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夢のまにまに

 人っ子一人いない廊下。それは、窓はなく、天井と床が石畳の、ぐるり、と建物を囲う形の回廊である。


 その回廊が囲う建物は、見慣れぬ白い建物で、建物までの庭はよく整えられた下草の生え揃った庭である。


 見上げれば、普段見ないほどに近い岩山があった。縦にした岩が幾つも突き刺さるような形状で、岩肌のところどころに張り付くようにぽつぽつ、と木々が生える山。それは帝都の象徴である“龍の山”と呼ばれている。


 その名の通り、龍帝従騎士団の駆る龍の巣でもある。


 山が負う空は夜に近づきつつあり、深い掘りが目立つ統一性のない岩が作り出す影がじりじり、と動いていくごとに、山体の印象を変えていく。


 回廊に腰を下ろしそれを眺めていたキルシェは、改めて自身の周囲を見渡した。


 不思議な空間だった。


 風に煽られることもなく飛ぶ、虫。


 それは、まるでいつかみた蛍のように頼りなげに飛んでいるのだが、そのどれもがキルシェの知る虫の形をしていないのだ。


 体は半透明。時折明滅もしているものもいて、その形に統一性はない。


 虫だろう、と思ったものの中にも、蛇に似て地を這うものもいれば、羽根を生やしているいないにかかわらず、中空を飛ぶものもいる。


 だがどれも、怖い気がしない。


「貴女」


 ほど近いところから声がして、キルシェは庭に投げていた視線を声がした方へと向ける。


 そこには、見慣れない民族衣装__否、蓬莱の民族衣装に身を包んだ子供がひとり佇んでいた。


 年の頃は、10になるかどうか。


 まっすぐな髪はまるで月を彷彿とさせる白銀で、まっすぐ見上げてくる双眸も白銀で、真珠のような不思議な照りを魅せる。


 着物の合わせ目__首から提げられて胸元に輝くのは手の平ほどの鏡。


 浮世離れした衣服に加え、その雰囲気にキルシェは言葉を失って見つめていた。


「__ここのものではないでしょう」


 間違いなく子供の声ではあるが、落ち着き払った口調。


 ここは確かに見慣れない場所だ。名前さえ知らない。


 こくり、と頷くと、落ち着いていた少女の口元が少しばかり弧を描いた。


「それがわかるのなら、話が早い。__戻った方が良ろしいです」


 引きずるほどに長い袖から伸びる手は、磨かれたような白磁の肌。


 小さい手は、キルシェの手を取って引いた。


 そして引かれるままに回廊を進み、眺めていた建物へと踏み入った。


 相変わらず人の気配に乏しいそこ。少女の装束の飾りの音に隠れ、ひたひた、と歩く足音だけが響く。


 __ひたひた……?


 そこで気がついた。自分は素足で、手を引く少女も、引きずるほどに長い裾で足音が視えないが、どうやら素足らしい。


 少女はともかく、自分は何故裸足なのか__。


 怪訝にしていると、それを察したのか彼女が振り仰いで、笑みを見せる。


 高い天井、最低限の装飾__そのすべてが、見たことはないのだが、どこか似たような建物が記憶の中にある気がする。


 __あぁ……リュディガーが入院していた、双翼院……。


「__心配なのはわかりますが、貴方は戻りなさい」


「しかし……せめて__」


「いいえ、駄目です」


 思い出していれば、人の話し声が聞こえてきて、キルシェは足を止め周囲を見た。


 話し声は近くの部屋から。


 廊下から覗いてみると、そこには4つの寝台が置かれた質素な部屋で、その中の病床を囲うように数名の人影がいた。


 リュディガーと、大学の弓射と馬術の担当教官であるデリング。神殿騎士のゲオルク、マルギット、そして、ラエティティエルともうひとりの耳長族の侍女だった。


「ロスエルさんも、ここの典医様もおります。シュタウフェンベルク大隊長に呼ばれて、私まで駆けつけたのですよ。むしろ貴方がいると、私たちの仕事の邪魔です。貴方は只の学生ということをお忘れなく、ナハトリンデン卿」


 ラエティティエルの冷たく、そして強い言葉にリュディガーは下唇を噛み締めて病床を見つめた。


「__行きましょうか」


 手を引っぱる少女にいざなわれるまま、その部屋へと踏み入る。


 少女は迷わず、人々が囲う寝台へと近づいていった。


 すると、真っ先に気づいたのは、こちらに身体を向けていたマルギット。


「チリン様」


 チリン__それが少女の名前らしい。


 彼女が言って跪礼をすると、皆弾かれるようにして振り返り、二人を__否、少女を見るなり、武官に属していた者らと神官に属する者はマルギット同様その場に恭しく跪礼し、残る侍女は控えるように恭しく頭を垂れた。


 皆、誰一人として頭を上げない。


「楽にしてください。邪魔をするつもりはありません」


 そうチリンが近づきながら言えば、皆、頭だけはあげる。


 それを他所に、近づくにつれ視えてくる寝台に横たわった人物に、キルシェははっ、として足を止める。


 __私……。


 まるでそっくりな自分がそこに横たえられていた。


 何がどうして__混乱をしていると、チリンが誰に言うでもなく言葉を発する。


「私も観ていました。彼女の矢馳せ馬は見事でした」


 矢馳せ馬。


 __そうだわ……矢馳せ馬の、候補を絞るための試験だった……。


 それをしていた。


 ここにいるラエティティエルともうひとりの耳長の侍女以外は、その場に居合わせた者たちだ。


 さきほど話題に出たシュタウフェンベルクも、その場にいたのを覚えている。


「最後の矢を放つとき、身を乗り出しすぎて鞍がずれて落ちてしまいましたね」


「左様にございます」


「……鞍の留め具を確認しそびれていたのです。私の監督不行き届き__」


「いえ!」


 矢馳せ馬の指導役であるゲオルクの言う先を強く制したのは、リュディガーだった。


「エングラー様の責任ではございません。私が……同輩である私が確認をするべきだったのです……」


 リュディガーは再び頭を垂れる。


「出馬前の馬とも息が合っておりませんでしたし……それもある種の予兆でした。ご覧遊ばされているとは存じ上げず、御前を穢したこと、申し訳ございませんでした」


「面を上げなさい、リュディガー・ナハトリンデン」


 はっ、と弾かれるように顔をあげるリュディガー。その顔は、驚きに満ちていた。


「拙めを覚えて……いらっしゃる……」


「背中に紋を負った者は忘れません。顔を見れば、必ずわかります。無論、負っていない龍騎士であっても、龍騎士として認められた者であれば。__其れは私の性のようなもの」


 穏やかにそこまで言って、チリンは横たわるキルシェを見つめた。


「誰も、謝ることなどありません。それよりも、彼女が乗っていた馬を気遣ってあげてください。落馬させたことを気にしている。__出馬するのを嫌がったのは、鞍が不安定だと教えていたからです」


 皆一様に顔を見合わせている中で、真っ先に動いたのはゲオルクに目配せされたマルギットだった。彼女は、今一度改めて深い礼をチリンにすると、足早に部屋を後にする。


「私が止めに入ればよかったのでしょうが、静観するよう言いつけられておりましたので手を出さずにいた。__死ぬことがないと確信をしていたとはいえ……彼女と彼女の馬には申し訳ないことをしました」


 チリンはそこで、手を引いていたキルシェの手を軽く引き、もう一方の手で横たわるキルシェの胸元に触れる。


「__お戻りなさい」


 チリンの声を聞くや否や、ぷつり、と意識が途絶えた。

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