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8話目になりました。


なんと言うか、話題に困ります。和物で言うと「海の彼方に~」について書こうかな。

これの話の元になったのがとあるマンガだったと思います。このマンガはとある龍ーー水の女神とも言えるーーと銀妖鬼と呼ばれた男の恋物語で三部作だったと記憶していまして。

この龍が燐姫のモデルになったと言えなくもない。後は剣を守る巫女さん的な役割もあるのが彼女です。由津彦のモデルは……?

うーん。由津彦は庶民っぽく見えますが。身分は平安時代とかでいうと国守ーー何々守とかですーーの孫だしお母さんは巫女さんです。貴族と言えなくもない身分の人ですね。

はい。モデルはヤマトタケルとかかなあ。全然それっぽくありませんが。

火多岐はすごく明るいし積極的な子です。この子が最後は大活躍してましたね。由津彦とお兄ちゃんの麻那斯そっちのけでした。

自分で描いていて「……あれれ?」と後でなりましたよ。こんなに火多岐を活躍させるつもりないんですが。てまあ、描いてしまったものは仕方ないと思います。


後は「奈良に紫の雲は流れて」について。割烹にも書きましたが。

主人公の額田王の名前の響岐は私が自分で考えたものです。年齢は学者の先生の説を参考にしています。

個人的には額田王は情熱的で賢い女性というイメージがあります。「奈良に紫の雲は~~」ではおとなしくて天然な子になってしまいましたが。元々は行動力のある人であったと思っています。大海人皇子は明るくて大らかな人かなという印象がありますね。ただ、一説によると大海人皇子は中大兄皇子のお兄さんであったとか。大海人皇子のお父さんが聖徳太子の息子であったと言われていますが。現実かはまだわかっていないようです。

一つ明らかなのは大海人皇子のお母さんの宝姫王が聖徳太子の甥の高向王の奥様であった事でどうやら、大海人皇子はその二人の間に生まれた子ではないかと推測できるようです。高向王は若くして亡くなっており後に宝姫王は田村王に嫁いでいます。

大海人皇子は田村王に疎んじられて育ったとか。こういう所は昔の話ですから確証性はありませんが。なので大海人皇子は聖徳太子の孫でお母さんの方からは朝鮮系の血筋を受け継いでいると言えます。宝姫王は朝鮮王朝の出身と言われていますし。まあ、はっきりとした事はわからないです。

額田王は和歌が本当に優れた人であったのは有名です。長歌も優れていて現代にも残っています。ではお読みいただきありがとうございました。

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