さえつけられた。


「そこな龍、待て! ここで争う理など無かろうが! 悪いようにはせん! 控えろ!」


 怒声に、(あぎと)を開いて飛びかかろうとしたキルシウムは引き下がるも、忌々しいとばかりに睨め付けて、ぐるぐる、と雷鳴のような唸りを発して威嚇は続けていた。


 __キルシウムが、怯むだと?


 怒声ごときで怯む。怯ませることができる覇気の持ち主。そんな者は、そうそういる者ではない。


 どうにか押さえつけられている状況から脱しようと足掻く視界に捉えるのは、白い影。


「それでいい。利口者だな」


 ひどく白い印象を与えるのは、優美で艶やかな白銀の長髪と、顔を始め、覗く肌が白いから。


 その頭上には、天を突く一対の角__否、耳。兎の耳。


「__で、次はお前さんだが……暴れないなら離してやる。いくらでも付き合ってやるぞ」


 鮮血のような赤の双眸が、まっすぐリュディガーを捉えた。


「ビルネンベルク……先生?」


 それは、間違いなくビルネンベルクの姿だったが、身拵えは武人のそれ。記憶の中で、只の一度もビルネンベルクがそんな装束になったところを見たことがない。


 驚いて、全身から力が抜けていく。そこで、首と背中に掛かっていた重みが消えた。


「……お前さんのことは、知らんな」


 教官であるビルネンベルクとは違い、つり上がったような流麗な眉が、顰められる。


 加えて、声も違う。


 朗々とよく通る声は、声質が似ているものの、覇気がある武人らしいそれ。


 解放されて身体を起こす。そこで獣人を改めて見たが、教官のビルネンベルクより上背はあるようだ。腰には、大振りな太刀。形状から見て、大業物だろうか。さらに背には身の丈より更に丈がある槍を負っていた。


「まあいい。__すまんな、泥だらけにして」


 リュディガーは口を引き結んで、顔についた泥を手の甲で拭う。


「下なら、私も確かめてきた。引き上げられるものは、あれで全部なのは違いない」


 彼が顎をしゃくって示した先を見る。それは、リュディガーが先程まで見つめていた残骸。


「遺体は、どうやっても引き上げられん。脆くてな……触った端から、崩れていく。__回収された遺品とは別に、これを回収できただけだが」


「……腐肉喰(ふにくく)らい、ですか貴殿は」


 わざわざ危険を犯してまで遺体を漁る__死体漁りと呼ばれるが、腐肉喰らいとはもっと侮蔑の意味を込めた呼称だ。


「おいおい、気色ばむな。何か勘違いをしている。__まあ、勘違いされても致し方ない、か」


 自嘲して言って彼が懐から取り出したのは、丁寧に畳んだ白い布。それを彼は、本当に丁寧に開いた。

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