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二月のあじさい

 この手紙に記した文章は少し注意書きをしなくてはなりません。

なんといって、格好つけて書き出すには少々気恥ずかしい、

それはもう、とりたてて大仰に語るに値するものではありません。

けれども私のお腹から、あなたが産まれ落ちてはや二十年の記念すべき日も間近であります。

さして面白い類のお話ではないのですが、あなたにぜひとも伝えておきたい物語なのです。


簡単に一言で言うならば、私と母との思い出話です。

あなたが産まれる前には母はこの世を離れておりましたから、

きっと顔も背格好も想像がつかないことだと思います。

いえ、私と同じく、目立って美人というわけでもない顔立ちの、普通の母でありました。

ただ少し変わっていたのは、母はまったく笑うところのない女だったのです。

声を上げて笑うことはもちろん笑みを浮かべたところすら知りませんでした。

そんな母が、一度だけ私に笑顔を見せてくれたことがありました。

それだけのお話なのです。

あなたの好きな映画のような奇怪な幽霊や名探偵も出て参りません。

機械仕掛けの人間も難病の少女も登場いたしません。

登場人物は私と私の母と、あとはほんの少しの人たちだけであります。



それはもう随分と昔のことになりました。

私の幼い時分です。その頃から、母はなんとしても笑わない女でした。

物心のつく以前からそうでしたので、

当初私は母とはそういうものなのだと納得していたように思います。

しかし背が伸び、いくつか靴を替えていくうちに

私はどうにかして母を笑わせたいという念を抱くようになりました。


ある時は、金木犀の花が咲いたと言って枝ごと取って母に渡しました。

あなたは都会で生まれ育っていますから金木犀と言っても名前を聞いたことしかないものと思います。

金色のかわいい花をつけるので、私は好きでした。

そして少しお酒にも似た芳醇な香りを漂わせるのですから、なおさらです。

私は匂いに酔いましたので、母もきっとそうなるだろうと思いました。

酔えば人間は笑顔を浮かべるものです。

しかし母は、生きているものを粗末にしてはならないとだけいって、

笑顔を浮かべることはありませんでした。


ある時は、ビートルズのレコードをかけて母に聞かせました。

あなたたちの世代ではもはやそう人気もないかもしれません。

が、私の若い時分には、それはそれは大層な人気でありまして、

彼らが来日した時の狂乱ぶりときたら、常軌を逸していたといっても言い過ぎではありません。

もちろん私もその狂乱の最中にありましたから、

私はきっと母もビートルズには夢中になるものだと信じておりました。

母は、しかし、やかましいばかりで聞くに堪えないと申して、

テレビのほうへぷいと向き直り、耳を貸すこともありませんでした。


母はもっぱらテレビで相撲や囲碁を眺めておりました。

ただ眺めているだけで、相撲に狂乱するでもなく囲碁を解するでもないのですが、

母はどうしてかそれを習慣としておりました。ビートルズよりも相撲や囲碁のほうが好きなのか。

そう尋ねると、いやどちらも好きではないと答えるのでした。見てどうするというわけでもなく、

番組が終わるとまたいそいそと家事や内職を始めるのでした。


まったく母をただ笑わせるというだけのことに、私は非常に難儀をしたのです。

いかな策略を持ってしても、母は取り付く島もなく、

私は時に、これはまったく本末転倒ではありますが、母に怒りを覚え、

どうして笑おうとしないのかと問い詰めてしまうこともありました。

しかし一向母は取り合うこともなく、ただただ無表情に黙っているだけでした。


私はあきらめることができず、ともかくも母は何を好むのかと常々母の挙動を探っては、

さてでは母を笑わせるにはどうしたものかと思案をめぐらしていたのです。

そうこうするうち、私は今のあなたとちょうど同じ年の頃になっておりました。


その頃手伝いに通っていた花屋によく来る学生の方がおりました。

月に一度わずかな小遣いを握りしめて小さな花を買っていく、控えめな方でした。

その方はもちろんあなたのお父さんのことですが、私はその方と控えめなところに心が傾いて、

いつしかお付き合いをする格好となりました。

お付き合いを続けて半年ほどして、お互いの親に挨拶を、という段になりました。


父のない私にとって、親とは母だけでしたから、なんとしても恋人の前では母に笑顔でいて欲しい。

私は何度となく挫折しながらも、

これはもう執念といっていいでしょうが、

母を是が非でも笑わせてやりたいという心持ちになりました。


そんな折です。居間でテレビを見ていた母が筆とすずりを持ち出して、

なにやら短冊にしたためているところを見つけました。

何を書いているの、という私の問いかけに、母は短冊を翻して私に渡しました。

そこにはこう書かれておりました。


如月の 雨に打たれてあじさいの 花が草呼ぶ 草が花呼ぶ


母に短歌や俳句をひねる趣味があったとは存じませんでした。

私の監視の目をくぐってどうやらこうしたことを楽しんでいたようでした。

私は短歌の世界のことなどは疎いものですから、

これが名作であるのかどうなのかは判断のつかないことでしたが、

ただひとつ、おやっと気にかかることがありました。


「お母さん、如月は二月のことよ。二月にあじさいは咲かないわ」

先述のとおり私は花屋で働いていましたから、いえ、そうでなくったって、

あじさいが冬に咲かないことなど誰でも知っていることでしょう。

しかし母はいえ咲くのですよ、と答えました。そしてそれ以上は母は何も語りませんでした。


それから程なくして、二月を迎え、私はいよいよ二十歳になろうとしておりました。

その日恋人を母と対面させる日取りとなっておりましたが、

私はいまだ母を笑わせることができぬままでした。


これから対面という朝のことでした。

いつものようにテレビで相撲を眺めていた母が急に倒れたのです。

ちょうど足を絡げられた力士のように、音も立てずにころんと倒れました。

白衣の救急隊員が大挙して到着した頃には、母はほとんど意識がありませんでした。


かつぎこまれた病院ののベッドで、母は長い手紙を私にくれました。

ちょうどそう、この手紙のような長い長いものでした。

きっと倒れる以前からこっそり書きためていたのでしょう。

対面の折に渡す算段であったのか、懐にしまってあったのです。


意識のまばらな母は私に手紙をとくと読むように言いつけて、目を伏せました。

私は横たわる母の隣に腰をおろして、手紙を読みました。


手紙は、父のことから始まりました。

私は父がどこでどうして死んだのか、母からはもちろん親族からも知らされておりませんでした。

父は戦争で死んだでいたのでした。

若いあなたには昔話なのかもしれません。

日本はかつて大国であるアメリカと戦い、無残に敗れ去りました。

日本本土だけでなく、異国の土地でもたくさんの方が客死されたのです。

そのたくさんの方の中に、父もあったのでした。


遠い南の島から、父は身重な母に向けて何通も手紙を送っておりました。

当時手紙というものは厳しい検閲にかけられておりました。

写真を送ることも、戦況を知られる恐れありという理由で制限されていたと聞きますが、

父はどうした手段を用いたのか、

たった一枚ではありますが手紙に添えて写真を母に送っていたのでした。


そこには、

満開に咲いたあじさいの花と、軍服に身を固めた父の姿がある、と母の手紙に記されておりました。

ちょうど私の産まれた日にその写真は届いたということでした。


南の島にあじさいなどはないでしょう。どなたかが持ち込んで育てたに違いありません。

異国にあって日本を感じさせてくれるものとして、きっと大切に育てられたのでしょう。

暖かな風にはぐくまれたあじさいは、二月に元気な花を咲かせたようでした。


写真が届くとすぐに、母は無事出産そして母子ともに健康との報をすぐに送ったそうですが、

その返事がくることはありませんでした。

写真を撮った翌日に、父のいた陣地は敵の猛攻に遭い、

草木生い茂るジャングルの中で名誉の死を遂げたらしいとのことでした。

遺体は草薮に埋もれて見つからず、確かな生死は不明ということでしたが、

数ヶ月経っても父は戻らず、母のもとに死亡通知が届いたのでした。

父のいた陣地はまるきり焼き払われてしまい、

また日本にあった家も焼けていたために父の遺品らしい遺品はひとつとてなく、

最後に送られてきた写真が唯一の形見となったのです。



母の手紙の最後には、形見となった件の写真が、大事に和紙に包まれて封じられておりました。

あじさいと軍服姿の父。私は父をその時初めて見たのです。

あれほど笑うことのない母の相手でありますから、

さぞや父もまた笑わない人なのだろうと思っていたのですが、

果たして写真の中の父は、笑っておりました。

満面の笑みを浮かべ、いつであろう私の誕生を心待ちにしている様子がはっきりと伺えました。

写真の裏には数行の言葉がありました。


いくさ場にあって我慢することあり。ひとつに相撲、次に囲碁。

しまいには笑顔を浮かべることまでも。

先に逝った英霊たちに対して不遜不敬であるとて、笑うことすら禁じられる始末である。

本土に帰ったならば相撲を見たい。囲碁を打ちたい。

そして何より先に我が子を抱いて、貯めに貯めた我が笑顔を誰より先に見せてやりたいと思う。

この笑顔を授けたならば、

子が女子ならば花が草を呼ぶがごとく、

男子ならば草が花を呼ぶがごとく、

大変な人気者に育つことは疑いの余地もなし。

いくさはきっともうじき終わるから、我が子よまだ産まれてくるな。


如月の 雨に打たれしあじさいも 何も変わらず 美しきかな 


遅れて咲くも時にはよしである。

もし願い叶わず先に我が子が産まれたならば、

この写真はすぐには見せず、成人の折に見せて欲しいと願う。


手紙を読み終えた頃、母は静かにすっと死んでおりました。

母は、わずかな笑みを浮かべておりました。

我がの母をこうした表し方をするのは気恥ずかしいですがが、

母の笑顔の、なんと美しかったことか。

この世の全ての霧を払うという菩薩様の笑顔にも思えたのでした。


その時私は母に誓ったのです。私はどうであれ笑顔を絶やさぬ女になろうと。

足折れ心が砕ける出来事に際しても、私は決して泣かぬと決めたのです。

父と母から授かったこの笑顔を決して絶やしたくはないと思ったのでした。

爾来私は泣きません。


さて、先日のことは不幸でした。

あなたはなぜ自分の亭主が死んだ折だというのに私が笑っているのかとひどく怒っておりましたね。

そうです、そうした折には笑うのは不敬でありましょう。けれどこれは私の誓いでありまして、どうであっても曲げることのできないことでした。

父を失ったあなたの泣きくれる姿を前に笑顔でいることは、私にもとてもつらかった。

しかし言い訳がましいように思われそうですが、どうにか言い訳をさせていただくと、

主人も私のこうしたところが好きだとよく申してくれておりましたので、

天国で再開してもお叱りは受けぬものと私は信じております。


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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。 題名だけで読者に「なんだろう」というひっかかりを覚えさせます。 読んでみようという気持ちにさせます。 「笑わない母」にも興味津々。ますます読み進めたくなります。 文学的薫りの…
[良い点] 価値観の衝突がドラマを生みます。不可解な行動のオチに戦争世代の経験を持ってきたのは良いと思います。しかも二段落ちです。 [気になる点] 最後の行で痛恨の誤字。「再会」でしょう。 文中の「母…
2011/11/21 02:18 風野妖一郎
[良い点] しっとりとした文の書き方が作中の雰囲気とテーマに合っている。伏線の回収のしかたも素晴らしい。個人的にはかなりの良短編。 [気になる点] 文の最初の一マスがほとんど空いていないのには違和感を…
2010/11/09 22:16 退会済み
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