帰らぬ家路を君と歩く【九十分】
後輩と一緒に深夜の街を歩く。
条例で定められた時間はとっくに過ぎていて今は二人めでたく補導対象。茶髪金髪うぇいうぇい騒ぐ人種に揉まれながら人混みを通り抜け、人の少ない道を行けば今度は声をかけられる。
補導のための声がけではないけれど、「おねーさんたちヒマ? 遊ばない?」なんて言われれば誰だって心臓は跳ねるし恐怖が湧く。
後輩を守らないと。なんて勝手な決意を胸に歩いていたのは最初の三十分くらいだったっけな。
短髪で凛々しい顔をした170センチが私の肩を引き寄せて
「ごめんなさい、僕男なんですよ」
とナンパを断る。
マジ!? ごめん! とすぐに立ち去る男を見れば私の決意は無駄ではなくとも役に立たないことを理解した。
男なんですよ、と言う言葉だけで恋人であると察知できることがナンパ師になる資格なのだろうか。あ、男って性別のことじゃなくて"こいつの男"ってことなのかな。いやでも言い方的には性別だよね。
なんていらないことを考える。
今考えるのは、隣の後輩のことだけでいい。多分。
◇
「ああいえ、僕は今日帰る予定ないので」
バイト終わりの更衣室で後輩は言った。そうなんだ、と理由を聞くこともなく終わらせた会話に名残惜しさも何もない。
帰りたくないから帰らない。
この後輩はそういうことをよくする人だった。こういうとき誰といるのか、どこで時間を過ごしているのか、私は何も知らない。聞いても意味がないと思ったからずっと聞いていない。
ただ、今日はなんとなくちょっとそういう気分だった。
「じゃ、私もそうしようかな」
迷うことなく母へ「バイト先で飲み会あるので帰り遅くなります」とメッセージを送った。すぐに帰ってきた返信には気をつけて、とだけ。
この後輩が"家に帰らないこと"をよくする人ならば、私は"未成年のくせしてバイト先の人との飲み会に参加すること"をよくする人なのだ。
母は報告を義務付けたものの「ダメ」とは一度も言わなかった。
まあ、今日は後輩と一緒に一夜を適当に明かすだけで飲み会ではないのだけれど。
「スマホの充電、保つといいなあ」
心配事といえば、それだけだ。
そうして着替えを終えてバイト先を出る。
帰らない二人で家の真逆へと歩き出した。
バイト先は繁華街のど真ん中にある居酒屋だ。今日みたいな週末はバカみたいに人が来て、店内は騒ぐ人でてんやわんや。従業員もてんやわんや。何がなんだかわからない。
店の外だってまだ人がたくさん集まっている。
二次会だの安くするだの禁止されているはずのキャッチの声が、酒によった集団の間を抜けるように通り過ぎていく。天職じゃん。
「流石に多いね、ちょっと抜けたいかも」
「そうですね……」
170センチの後輩も、大人に呑まれればすぐ見えなくなってしまいそうだ。隣の集団なんて後輩より大きい人しかいないのだから。
「みっちーが消える」
「人混みにですよね。先輩のほうが消えそうですけど」
うるせいやい。
などと悪態をこっそりついていたら、後輩に手首を掴まれた。
「この人混み抜けましょう」
それが一番いいよ。
手首を引かれるままに人混みをかき分けてすり抜けて挟まれる。多すぎないか人。
そうやって頑張って人混みを抜けた先は、手を離してもみっちーを見失わないくらいには空いた通りだった。かわりにナンパ師がすごく多かったけど。
「みっちー慣れてんねえ」
「よくされるので」
「可愛いもんね、美智子ちゃん」
「賄い奢りありがとうございます」
「ええ、名前呼んだだけなのに」
「先輩は僕がその名前嫌いなの知ってて言ってますから。むしろ賄いで済むことを感謝してください。メニュー通りの値段がお好みですか」
「すみませんでした」
後輩いじりは目が覚める。
イケメン女子、略してイケ女の称号を顔とその性格に宿し二年生になってもなお最もかっこいいと噂の女。その名も山田美智子。
見た目に見合わぬその女性的な名前を心の底から嫌悪しているようで、彼女と関わるすべての人は「みっちー」と愛称で呼ぶ。山田は好きではないが、別に嫌悪する理由もないためどうでもいいらしい。
はじめの頃は如何にも毒ですといった針をつけた言葉が飛んできたものだが、私も学習する女だ。
本心で言っているわけじゃないと思わせれば勝ちなのでは?
と友達に話したら「バカの思考」と罵られたのは非常に不本意であったが。
今現在そうして理解してくれているみっちーが隣にいるのだから、彼女の優しさにどかんと浸かることにしよう。
「先輩って大人しそうな見た目の割に無茶するし、頭良さそうなのにバカですよね」
「いいかみっちー。人に向けて言う言葉には言って良いものと悪いものが」
「そっくりそのままお返しします」
「負けました」
くそ、この後輩も随分私の扱いが上手くなってきた。
わけわかんねー、と笑うみっちーに果てしなく大きな同意をぶつける。
私のよくわからない人付き合いの仕方に真正面から付き合ってくれるみっちーの隣は、こうして笑ってられるくらいに安心できる。
いつだってずっと変わらない。
「ねえみっちーやっぱ付き合ってよ」
「どこにですか」
「私の人生に」
「遠くて重いですね。僕じゃきっと力不足ですよ」
何をいう。
心の奥底で深いため息をついた。概念的にも深い。
「そっかあ。じゃあ気にしないでねみっちー」
気づいたら如何わしい感じの店の通りを抜けて大通りに出ていた。相変わらず人が多いが塊の集団じゃない。
きっとみんな楽しかった日々を終えるために家に帰るのだ。嫌な明日に立ち向かうための英気を養うために。
帰らないと決めた私達は、ただ寝ないためだけに街を歩く。別に嫌でもない明日には立ち向かう必要がないからそれもきっといい。休日なんてむしろ引き止めるくらいの勢いでないと。
「はる」
ぐい。と手を引かれた。
細くて長い指が五本蠢くきれいな手が、洋服という布を一枚隔てた手首ではなくただ細いだけの私の手を握っている。
なんだ、みっちーは休日を引き止める私だったのか。なんてよくわからない思考は現実逃避。
「はるが、僕の人生に付き合ってくれたらいいと思う。軽いし楽だよ」
やめろやめろ。そんな真剣な目で私と会話しようとするのは。笑っていってくれたらまだ簡単に「じゃあそうするかあ」と言えるのに。
どうも張り詰めた糸のように真剣な雰囲気が嫌いだ。みっちーに限った話じゃなく、誰とでも一つの言葉がさらに引き金になるような会話をするのが嫌いだ。
更に文句を言うならもう一つ。
「軽いとか言うなばーか」
「そうですね先輩みたいにアホに生きれないので先輩よりは重いかもしれませんね」
「手のひら返しはや」
笑った。そっちのほうが似合うよベイビー。
なんてこっそり茶化しても、口には出していないのだからツッコミ役は存在しない。
いつの間にか繋がれた手を離す気はない。むしろ離そうとしたら文句を言ってやろう。
大通りを歩く。こんな場所で立ち止まって人生に付き合えだの何だのと、なんだアオハルかあ? 非常に巨大なブーメランである。むしろ私達にしか刺さらない。
「みっちー」
「なんですか」
「先輩禁止で」
「えっ」
「みっちーの人生に付き合ってあげたら、私の人生に付き合ってくれるんでしょ?」
「それは言ったとおりだからそうですね」
「じゃあ、先輩禁止で」
「だからどうしてそう」
「はるって呼ばれたいから」
「……わかりました、晴美先輩」
こいつ珍しく可愛い面を見れたなどと言いつつ笑って呼んだぞ。私で遊んでいやがる。
みっちーが来るなら私だってやり返すぞ。やられたらやり返す精神はいつだって世界を救うはずだ。平和的なものに限る。
「なんだ美智子ちゃん」
「すみませんでした」
「はや」
主人公»女
年齢»高校生
ヒロイン年齢»主人公より『年下』
時間帯»深夜