自称転生者の婚約者を眺める天才王子の観察日記
僕の名前はリチャード・ルイ・フォールティア。
今年でちょうど10歳になる。
僕の住む大陸この世界で最も大きいとされているアーガルド大陸だ。
アーガルド大陸は、東西南北と四つの国に分かれており、僕が住む国は西の最も豊かだと言われる大国オエステラル。
東は公国エステネレー、南は商国スールニア、北は武国ノルテッシモだ。
僕は、大国オエステラルに住む住民の中でも最高位に位置する現王族の王位継承権第1位である第一王子として生を受けた。
大きい病気や怪我もなく、また、クーデターや政変なんかで国を追われたりすることもなく、順調に成長することが出来た。
しかし…全てが簡単だった。
理解できないことなど何もなく、何かを教わるにしても教師の方が断念してしまうほどに、世界は簡単だった。
世界の全てが単純な遊びであり、単純なゲームであり、単純な遊戯であると感じるほどに。
何をする気にもならず、しかし第一王子としてそれは許されない。
王子としてどうするべきか考え、それならばいっそこの世で1番偉大な王にでもなってみようかとこの世界にある知識をひたすらに詰め込んだ。
そうして過ごして、今日は王族として初めて婚約者と面会する日だ。
この国の王侯貴族は、ほとんどの場合が生まれて一年以内に婚約者を決め、7歳になった時に婚約者が誰であるかを伝えられる。
そして、お互いが10歳になった時に初めて面会を許される。
僕と、僕の婚約者の誕生日は1日違い。
僕の婚約者の方が1日遅いので、僕の誕生日は昨日だ。
だから、やっと今日初めて婚約者に会うことになっている。
殆どの子供はこの日を待ち遠しく思っていると聞くが、しかし僕は憂鬱だった。
10歳の女児などという頭の足りない子供の相手をするよりも、本からの知識を詰め込む方がずっと良いと思っていたからだ。
僕は、何度か同じ年頃の子供と会ったことがあるが、何もかもが幼稚だった。
そんな簡単なことも理解できないのか、そんな遊びをして何が楽しい、と。
挨拶もろくにできない…ただの子供だと。
殿下の御友人にして頂ければと、高位貴族が次々と送り込んできた彼らに最初に思ったのは皮肉。
期待はずれだな、と。
今回も今までと変わらないだろう。
ある程度話を合わせつつ、周りには自然に映らない程度にあしらうかと考えつつ、また幼稚な話に付き合うのかと考えると気が重くなった。
だが、その予想は外れることとなる。
「…御機嫌よう。わたくしは、ヘレン侯爵令嬢が娘、ロゼッタ=マリアロッテ・ヘレンと申します」
細いが凛とした声でそう述べたのは、今日、僕の婚約者だと紹介されたロゼッタ=マリアロッテ・ヘレン侯爵令嬢。
翡翠色の目とウェーブがかった長い白銀の髪を持つその少女は、今までに見た誰と間違っていた。
他の10歳児…まぁ、僕を除くだが…とは違う、賢く聡明そうな眼差し。
言っては何だが、他の子供のように何かをしでかすわけでもなく、ジッと僕と彼女の両親の話が終わるのを待っていた。
そして、なんと言っても僕に色目を使わない。
どんなに幼い子供でも、僕とお近づきになろうと色目を使ったり、僕の好きそうな話題を探ってきたのに、彼女は何をするでもなく、ずっと俯いていた。
ただ、僕にはその俯く彼女が泣いているように見えて、いつもなら絶対にしないのに、彼女に話しかけた。
「…初めまして。僕はリチャード。近い未来君の夫となる」
その事を理解しているのかという、確認でもあったのだが、何故か彼女は目を見開いた。
「そう、だと…いいですわね」
本当に、と続けた彼女は、どこか別のことを考え僕には全く興味がない…と言うよりは、どこか世界に諦めたような、そんな感じがした。
逆に僕はその様子に興味が湧いたのだが。
「僕たちは婚約者同士なのだから未来結婚するに決まっているだろう。君だって、王妃となる、そのための教育は受けてきているはずだ」
「…それは、そうなのですが……多分、無理なのです。私達が結ばれることは、…」
「どう言うことだい?」
口籠った彼女の話の続きが聞きたくて、出てるだけ優しく話しかけたつもりだったのだが、何故か彼女は肩をビクッと鳴らし、怯えたように答え始めた。
…これでは僕が彼女をいじめているみたいではないか。
「…殿下は、転生者と言うものを信じますか?」
「…転生者?」
「そうです。…私は、転生者です。別の世界に生を受け生まれ育ち死んだ記憶があります。そして…この世界のシナリオも…」
シナリオ、それはつまり…。
「未来視」
「まぁ、それに近いものです。母様はシナリオ通り私が6歳の時に亡くなりました。弟はシナリオ通り私が7歳になった時、父の非嫡出子だと連れてこられました。…すべて、すべてシナリオ通りです。疫病の流行る時期も人の死さえも」
黙々と語る彼女が、ここまで淡々と話せるようになるまで、どのような葛藤があったのだろう。
想像も絶する…絶望感と恐怖。
「……ねぇ、ロゼッタ」
「なんでございましょうか」
「僕たち手を組まない?」
なら、そんな彼女ならば、こんな僕の絶望を満たしてくれるだろうか。
希望に塗り替えてくれるだろうか。
否、彼女の絶望は僕が希望に塗り替えてみせよう。
「…え?」
「君の知っているシナリオ、その中にある悪いものを排除する。それができれば、ロゼッタ、君はもう嘆かなくて済むだろう」
だが、彼女はそれを断った。
「それはダメですっ! …殿下や他の人たちの運命が狂ってしまいます」
先ほどの何倍も大きな声を張り上げ、それはしてはいけないと言う。
「…なら、それに巻き込まれてしまう人たちを助けよう。これなら良いか?」
「…そう、ですわね。…その程度なら」
これには彼女も頷いてくれたので、内心ホッと息を吐く。
これで断られたら………別の手を考えるだけか。
「なら、交渉成立だな」
「…でも、良いのですか? これでは殿下には何も…」
「あるに決まっているだろう」
「え?」
「僕は、この国の王子だ。民を傷つけたり失ったりすることは、王として最大の屈辱だからな。…それに、助けられるなら、助けてやりたい」
「…そう、でございますか」
「。っ」
そう言って、少し微笑んだ彼女の顔は、何処までも綺麗で、洗練されていて……僕が、もっと彼女の笑顔が見たいと思うほどには、美しかった。
10歳とは思えないほどに。
僕も、この瑠璃色の目と太陽のような金髪のため、美しいと褒め称えられる…というか、ウチの国の王族は美形揃いなのだが…それとは違う。
女らしい、儚くて、触れれば消えてしまいそうな弱くて、それでいて決意の灯る瞳は、とても強く見えた。
矛盾したその姿は、何処までも光り輝く。
「…婚約者のことをいつまでも殿下、と呼ぶのはおかしいだろう。リチャード…いや、ディックと呼んでくれ」
「いきなり愛称で呼ぶのは…わ、私のことはロゼッタでも…ぁ、なら、私も殿下のことを愛称で呼びます。だから、殿下も私のことをローズとお呼びください」
「分かった。…ローズ」
「で、ディック…様?」
「様は要らない。…さ、もう一回」
「でぃ……ディック……」
男性の事を、愛称で呼んだことなど無いのだろう。
顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにこちらをチラチラと見るローズを見ていると、こちらまで恥ずかしくなる。
二人して、照れてしまい、どうしよう…と思っていたところで、僕たちの父上たちは話が終わったのかこちらに来て、僕に話しかけた。
「ローズが粗相を致しませんでしたでしょうか? この娘には、昔っから何か変な事を言う癖がありまして…ただ、それがただの一回も外れたことがないのです。…何処でそんな知識を手に入れてくるのか…」
「いえいえ、ロゼッタ嬢とはとても楽しい時間を過ごさせてもらいました」
「それは良かった」
「して、ロゼッタ嬢、ウチの愚息が何か粗相を?」
…ローズの前で僕を愚息と呼ぶな。
本当にそうだと思われたらどうしてくれる。
「い、いえ、私もとても楽しかったですわ」
「ほう、そうかそうか、ウチの息子といて楽しいか」
ローズがそう答えると、父上は何故か頬を緩ませて僕とローズをしげしげと見た。
…いや、違う。
笑い出しそうなのを堪えている。
…何がそんなにおかしい。
「…父上」
「いや、な、お前はいつもつまらなさそう…と言うよりは目が死んでいた。だが、今はどうだ。光や好奇心に満ち満ちているではないか、ロゼッタ嬢のおかげじゃな」
「そう、かもしれませんね」
「三日後、婚約発表パーティーがある。二人とも準備を怠らないように」
「「はい」」
「ディック…まだ、時間もありますし、チェスでも致しませんか? それか、カードゲームでも」
すると、ローズが僕を呼びゲームを持ちかけて来た。
ゲームか、ローズは強いのだろうか。
「ああ、分かった。では、チェスでも?」
「ええ…マリン、チェス盤を用意して」
マリンと言うのは、彼女付きの侍女であるらしい。
この国では珍しい、スカイブルーの髪とハワイアンブルーの瞳を持つ彼女は、侯爵家の侍女らしく無い…どちらかというとほんわかした雰囲気を纏っている。
「はい〜、分かりました〜お嬢様が作った日本式のやつでよろしいですか〜?」
ん? チェスに何式もあるのか?
聞いたことないが。
「…ええ、良いわよ。早く持って来てね、『優姫ちゃん』」
…いま、なんて言ったんだ?
僕が知らない言語なんて、存在するわけ…。
「はぁ〜い。『了解です、桜ちゃん。私とも後でチェスしよーね』」
「…早く『うん、一緒にしようね』」
ただ、僕にはそんな事を考える暇さえなかった。
マリンという侍女が、戻って来たからだ。
「ただいま〜」
そうして、マリンと言う次女が持って来たのは、馴染みのある木で出来たチェスではなく何かの金属を加工して作られたと思われるチェス盤と、何か、硬くて軽いもので作られた駒だった。
「…これは…! …何で出来てるんだ?」
「…ええっと、チェス盤はアルミニウムと言う金属とスチール、駒はポーン以外はプラスチック製、ポーンだけは型の問題上製作でき
なかったので着色したアルミニウム製です」
…何を言っているのか理解できない。
それに、さっきの言語は何だ?
何故、あのマリンとか言う侍女は理解できる?
「…さっきの言語は…」
「あれは、日本語と言うものです。私、転生者だと言いましたでしょう?…あれは、元住んでいた場所の言語です……彼女…マリンも、私と同じ…転生者なのです。だから…」
「…一応は理解できた。他のことは追い追い聞くとして、時間がなくなってしまう」
チェスを始めるという一番初めの題から随分と遠ざかってしまった。
時間もないので、他のことは別の機会に聞く事にして、僕は、ゲームの開始をローズに願う。
「そうですわね…では、始めましょうか」
そうして始まったチェスだが…結果は僕の惨敗だった。
確かに、彼女が白で僕が黒だったが…それを差し引いても、僕は完全に負けであった。
パーペチュアルチェックに持ち込むことすらできなかったのだから。
僕は、ゲームでは負けたことがない…いや、今は負けたことが無かったか。
ルールさえ覚えれば負けることなどなく、敗北を知らない、それが僕だった。
だが…負けても悲しくはなく、むしろ誇らしかった。
ローズの強さを尊敬こそすれど、羨むことなど何も無かった。
だって、今回負けたのなら、また次、勝てば良い。
何度も何度も…いくら負けたって、最後に勝てば良い。
それに、夫が妻よりも(ゲームだが)弱いなんて、格好がつかないしな。
まぁ、いい。
僕たち二人の時間は、この先、いくらでもあるのだから。