5. 大伯母さまと二人の少年
年下のふた従兄弟たち。
美少年の描写は難しいです。
その部屋は、決して豪華ではないがひと目で高価なものと知れる、年代物の調度に囲まれていた。
天蓋付きの大きな寝台に横たわった女性が、ほんの少し、こちらに視線を向ける。
どうやら、一人では起き上がれないらしい。
「あの、はじめまして…テレザ大伯母さま。わたし、真理亜です。アントニオの娘の…」
「そう。アントニオの…」
真理亜は、すぐにでもこの老婦人に両親はどこですか、と問い質したかったが、初対面の病人に、そう切り出せるはずもない。
「あの…お加減は、いかがですか?」
「マリア、こっちへおいで…顔を、よく見せて」
「はい」
呼ばれて、真理亜は寝台の側に近寄った。
真理亜の顔をまじまじと良く見て、老婦人は軽く微笑んだ。
「くせっ毛が、アントニオの小さいころにそっくり…ようこそ、マリア。わたしの孫たちには、もう会った?」
「いいえ、着いたばかりで、まだ…」
「そう。それじゃあ、ニコラに案内させましょうね。なんでも聞いて、いろいろ連れて行ってもらいなさい。この島は、綺麗なところが多いのよ…そうそう、ニコラに、わたしの薔薇を見てきて欲しい、と伝えておくれ。虫がついてるかもしれないわ…そういう季節なの。馬小屋もね…いい馬がたくさんいるのよ」
そう言われて真理亜は、やっとふた従兄弟たちの名前を思い出した。兄がニコラ、弟がロレンツォだ。
「はい、ありがとうございます」
「大奥さま、あまりお話しになると、お疲れになりますわ」
丁寧だが有無を言わさぬ口調で、秘書嬢が遮った。
「…そうね。マリアに部屋を用意しなさい。マリア、ニコラに会ってね」
部屋を出るときに、真理亜は秘書のトマシーナが、さも小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべるのを見た。
「さあ、それじゃあわたしは、お嬢さんの部屋をご用意させていただきますわ。それまでちょっとお待ちいただけるかしら?」
いちいち、言うことが押し付けがましい。
むっとしたが、真理亜は表面上は大人しく聞いた。
「お孫さんたちは、どこにいるの?」
「さあ。多分ロレンツォさまのお部屋でしょう。ニコラさまも、いつも一緒にいらっしゃいますからね」
「そう。で、その部屋はどこにあるの?」
「そちらですわ」
言われた部屋は、テレザ大伯母の部屋からさほど遠くはなかった。
「お部屋の仕度が出来るまで、お子様同士でお話してらっしゃったら?馬でも見ながら」
秘書の後姿を思い切り睨みつけてから、真理亜は、気を取り直してその部屋の扉をノックした。
返事はない。
入ろうかどうしようか、と迷ったあげく、真理亜はそっと扉を押し開けた。
「あの…ロレンツォ?」
部屋の窓から、日の光が差し込んでいる。時刻は昼を少し過ぎた頃で、真理亜はそこに、昼寝をしている天使を見つけた。
シチリアの子供にしては珍しく金髪で、幾筋かの前髪が、汗で額に貼りついている。
何歳くらいだろうか、うす赤い唇がわずかに開き、ラファエロの描く聖家族の幼子イエスのようなあどけない顔をしているが、ほっそりとした手足は間違いなく少年のものだ。
真理亜はそのまま立ち尽くし、しばらくの間見とれていた。
「誰だ!」
鋭い声にはっとして振り向くと、栗色の髪の少年…こちらは、厳密にはもう少年とは言えないようだ…真理亜より少しだけ背の低いその少年が、とがめるような眼差しで真理亜を見ている。
「お前、誰だ」
むかっとしたが、さっきの玄関前とは違う。黙って他人の部屋に入った自分の方が悪いので、真理亜は素直に謝った。
「勝手に入ってご免なさい。わたし、真理亜よ。マリア・サクラダ…アントニオの娘です。あなたがニコラ?」
きつい目付きに変わりはなかったが、ほんの少しだけ、そこに驚きが加わった。
「マリア?…どうしてここに」
「大伯母さまのお見舞いに来たの」
そのとき、天使が目を覚ました。
「ニコラ?誰?」
金髪で、瞳は地中海のように青い。
ニコラがロレンツォに向かって、かすかにうなずいてみせる。
「ロレンツォ、アルベルトおじさんの姪の、マリアだってさ…マリア、とりあえず中に入って。戸を閉めるから」
「あ、そうね」
ニコラは、戸を閉めるときに素早く周囲の様子を窺った。
それからくい、と親指で、真理亜に来るようにと身振りで示す。
『あらまあ、いっぱしの男みたいにイキがっちゃって』
まるで弟を守るように、ニコラは真理亜とロレンツォの間に立った。
「お祖母さまには、もう会ったの?」
「ええ、ついさっき」
この調子なら話してもいいみたい…そう思った真理亜は、テレザ大伯母からの伝言を思い出した。
「あの、大伯母さまがあなたに島を案内してもらいなさい、って仰ったの」
「そう」
ニコラはそっけない。どうやら社交辞令だと思っているらしい。
「それから、あなたに、薔薇を見てきて欲しいって…虫がついてるかもしれないから、って。あと、馬小屋と…そう、いい馬がたくさんいるから、って言ってらしたわ」
はじめて、ニコラの顔が和んだ。ロレンツォと二人、顔を見合わせて安心したようにふうっと息をつく。
「どうしたの?」
「なんでもないよ…じゃあ、薔薇を見に行くことにしよう。荷物はここへ置いていくといい。ロレンツォ、頼むな」
「うん、行ってらっしゃい」
にっこりと笑った顔が、打って変わって親しげなものになっている。
「また、後でね…マリア」
「ええ、ロレンツォ、後で」
廊下から裏庭へと歩いていく二人を、カーテンの隙間から秘書が見ていた。
「大伯母さまの薔薇って、これ?」
季節は真夏なので、薔薇の盛りはとうに過ぎている。それでも名残惜しげに咲いているいくつかは、大切に手入れされているようでとても美しかった。
「この薔薇は、死んだマンマが好きだったんだって…お祖母さまが大層大事に育てていらっしゃるんだ」
「わたしのパパの、従姉妹にあたる方ね…メリナおばさま。パパが懐かしそうに、よく話してくれたわ」
「アントニオおじさんには、マンマのお葬式のときに初めて会った。…マリアは、おじさんに来るように言われたの?ヴィットリオさんは一緒じゃないの?」
真理亜は、唐突に理解した。ニコラはパパに会っている!
「それじゃあなたはパパに、会ったのね?パパは、マンマはどこなの?どこにいるの?」
ニコラはびっくりしたようだ。
「え、じゃあ、君はおじさんに言われて来たんじゃ…」
「違う!わたし…本当はパパとマンマを捜しに来たのよ!」
二人は薔薇を挟んで、呆然とお互いを見た。
「待って。少しだけ、待ってよ」
ニコラはあたりを窺うと、一層声を落とした。
「…どうか、出来るだけ小さな声で話して、マリア。薔薇を見ている振りをして、誰にも聞かれないように…アントニオおじさんから、連絡をもらってないの?」
「じゃあ、あなたはやっぱりパパに会ったのね?」
ため息をついて、ニコラはうなずいた。
「ねえ、教えて欲しいの、ニコラ。一体何が起きたのか…」
ニコラは真理亜を見て、もう一度ため息をついた。
「わかった。でも…これから話すことは、誰にも話さないで欲しいんだ。特に館の中では、僕たちにも、お祖母さまの部屋でも。約束してくれる?神に誓ってくれる?」
「ご免なさい、わたしクリスチャンじゃないから、あなたの神様には誓えない。でも、わたしの大事なパパとマンマに、家族に誓うわ。決して誰にも話さない」
「それでいいよ…何から話そうか…そう、二ヶ月前の、あの事故のことから」
そして真理亜は、美しいこの島で起きている、怖ろしい事実を知った。
お読みいただきまして、ありがとうございます。