6.一方、男たちは…
大分、間が空きましたので、2話投稿します。
新キャラ登場。
「おやっさん、窓側じゃなくてよろしいんで?」
「いい!俺は通路側がいいんだ。外の景色なんて見たくねぇ」
家でもどこでも、大造は必ず和服だ。
今回も例外ではなく、粋な着流しに最低限の着替えだけを詰めたかばんを持ち、すっと背筋を伸ばしている。足元は、ひいきの店で誂えた雪駄だ。小柄な着物姿の男が、大柄な男を従えてファーストクラスで堂々としている、その気負いのない自然な態度に、本人のあずかり知らぬところで、大造は国際線の客室乗務員から賞賛の眼差しを向けられていた。
しかし。
強い調子でそう言う大造のこめかみから、つーっとひと筋の汗が流れるのを政は見た。
気のせいか、顔色も少し青い。
『もしかしたらおやっさん、高所恐怖症なんじゃ?』
だったら飛行機なんて見るのも嫌だろうに、真理亜嬢ちゃんのこととなると…このお人は本当に家族思いなんだな、と政は素直に感動する。
すぐ前の座席でも、同じようなやりとりをしているのが見えた。こちらは五十がらみの恰幅のいい外国人だが、部下らしい男を無理やり窓側に座らせている。
見るともなしに見ていると、その男も不機嫌な顔をして、ハンカチで汗を拭いている。
機内は快適に温度調節がされているので、あまり汗などは出ないものだが。
ベルトを締めていよいよ出発、というときになると、大造もその男も妙に無口になって、大造などは客室乗務員の救命具のつけ方の説明を、真顔で聞いている。
見ているこっちの方が気の毒になってきて、機体が無事に地上を離れると、政は二人のために拍手したいほどだった。
「おやっさん、何か飲み物でも頼みましょうか?」
「お、そうかい。そんなら冷たい麦茶がいいや」
「…すみません、多分麦茶はないでしょう。一応、聞いてみますが」
結局冷たいミネラルウォーターを貰って一気に飲み干すと、大造はほっと一息ついた。
「ああ、生き返ったぜ。まったく、なんだって鉄の塊が空なんざ飛ぶんだか…」
ぶつぶつとつぶやくのには、聞こえない振りが一番だ。
政がふと見ると、さっきの外国人も同じように水を飲んでなにやらつぶやいている。
『大方、おやっさんと似たようなことをぼやいているんだろうな』
政は、見ず知らずのその外国人に親近感を抱いた。見るからに上等のスーツを着こなし、左の小指に大粒のエメラルドの指輪を嵌めている。分厚い台は、どう見ても純金だ。
『相当な金持ちらしい。成金には見えないが、それにしても少し無用心な気もするな…』
大造が話しかけてきたので、政はそれっきりその男のことを忘れた。
再びじっくりとその男を見たのは、それから五時間ほど後になってからだ。
「…おい、政。ちょっと見てみねぇ…あの男、ちっと様子がおかしかねぇか?」
さすがに昨日からの疲れが溜まっていたのか、うとうととまどろんでいたところをひじで小突かれて、政ははっと目を覚ました。
照明は暗く落とされて、なかなか目が慣れない。
「どの男で?」
「ついさっき、便所に行った野郎だが…今戻って来た。見な、目が据わっていやがる。なんかおっぱじめる気でいやがるんじゃねぇか?」
大造がそっとあごで指したその男は、ゆっくりと二人の座席の方へ歩いてくる。
痩せぎすの、ビジネスマンには程遠い風采のその男は、どこかしら爬虫類を思わせる冷たい目をしていた。もとより見覚えなどなかったが、政の身体に緊張が走った。
「やばそうな野郎ですね…」
「おうよ、腐った目をしてらぁ…おっ、野郎、なんか細工をしてやがるぜ」
よく見ると、右の人差し指で、左手の指輪から何かを引き抜いている。
「?」
男は、そのまま二人のすぐ近くまで歩いてきた。
ふいに、男が動いた。
「あぶねえ!」
「おやっさん!」
政が止める暇もなく、大造は前の座席の外国人に手を伸ばした男を、すんでのところで突き飛ばした。
突き飛ばされた男が近くの座席の女性客にぶつかり、驚いた女性が悲鳴を上げた。
大造は構わず、ひるんだ男の腕をつかんで捻じりあげる。男は一瞬、信じられない、という顔をしたが、すぐに大造に上体を押さえつけられ、床に組み伏せられてしまった。
大造からひと動作遅れて政は飛び出し、前の座席の男を庇うように立ちふさがる。
すぐに照明かぱっと明るくなり、引きつった顔の客室乗務員が飛んできたが、何が起きたのか理解できないでいる。
「政、糸だ!ガラスの粉が塗りつけてある!」
大造が言うのを聞いて、政はすぐさまポケットからハンカチを取り出し、身動き出来ない男の指から指輪を引き抜いた。
「糸…ガラス…危険な…警察…」
手元の『初めてのイタリア語・よく使う言葉』という本のページを繰りながら、政が乗務員にたどたどしく説明している間に、大造は男を落として気絶させた。
男はきっと、なぜこの小柄な東洋人に自分が組み伏せられることになったか、後になってもどうしても思い出せないだろう。それほど大造の行動は素早く、正確であった。
政の肩に、ぽん、と誰かが手を置いた。
「グラツィエ」
例の、外国人だった。部下らしい痩せた男も一緒だ。その身振りで、どうやら『交替しよう』と言っているらしいのが分かった。
連れの痩せた男は、気絶した男を一瞥して一言、
「セルペンテ」
と、低くつぶやいた。連れの男にもそのつぶやきは聞こえていたに違いないのだが、眉ひとつ動かさない。
痩せた男が大造に会釈をして、気絶した男を引き受けてくれたので、二人は座席に戻った。金持ちらしい外国人は、乗務員に説明をしている。
「ありゃあ…玄人の手口だな」
大造が低い声でつぶやく。
「確かに…機内に刃物は持ち込めませんからね。ガラスの粉を塗りつけたものなら、金属探知機には引っかからないでしょうし、指輪に細工をしたものなら、最初から気付かない。あんなものでも、ちょいと巻きつけて力任せに引っ張れば…」
「人の首なんざ、切れちまうな。」
失血死させるには十分だ。
「物騒な話ですね…おやっさん、狙われたのはあの男ですよ」
熱心に説明している男は、わたしを狙った泥棒だ、と言っているようだ。
「そうだな。随分金持ちみてぇだが…多分、それだけじゃねえな」
「あの二人、警察ですかね?咄嗟に、懐に手をやりました…あれは、拳銃を抜く仕草に見えましたが」
「ふん、そうでなきゃあ…おい、噂のお二人さんが来るぜ」
二人連れは戻って来たが、自分たちの座席に着く前に大造たちの前に立った。
「ピアチェーレ」
「なんだ?なんて言ってんだ?政」
「はじめまして、って言ってます」
「おお、そうか。ええっと、俺もピアチェーレ、だ」
「オー!」
その後、彼は凄まじい早口で喋り始めたが、もちろん二人には何を言っているのかわからない。かろうじて聞き取れた単語から、政が『よくわかるイタリア語・逆引き辞典』をめくって、怪しげな通訳をする。
「どうも、おやっさんに感謝してるようですね。ありがとう(グラツィエ)、とか恩人、とか言ってますよ」
政の様子で、男にはこちらのイタリア語のレベルが分かったようだ。ガイドブックに載っているような、簡単な言葉をゆっくりと喋ってくれた。
「レイ・ディ・ドヴェ?ジャッポーネ?」
「日本から来たのか、と聞いてます。はい」
「ミ・キャーモ・ズメラルド、レイ・コメ・スィ・キャーマ?」
「えーと、自分はズメラルドだ。あなたの名前はなんだ、と聞いてます」
怪しげな通訳をしながら、相手にも答えなくてはならない政は大忙しだ。
「桜田大造だ」
「サクラ?」
あわてて政が、彼はダイゾウ・サクラダ、自分はマサオ・イチガヤだと名乗る。
痩せた男はオーロというらしい。
政が何度も聞き返し、男が何度も言い直してくれて、やっとわかったのが、
「空港で時間があれば、カッフェ…えー、コーヒーでも一緒にどうか、と言ってるようです。是非さっきのお礼がしたいと」
と、いうことだった。
「礼なんぞ、いらねえよ。だいいち、話が通じやしねえじゃねぇか。お前も大変だろう」
「はあ、それはそうなんですが、どうも空港に日本語のインテルプレテ…えっと、通訳を呼ぶ、と言ってます」
「通訳だぁ?そいつはありがてぇが…シチリア行きに間に合うのかい?」
ふと、男が黙った。ズメラルド氏はにこやかな笑みを浮かべたままだが、オーロの方は無表情を装いながら、聞き耳を立てている。
「パレルモ行きは、乗り継ぎの都合で一時間半ほど空いてますが。どうします?」
「…まあ、断る理由もねぇな。さっきのことも気になるし、警察の事情聴取があるなら、通訳がいる方が助かる」
「わかりました。じゃあ、お受けしましょう…」
またもや、ありがとう、招待をお受けする、といった堅苦しい意味の単語が並び、四人はやっとそれぞれの席に着いた。
「政よう…どうやらお二人さんは、警察じゃあねぇな」
「…それでわざと『シチリア行き』、なんて仰ったんで?」
政が苦笑する。
「どうも、あの男と同じ『玄人さん』の匂いがしたんでな。ちょいと引っ掛けてみた」
最初に思いついたのは、二人とも『私服刑事』だった。
しかし、男たちが醸し出す雰囲気は…どうも警察とは思えない、剣呑な何かがあった。
「おやっさん、もし『玄人さん』だとすると…通訳とやらも、その筋の者かもしれませんね。それなら何か、お嬢さん方のことで情報がとれるかもしれません」
「それについちゃあ、あまり期待はしないこった。むしろ、あいつらのためにはならねえかもしれねえ…さっきは思わず手を出しちまったが、なるべく余計なことには首を突っ込まねえこった。俺たちは真理亜に追いつくことが先決だ。何がなんでも、あいつだけは無事に日本へ連れて帰らなきゃならねぇ!百合子のこたぁ…腹だけくくっとけ」
「おやっさん…」
それきり目を瞑ってしまった大造の厳しい横顔を見て、政は肩を落とした。
間もなくフィウミチーノ空港に着く。百合子から、最後の連絡があったという空港。
『百合子お嬢さん…きっとご無事で』
大造も言葉とは裏腹に、心の中ではきっと心配しているに違いない。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
イタリア語は、まさしく『本を片手に』書いておりますので、もしかして間違いがあるかと…
その場合は平にご容赦を(滝汗)