-崩壊は突然に-
ミンミンと蝉が鳴き喚く夏の猛暑日。
俺、セナ・レイズはいつも通り私立第七高等学校の1年3組で授業を受けていた。
今は4限目。科目は現代文だ。
担当するのは担任でもあるカナ先生。
綺麗な茶髪を腰まで伸ばし、フラットな胸をいつも張っている。
見た目は完全に中学生。
でも、しっかりと成人しているのだから驚きだ。
「なあセナ。今日もカナ先生はかわいいな!」
「悠人、お前はもうちょっと自重しろよ……」
授業中にも関わらず話しかけてきたのは、親友であり、カナ先生の大ファンである野口悠人。
黒髪を短く揃えてワックスで固めているイケイケ系の男子だ。
もちろんモテる。腹立たしいことに。
悠人はケラケラと笑いながら黒板に書かれた文章を板書していく。
こいつは勉強も運動もできる完璧超人なのだ。
「セナ、悠人。真面目に授業受けろよ」
「はいはーい」
「俺は真面目に受けてるよ!?」
少し的外れなツッコミを入れたのは同じく親友である相良響也。
変な所で不良なのか、髪は金髪に染め、目にかかるほど長く伸ばしている。
こいつもまたイケメンでモテる。非常に腹立たしい。
コツコツとノートを書いていると、授業終了のチャイムが鳴り響いた。
「は、はぅ!? もう終わりですか……中途半端なところですが、授業はここまでですー! 挨拶は省略しますので黒板を写せた人からお昼ご飯にしてくださーい!」
マイペースが可愛さのひとつであるカナ先生は今日のように授業終了のチャイムに間に合わないことが多い。でも、かわいいは正義。許される。
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「んじゃさてとー! 飯にしますかっ!」
「「さんせー」」
クラスがいくつかのグループに分かれて食事を始める。
俺の近くには悠人と響也、それと前川義樹、土田徹を合わせ4人。自分も含めて5人のグループだ。
学校で上手くやっていくには自分がどれだけ大きなグループに属するかが大切になる。
小さいグループもしくはぼっちの場合はいじめの対象になりかねないからだ。
その点俺は上手にやれていると思う。
「セナ、お前また栄養ドリンクと栄養バーかよ」
「悪いかよ。美味いんだよこれ」
「人の勝手だけどな」
この会話も何度となく経験した。
日常とは素晴らしい。
なんの事故もなく世界が回ればいいと思う。
でも、世界はそんなに甘くないらしい。
突如として爆発音が鳴り響いた。
「きゃぁぁぁ! な、何!?」
クラスの女子生徒が悲鳴をあげる。
さすがの俺を含めた男子達も驚きを隠せない。
「いったい何が起こったんだよセナ!」
「わかんねぇよ! 俺だって何がなんやら……!」
「響也……まずいぞ! 校舎が揺れてるッ!」
悠人の言う通り、確かに校舎はグラグラと揺れている。
それに気づいた他の生徒達が教室の外へ、グラウンドに出ようと走り出す。
その瞬間、校舎が倒壊し始めた。
「のわっ!? どうすんだよ! このままじゃ死ぬぞッ!」
「ぐぅ……ッ! 教室の窓から飛ぶぞッ! ここは2階だから死にはしないッ!」
「階段は!? 階段を使えばいいだろ!?」
「ダメだッ! もう校舎が傾き始めてるッ! 使い物にならない!」
「あーもーッ! わかったよッ!」
「仕方ない。俺も乗るぞセナ」
「あぁ。行こうッ!」
俺、悠人、響也は教室の窓を開け、飛び降りる。
3人ともなんとか着地に成功し、無傷で生還できた。
だが……
「校舎が……」
「まだ中に人がいるだろ……」
「悠人行くな。行っても無駄だ。俺もセナもお前も、死ぬ」
悠人が悔しさに唇を噛む。
あの校舎の中にはまだ100人以上の生徒達がいるのだ。
今はなんとか斜めに傾いた状態で止まっているので今のうちに逃げられればあるいは……
そんな思うように行くはずもなく、再び爆発音が響く。
「んぁ……」
「おい……おいおいおいッ!」
校舎が呆気なく倒れきった。
辺りに砂埃が吹き荒れる。
何も見えない視界の中、嗚咽が聞こえた。
すぐ近くに誰か生存者がいるのだ。
「誰が……!」
「その声は……セナ君? 私! 私だよ! ここにいる!」
砂埃が少し静まった頃にその姿は見えた。
黒髪を肩まで伸ばしたショートボブに幼さの残る顔。
クラスのアイドルと呼ばれる長谷川日向だ。
「日向! 何してんだ! こっちに来い!」
「う、うん! 今行くね!」
トコトコと俺達のいる方向へ走ってくる日向。
その背後に巨大な影があることに今更ながら気づく。
それはこの世界にいてはならないような異形だった。
「日向ッ! 逃げろォォッ!」
「へ? きゃッ!?」
隣にいた悠人と響也の目が驚愕に見開かれる。
それもそうだ。
目の前の少女が鮮血を撒き散らしながら宙を舞っていたのだから。
吹き飛ばした異形はイノシシのような見た目だが、その大きさは5倍以上あり、身体に赤く発光するラインが描かれている。
「な、なんなんだよこれぇ……! 俺は夢でも見てんのかよぉ……!」
「現実な訳ないだろこんなの……ッ!」
悠人と響也が崩れ落ちるように座り込む。
そのすぐ後ろにグチャグチャに叩きつけられた日向だったものが落ちてきた。
この光景は地獄としか言えない。
悠人と響也は日向だったものを見て気絶した。
俺はただ呆然とイノシシのバケモノと対峙していることしかできない。
「グルァァァッ!」
「あ……ぁ……」
突然、バチリと頭の中で何かが弾けた。
それはまるで宝箱を絡める鎖が弾け飛んだような感覚。
17年間の足りない記憶が徐々に復元されていく。
『強くなったな、セナ』
「ッ!!」
思い出した。全部。
俺の正体も。
今、やるべき事も。
「"掲げよ、約束の剣"」
身体を巡る『魔力』が掲げた右手から放出され、片手剣を型どる。
柄をしっかりと握り、剣を鞘走らせる。
『魔法剣デュランダル』。
最強の魔法使いフラム・レイズの弟子セナ・レイズに最適化された武器。
それが今解放された。
「やりたい放題してくれたじゃねぇかバケモノ。楽に死ねると思うなよ」
憎悪を込めてその言葉を吐いた瞬間、世界がスロウに変わる。
自己強化魔法『バーサク』。
イノシシの身体に描かれたラインが一際強く発光したのも束の間、イノシシの身体が高速で突っ込んでくる。
はずだったが、今の高速化された意識下に置かれているセナにとってはこんなもの亀が歩くより遅い。
「"風となれ、魂の器"」
『省略詠唱』によって簡略化された魔法式が唱えられ、発動する。
『バーサク』で高速化された意識とは別に、身体自体の行動を高速化させる自己強化魔法『クイック』。
今まで不可能だった『二重詠唱』だ。
一瞬にしてイノシシのバケモノの身体に5本の傷を与えた。
どれも致命傷レベルのものだ。
だが、イノシシのバケモノは止まらない。
無駄と知っていながらも地面を蹴る。
俺とて容赦してやる義理はない。
「"剣よ、吹雪け"」
続く詠唱により、デュランダルに刻まれた魔力線が水色に変色し、冷気を帯びる。
所持する物体に指示したものを纏わせる自己強化魔法の応用『エンハンス』。
この魔法式から帯びるものは氷。
またもや一瞬にして5本の傷をバケモノの身体に刻み込んだ。
その傷から氷が発生し、傷口を抉りながら凍結させていく。
「ギュァァァッ!」
さすがのバケモノもあまりの痛さに絶叫する。
だが、これだけでは終わらない。終わらせない。
何もしていない学生達を無差別に殺した罪を償わせる。
例え誰かに操られているとしても、こいつを殺した後でそいつも殺すだけのことだ。
デュランダルを勢いよく地面に突き刺し、柄を握りながら詠唱する。
「"悟れ、旅の終わり。焦土すら凍てつかせよう。何も芽生えぬ氷土を生み出せ"」
限界まで省略した魔法式が起動する。
巨大な魔法陣と、その四隅にある小さな魔法陣が回転し始めた。
そこから魔法陣から大量の冷気と氷が勢いよく現れる。
指定した範囲を永久凍土もかくやという勢いで凍りつかせる氷結系統上位の領域魔法『フリージング』。
一瞬にして学校内が凍土と化す。
吐き出す吐息も白くなり、辺りを冷気が覆った。
「はぁ……」
「わーすごいすごい!」
「な……ッ!? 誰だッ!」
校内の自分以外の全てを対象に領域魔法を発動したはずなのに、目の前にひとりの少女が笑顔で拍手をしながら立っていた。
銀髪を腰まで伸ばし、魔法使い特有のローブを羽織っている少女。
デュランダルはまだ地面に突き刺したままなので領域魔法は効果を持続させているはず。
それなのにこの少女が氷漬けにならないのは……
「私の名前はエレナ・フェレラル。以後覚えておいてね」
「フェレラル……ッ!」
「ふふ……アナタに私は倒せないわよ?」
フェレラルの名を名乗るということは、この少女は王専属魔法使いの一人、ティル・フェレラルの親戚か。
フェレラル家は代々保有魔力の多い優秀な魔法使いを生み出してきた。
きっとエレナも例外ではないはず。
「お前が元凶か」
「そー、と言ったらどーするかしら?」
「殺すッ!」
「うふふっ! 素敵!」
心の中から憎悪が溢れ出す。
こいつは許してはならない。
無差別に人を殺す魔法使いなんて、『同じ魔法使い』として許せない。
地面に突き立ったデュランダルを勢いよく引き抜き、『バーサク』を発動させて突っ込む。
「"剣よ、吹雪け"」
「あら、『エンハンス』なんてマニアックな魔法を使うのね」
「黙れッ!」
「"消滅せよ、加護の光"」
「あがッ! うぁ……ッ!」
「うふふふふっ……自己強化魔法って、『クリアキャスト』に弱いのよね」
デュランダルが纏う冷気が一斉にして掻き消えた。
そして、『バーサク』も強制的に解除され、激しい痛みが脳を貫く。
対象の物体及び範囲に付与された魔法を強制解除する阻害魔法『クリアキャスト』。
俺の得意とする自己強化魔法は自分の身体に干渉するものが多く、『クリアキャスト』によって強制解除される場合、魔法の援護なしに魔法を受けた状態の行動を起こすため、凄まじい痛みが身体中に襲いかかる。
『クリアキャスト』なんて上位魔法をそうそう使える魔法使いなんていないから頭から抜け落ちていた。
エレナが言った「アナタに私を倒せない」というのはこういうことか。
相性が悪すぎる。
杖も使わないで魔法を行使するのも余裕の表れか。
「私ね、少しテクニカルな魔法が得意なのよ。さっきの『クリアキャスト』みたいな阻害魔法とか、ね」
「はぁ……はぁ……だから……なんだッ!」
「アナタの自己強化魔法とは相性が悪いの。わかるでしょ? アナタ、頭は悪くないはずでしょ?」
「ちっ……お前のせいで、魔法界の存在が人間界に知られるぞ。そうしたらお前は確実に殺される」
「あらぁ、誰にかしら?」
「親戚だからティルはないとして、フラムが確実にお前を殺す」
派手にやりすぎたのは俺が原因でもあるが、魔物を寄越してきやがったエレナは確実に犯罪だ。
ティルがダメならフラムが刑を処すだろう。
だから、俺がやることはこいつの捕縛。
やってみせる。
「フラム……フラム・レイズねぇ……」
「何が言いたい」
「あの人なら王国を追われたわよ? アナタを逃がした罪で」
「あ…………」
「私がここに来たのも、アナタをちゃーんと殺すためよ?」
そうか、忘れていた。
『人間界への転移』が使用できるのは王の指示があるときのみ。
それを破り、俺を人間界へ逃がしたフラムは犯罪者なのだ。
「さてと、無駄話はここら辺でいいかしら? そろそろ時間なのよ」
「させるかッ! "飲み込め、世界の理よ。月よ、誘え」
「あら、慣れない魔法を使うものでは無いわよ?」
「星の約束。過重の渦"ッ!」
エレナの言う慣れない魔法というのは的を射ている。
俺が詠唱したのは、対象へ通常時の何倍もの重力をかける阻害魔法『オーバー・グラビティ』。
詠唱が長くなったのは、慣れていないから。省略できないからだ。
俺が得意な魔法は『自己強化魔法』と『領域魔法』。
その他の魔法はフラムに少し教えて貰っただけであまり得意ではない。
使えない魔法もある。
「アナタやっぱり馬鹿ね」
「なんで……」
「アナタ程度の『干渉力』じゃ私に阻害魔法なんてかけられないわよ」
「そういうことかァァッ!」
「かと言って、そんな力任せに来たら敵うって理由でもないのよ」
「な……ッ!」
『干渉力』。人によっては魔力の濃さなんて言い方もする。
干渉力の強い魔法使いに干渉力の弱い魔法使いが阻害魔法を使ったとしても、干渉力の差で効果がないのだ。
俺とエレナの場合、エレナの方が干渉力が強いようだ。
ならば魔法を使わずに、デュランダルを使った剣術だけで倒す。
そう思って突撃したのだが、気づけば背中を地面に付け、空を仰いでいた。
「あら、そんなに簡単に投げられるなんて思ってもみなかったわ」
「これは……王国式格闘術……?」
「知っているのね。もっとも、少しは改良しているのよ?」
「この野郎……ッ!」
女性だから近接戦闘は苦手だと侮っていた。
相手は実戦経験のある本物の魔法使い。
師が強いといえど俺はまだ経験が浅すぎるのだ。
格が違う。
「遊びは飽きたわ。死んでしまいなさい」
「ちくしょう…………ッ!」
「"奏でよ、破魂の歌」
エレナはローブの内側から腕程度の長さしかない杖を取り出して詠唱を始めた。
あの魔法式はやばい。
対象の魂だけを破壊し、生ける屍に変える精神干渉魔法『ソウルブレイク』。
不治の病に苦しむ病人を安楽死させる為に生み出された魔法だが、健全な人への使用があまりにも脅威的だったので禁止された魔法。
これを受けたら最後、回復も蘇生も意味をなさない。
「救え、魂」
(はは……こんなに簡単に死ぬのかよ……悠人も響也もまだ氷の中に眠らせてるってのに……情けねぇな、俺は……)
少し前まで忘れていた記憶が次々と脳裏に流れる。
懐かしい記憶に思わず涙が零れた。
「この者に安静を与えん"」
(ダメダメな弟子でごめん、フラム。氷漬けのまま放置してごめん、悠人、響也。非力でごめん、死んでいったみんな。約束、守れなくてごめんな、アナスタシア)
今まで出会って、迷惑をかけたみんなに謝罪を終えた瞬間、魔法が完成される。
そして、絶対の死が俺を貫いた。