大卒社会人×高卒社会人 【九十分】
やりたいことのない人生だった。誰かに言われるままに従ってついて歩くだけの人生を過ごして、高校も入れるところならどうでもいいと選ぶことを投げ出すように決めた。大学へ進んだのはそんな自分に嫌気が差して、やりたいことを見つけたいと強く願ったからだ。
人生は、興味を持つかどうかで色合いが変わる。
大学で俺が気づいたのはそれだった。特に尊敬できるような先生を見つけたわけでもない俺は、祖母が亡くなったことをきっかけにした。
きっと、他人にとっては些細なことなんだろう。
◇
「今年度からお世話になります、水橋大輝です。よろしくお願いします」
平凡な挨拶。緊張していたのだから許してくれ、内心で祈るように大げさに思った。
大きくはない事務所で男性を前に頭を下げる。
「支配人の村山拓弥です」
村山さんの声に反応するように上半身が上がる。目線が同じくらい。眼鏡の奥で、その目はなんだか優しい印象を抱かせた。
「暫くは教育係をつけるから。えーっと……あ、大場さん」
「はい」
振り返れば小柄なパンツスーツ姿の女性。大場、と呼ばれた女性は手招きをする村山さんの隣へと歩いていく。
「新入社員の水橋くん。お話してたとおり教育係、よろしくね」
「かしこまりました。……大場紫です。よろしくお願いします」
あとはよろしく、と足早に立ち去った村山支配人。その後ろ姿が見えなくなってすぐ、大場さんが事務所の説明をしてくれた。
ここは各会館に固定された俺たちのような社員の他に派遣のようにやってくる社員が使う事務所。座席の場所は特に決まっておらず、書類などの個人的なものは別にロッカーが割り当てられている。
しかし、やはりここにも上下関係は厳しく存在するようで、村山支配人とその他二名の副支配人の席は固定されているようなものらしい。
「……故人様とご家族様のご意向に沿う事が私達の仕事。上司の機嫌を取ることは仕事ではない気はするんですが」
最後に聞いたその言葉。ナイショですよ、と付け足された言葉に俺はそのとおりだな、と苦笑いだった。
やりたいことのなかった俺がこれならば、とついた職は葬祭事業社。亡くなった祖母の通夜葬儀に参列した俺は、『他人の死を身内のことのように寄り添い見送りを良いものとして提供する』それに惹き付けられた。
「ところで大場さんって、深見東高校の生徒会長だったよね?」
「……やっぱりあの水橋さんなんですね」
そうして就職した職場で、高校時代の後輩と再会するとは全くの予想外だったのだが。
ともかく、今は仕事中なので大場さんに会館を案内してもらう。道中すれ違う上司が大場さんと世間話を始めるので俺はその度取り残されるのだったが。
「話長いんですよあの人」
「五回目ですね」
そしてそのたびにそんなやり取りをした。
◇
「お待たせしました」
「待ってないから大丈夫だよ」
勤務初日を終えた俺は、その少しあとに退勤した大場さんと一緒に帰ることにしていた。勤務中にできなかった高校以降の話をするのが目的。あとは──。
「この職場って女性の優遇すごいよね」
「……気づくの随分早いんですね」
「見てたらわかりやすいよ。女性に仕事を押し付けない、代わりにセクハラって所までしっかり見ちゃったし」
「何も知らない新入社員を狙うんですよね。……卑劣な人たち」
大場紫という女性は高校時代、簡単に言えば『王子様』だった。女子の味方で理不尽を許さない人。そして、理不尽に押し負ける人たちを守るために自分の身を差し出す人。
標的を自分一人に限定させてしまうのだ。自分が助からないまま、物事を終わらせてしまう。
そんな彼女を知って、どうにかしたいと思った俺。その手を素直に取ってくれた彼女。言葉を聞くだけ、と限定された大場紫の救世主のような存在が俺だった。
俺が高校を卒業してからは関わりをなくしてしまうほどの、簡単な先輩後輩の関係。
「また、自分だけに集めてるの」
「それが一番簡単で最も助けられる方法ですから」
二年もない短い間の救世主だったとしても、最も近くにいた期間があるのならば久しぶりに会って環境を知ればすぐにわかること。
大場紫は職場の上司からのセクハラ、パワハラを全て一人で背負っている。抱え込んでいる。
「また、聞くだけの救世主になろうか?」
なんとも男気のない提案だ。自分で自分を嘲笑い、女性一人救えない自分の器量と意気地なさに呆れる。結局俺も自分の身を守りたいのだろう。
「……もう一つ、お願いがあるのですが」
スーツの袖を引かれ、立ち止まる。とりあえず聞くだけ、と振り返った俺。
「先輩は、守るためにと理由をつけて色んな人に抱かれた私を抱けますか」
「大場なら」
思わず即答してしまったことに、自分自身で気持ち悪いと感想を持った。
「じゃあ抱いてください」
そして、すぐにその言葉が帰ってきたことにだよなあと納得したような気持ちになる。忘れるために求める、というのは何度も物語の世界の中で見た話だ。そういう話は大体そのとおりに抱いて、その男が女性を救おうと行動を起こす。
でも俺は、それができないだろう。大場紫という女性は、水橋大輝という逃げ場を得ることができる。けれど変わるのはそれだけで、セクハラパワハラがなくなるわけではない。俺がそれをどうにかしようとしないからだ。
それはきっと、彼女の中に残った不安や恐怖が積もり崩壊する可能性をなくせないということになる。
「何も変わらないよ、それじゃあ」
「……すみません」
俺では彼女を救えない。話を聞くだけで救世主になれる年齢ではなくなったんだ。そして、体の関係を認めるだけで救世主になることもできない。
「……大場、俺と付き合って」
どこへ、ととぼける人ではない。きっと、理由を知りたがる。
「一人で背負って内側に隠してしまうんじゃなくて、もっと外に訴えよう。大場は一人じゃそれができないから、俺も一緒にやる」
「それと付き合う、関係あるんですか」
「助けてやるんだから見返りを求めてるんだ」
なんとも傲慢でアホらしい考えだろうか。二人で外に訴えたところで助けられる保証はない。確約にはならない。
でも、『俺は俺一人で大場紫を助けることはできない』し『大場紫は一人では抱え込むしかない』のなら"二人でやればいい"と思うのは正しいのではないだろうか。
「……それ、私も嬉しいことになるので私だけ二つ貰うことになりますよ」
「そうなるなら助ける見返りに交際申し込むんじゃなくて素直にやればよかった」
「……助けて、くれるんですか」
「お前が勝手に助かるための手伝いをするだけだ」
"君が勝手に助かったんだ"。昔読んだ本の中のセリフだった。そのセリフに、なんども思い上がることを押し止めてもらった。
「俺は大場のことが好きだからな。大場が幸せになれるなら手伝いをする。幸せになるのはお前なんだから俺にはそれしかできないだろ」
「じゃあよろしくお願いします」
そういう、素直に他人に甘えられるところが羨ましいと思う。けれど、自分からきっかけを作ることができない不器用さがかわいそうだとおもった。
大場が救われて、幸せな人生を、俺もわけてもらうことにする。
これは俺の人生の大きな決断の一つ。
今回対決した水飴氏の作品はこちら。
https://ncode.syosetu.com/n1251fm/1/
二つ合わせてよろしくお願いします。