0pt小説は砂漠であり、愉快な旅でもある
ここは、砂漠。
100万人以上いるはずが、なぜか閑散としている。
人々はポイントや感想の水を求めてさ迷い続ける。
小説家になろうという砂漠。
オアシスはある。
何百何千と集まるオアシスは、人々で賑わい活気に溢れている。
なろう砂漠では、皆がそこに集められる。
大きく豊かになっていく。
だが、その豊かさは、水を求める人の所に届かない。
はっきり見えるが届くことはほとんどない。
透明で高い絶壁があるから。
よじ登ろうと書く人、周りに目もくれずにひたすら書く人、絶壁やオアシスを見てボーとする人。
千差万別だが、沢山の人が足掻いた後、動くことを辞める。
作者が来ない未完の亡骸だけが残る。亡骸すら残らないときもある。
0ptの亡骸は沢山あるが、探そうとしないと、見つからない。
やっと見つけた亡骸に、感想の水をかける。
墓石に水をかける気分。
何故もっと早く水をかけてあげられなかったのだろう。
凄く面白いと思った亡骸に、レビューの雨を降らせる。
しかし、去った魂は簡単には戻ってこない。水が来た事すら気付けない。
だが、私は0ptの砂漠を旅する。感想の水を撒く。
0ptだからこそ、なろうではまだうけない、見られない、素晴らしい景色との出会いが、いっぱいあるから。
0ptの作者様の心からの喜びが、砂漠で渇ききった私の心を満たしてくれる、何よりも美味しい水であるから。
0ptの未開の地を踏む時、私の心が魚がかかった時の釣糸のように張り詰めて、大きく揺れ動かされるから。
0ptの砂漠に水を撒き、芽が生えて、やがて大森林となり
全ての作者様がもっと楽しんで書けるなろうになる。最高の道しるべがあるから。
そして何より
今後どうなるか分からない、0ptの砂漠を
作品と共に旅をする、この面白さが堪らない。