7.その男、グラナート
更に新キャラ登場。
ようやく話がそれっぽくなってきました。
手回しの良いことに、空港にはすでに通訳らしき男が待っていた。
「ブオンジョルノ!シニョール」
大造たちから少し離れたところで、男たちはしばらく立ち話をしている。
二人がいい加減焦れてきた頃に、粋な白いスーツを着こなした男が大股で歩いてきた。
頭のボルサリーノまでが、眩しい白だ。
「随分と洒落のめした優男が来たもんだ。ありゃあ、昔華江が入れ込んでたイタリアの映画俳優の…ええと、なんて言ったっけかなぁ、マ…マ…マエストロ…そうだ、マストロヤンニの、若ぇ頃みてぇな野郎だなあ」
大造の見立て通りに魅力的な笑顔を振りまいて、男は二人の前にぴたりと立ち止まった。
「どうもすっかりお待たせしてしまって、済みません」
軽く帽子を上げてにっこり笑った顔は、典型的なイタリア男、といった風情だ。
流暢な日本語で話しかけられて、二人はびっくりしてしまった。政のたどたどしいイタリア語とは、到底比べ物にならない。
「…日本語、お上手ですね」
毒気を抜かれたように、そう返すのがやっとというのが情けない。
「ありがとうございます。あっちにバール、えー、喫茶コーナーがありますんで、どうぞ」
にこやかなズメラルド氏が待っている。いつの間にか、痩せた男の姿がない。
「もう一人…オーロさんだったかな?いねえようだが」
ちらりと視線を走らせ、大造が訊いた。
「ああ、彼は警察の事情聴取に応じています。ご心配なく」
「そうかい。俺たちは行かなくていいのかい?」
「はい。恩人の手をわずらわせることはしないと、シニョール・ズメラルドが」
「ふうん…そいつぁ、ありがてえ。俺たちも先を急ぐもんでね」
「立ち話もなんですから…ここのカプチーノは、なかなかいけますよ」
勧められるままに、バールの一角に席を占める。
大造は、席に運ばれた泡状のミルクののった代物を見た途端、
「紅茶にしとけば良かった…」
と、小さくぼやいたが、ひと口味わったあとはまんざらでもない風である。
ズメラルド氏に急かされて、男が改めてお互いを紹介することになった。
「シニョール・ズメラルドはナポリの宝石商です。この頃は日本との取引も増えまして、わたしはもっぱら通訳をしています。わたしはグラナートと申します。えーと、それで、お二人はサクラダ・ダイゾーさんと、イチガヤ・マサオさん、でしたね?」
二人を確認すると、グラナートは小さくうなずいた。
ズメラルド氏がグラナートに何か話しかける。身振りから、『訳せ』と言っているようだ。
「お二人はご観光ですか?」
どうします、と言いたげに政は大造を見た。どこまで話したらいいのか、大造の承諾なしに話すことはしない男である。
「観光じゃねえよ」
「ほう、それでは、お仕事ですか?」
「仕事、っちゃあ仕事みたいなもんかなぁ。孫を連れ戻しに行くのさ」
そのまま訳したようで、ズメラルド氏が大きく目を見開いた。身振りがいちいち大げさだが、普段アントニオを見慣れている二人は、さほど驚きもしない。
「お孫さんは、その…旅行じゃないんですか?失礼ですが、家出とか?」
言葉を選んで、グラナートがなおも訊いてくる。
「いや、そういうわけでもねぇな」
グラナートが、よく分からないと言いたげに頭を振ってズメラルド氏に伝えると、誤訳を疑ったのか、自称宝石商の男は、いらだたしげにグラナートに向かって強い調子で何か言った。
慌てて、グラナートが二人に懇願した。
「済みませんが、詳しく説明していただけませんか?このままじゃ、わたしの『能力』が疑われてしまう。どうか助けると思って」
ずっと渋い顔をしていた大造の顔が、ふとほころんだ。
「いや、あんたの顔をつぶす気は毛頭ねえんだが…どう説明したもんかなぁ…」
そこで、政が代わってグラナートに話し始めた。
「実は、この方の娘さんのご主人がイタリアのお人でしてね。お世話になったご親戚の病気見舞いに里帰りなすったんですが、それきり連絡が途絶えてしまって…それを心配したお孫さんが一人であとを追って飛び出しちまったってわけでして。俺たちはその子を追ってきたんですよ」
おお、と納得したようにグラナートが訳すと、ズメラルド氏は、うんうんと大きくうなずいた。早口で喋るのを聞きながら、ほぼ同時通訳でグラナートが伝える。
「それは心配ですね…何かわたしにお手伝いさせてください…言葉が通じないとお困りでしょう…そのお孫さんが見つかるまで…どうぞこの男を使ってください…え?」
最後の一言で、グラナートがズメラルド氏を振り返った。
その表情が、話が違う、と言いたげだ。二人はまた早口で喋り始めた。
結局、ひとつ肩をすくめてグラナートが言った。
「命の恩人に、わたしの国で苦労をさせることは出来ない。そのご親戚のお宅へ、この男を同行させましょう。お孫さんが見つかったら、ぜひ一度皆さんで我が家に来ていただきたい。歓待します、とのことです」
大造はそれにはおよばねぇ、と即座に断った。
「申し出はありがてぇが、そこまでしてもらう理由がねえ。孫は言葉に不自由しねえし、孫が見つかったら、俺たちはすぐに日本へ帰るつもりだ」
え、と意外な顔をしたのは政だ。
「おやっさん、お嬢さんたちのことは…」
「あいつらは立派な大人だ。自分たちのことは、自分たちでなんとか出来るはずだ。アントニオにしたって、生まれ故郷で何があろうとそれはあいつに関わりのあることだ…百合子もそれを承知で、一緒になったんだからな」
それはあんまり冷たい仰りようでねえんですかい、といいたいのを、政はぐっと堪えた。
二人のただならぬ様子を見ていたズメラルド氏が、グラナートに目配せする。
グラナートとズメラルド氏は、再び早口でやりとりを始めた。
ややあって、グラナートが提案した。
「サクラダさん、それではそのご親戚の家まで、わたしにご一緒させてください。何か事情がおありのようだが、わたしもシニョールに依頼された仕事です。はいそうですか、と放り出すわけにはいきません」
きっとズメラルド氏の指示だろうが、妥協点を見い出して、グラナートは食い下がる。大造たちにとってもありがたい話だったので、二人はその申し出を受けることにした。
「いやあ、それは良かった!ところで、そのお孫さんはお幾つですか?」
明らかにほっとした様子で、グラナートがにこにこと訊いた。
「十七だ」
「十七歳!なんとも元気なお孫さんですねえ。まあ、男の子はそれぐらい元気な方が…」
「女だ」
笑いかけたグラナートの顔が、固まった。
「え、女の子、ですって?」
「まだ高校生だ。あの、はねっかえりめ…」
ズメラルド氏にそのまま伝えると、氏は一層大きく目を見開いた。
グラナートをつついて、なにやら苦笑を浮かべて喋る。
「実はシニョールの娘さんも、一人で日本で働いているんですよ。お互い苦労しますね、と言ってます」
「ほう、そりゃまた奇遇だなぁ」
大造とズメラルド氏は、二人同時に顔を見合わせて、照れたように笑った。
「まあ…やんちゃ娘でも、大事な家族には違ぇねえ。俺は、家族が幸せに暮らしてくれりゃあ、それでいいのさ…」
グラナートからそれを聞いて、ズメラルド氏はわが意を得たりとばかりに身を乗り出して大造の手をとり、ぎゅっと握った。
「オー、ファミリア!エザット!エザット!アミーコ・ダイゾー!アミーコ・インティモ!」
グラナートがちょっと驚いたような顔で、訳した。
「その通りだ、あなたは親友だ!…と言ってます」
「はっはっはぁ!こいつぁいいや、言葉も通じねぇのに、友達だと言ってくれるのかい?ありがとうよ。…俺もこの歳になって、イタリア人の親友が出来るとは思わなかったぜ」
二人の男は、がっしりと手を握り合った。
「イタリアのお人は家族を大事にする、ってぇのは…本当なんだなぁ。あんたに会えて、良かったぜ。『袖摺りあうも他生の縁』たぁ、よく言ったもんだ。いつかまた、二人で酒でも飲みてえな」
日本のことわざを訳すのは難しかったと見えて、グラナートは苦労したようだが、どうにか説明できたようだ。
いつの間にか、パレルモ行きの便の時間が迫っていた。
「おやっさん、そろそろ…」
政に促され、男たちは席を立った。
三人の姿が人ごみの向こうへ消えると、どこからかオーロが戻って来た。
「話は済んだか?」
「はい、シニョール」
温和なズメラルド氏の表情が一変した。
「ビアンコを行かせたが、それじゃあ不足かもしれねえ。五、六人ほど応援に回せ…定期的に報告させろ。お前はあのうるさい蝿を洗え。俺を襲ったあの野郎は、セルペンテの回し者に違いない」
「はい」
「それと…『日本の友人たち』に連絡をとれ。ダイゾー・サクラダは、きっとひとかどの人物に違いない。俺たちと、同じ匂いがする…マサオ・イチガヤも、だ。娘の名はユリコ、その亭主はアントニオだ。シチリアの出で日本人と結婚した男も、片っ端から洗え」
「はい」
「面倒に巻き込まれているようなら、俺の名前を出しても構わん…しかし、あの島には迂闊に手出しは出来ねえ。セルペンテの野郎のことは、レッジョ・ディ・カラブリアのファルコに話を通しておく。ヌドランゲタのことは、ヌドランゲタの中でけりをつけるのが一番だ」
レッジョ・ディ・カラブリアは、かつてイタリア南東部カラブリア州の州都であった。現在の州都はカタンザーロである。
「カラブリアはヌドランゲタ、ナポリにはカモッラ。血の気の多い馬鹿どもはともかく、これからはお互い余計な手出しはしない方がうまくいくというもんだ…考え無しの目障りなモスカ|(蝿)やフォルミーカ|(蚊)は、早めに叩き潰さねばならん…」
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