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屍に生きる  作者: 水落護


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4/5

 女は枝を踏み鳴らしたような音で目を覚ました。ひなたぼっこをしていたような感覚を不思議に思いつつも、うすらと目を開けた。


 見れば目の前には焚き火があり、中ほどまで炭化した薪木がまたちいさく爆ぜた。


 体の節々に痛みを感じながらも気だるい体に鞭を打って辺りを見渡せば、どこか見覚えのある小屋が目に映った。


 ぼうっと寝ぼけた頭を動かしていると、乾いた隙間風に思わず身が震えた。そこで女は初めて身を包む外套の下が一糸纏わぬ姿であることを知った。


 知れば体を巡る血潮が脳へと駆け巡り、真っ赤な顔は熱した栗のようにはち切れんばかりだった。


 だがそれも記憶を巡れば降る雨に冷まされた。父へと捨て吐いた台詞も渦巻けば自分へと牙を剥け、寄せる吐き気に思わず固唾を飲んだ。口の中に胃酸の嫌な後味を残しながら、女は辺りを見渡した。


 周囲に人の影は見当たらない。しかしエリーゼも地方に住む身とはいえ、曲がりなりにも地主の娘というすこしばかり裕福な家庭で育った自覚はある。よもや眠りながら火を起こして薪木を焚べ、普段ならできもしないことにもかかわらずそれを眠りながら自分を世話しのだなどと思いやしない。


 そんなキツネに摘まれたような話で自分に自惚れるほど夢見がちな年頃でもなければここに第三者を探すのは必然とも言えた。しかしいくら探したとて周囲に人の姿は見えない。ただ自分の足元に粗末な布袋が置いてあるのがひとつ見つかるのみであった。


「なんだろう、これ……」


 どれほど寝ていたのかは分からないが、何の気なく声に出してみてエリーゼは初めて気がついた。それほど喉の調子が悪いわけではないのだ。火の近くで暖を取りずっと眠っていたにも関わらずだ。奇妙な話だと思いながら、女は布にくるまれたものに目を丸くし、そのうちのひとつを摘み上げた。


 それ自体はこの地方ではまるで珍しいものでもない、よく食用に使われることの多いただの胡桃くるみだ。しかし女の記憶に誤りがなければ、今の時期の胡桃はまだ青く果肉も付いているはずだった。


 それにも関わらずこの胡桃は果肉を取ってあるばかりか、殻まで割って中の種子を取り出しては布に纏めて置かれているのだ。


 胡桃の果汁は灰汁(あく)が強く触れば手が黒く染まってなかなか落ちやしない。見れば自分の指は当然白く、最も低かった可能性はここで完全に排除された。


 いよいよここに人がいるのだと分かれば、まずその脳裏を掠めたのは父の存在であった。しかしそれならば真っ先に家へと連れ帰られているだろうと思い至ればその警戒も自然と薄くなっていった。


 次に考えられるのは親切な旅人ということになる。ただそうなればエリーゼの顔はまた薪木が爆ぜるがごとく火を噴いてしまい、それを誤魔化すように外套を頭からすっぽりと深く被った。


 この女とてうら若き乙女だ。婚前に一糸纏わぬ姿を赤の他人に晒したのだと思えば羞恥心に苛まされるのも至極道理であった。


 しかし薪木の炸裂する音とは別で枝を踏み締めるような音を聞けば、女も途端に警戒の色を濃くする。美しく整った顔も凛々しさが際立つように引き締まり、頼りなくとも唯一この身を守ってくれるしれない外套を引き寄せ羽織った。


 玉の肌を隠したのは精一杯の抵抗と言えるだろう。一歩、二歩と薮をかき分けて現れたその人物は、まず睨め付ける女を見れば手にしていた薪木と共に皮袋をするりと地面へ落として数度瞬きをした。トポトポと音を立てながらこぼれていく水を気に留める様子などもなく、ただ目の前にある現実を疑うようだ。


 そして噛み締めるように膝から崩れ落ちると安堵のため息を漏らした。その様子を見れば、初めこそ身構えていた女も呆気に取られ、この人物が自分を助けてくれたのだと理解した。


 しかしそれでもまだ幾許かの緊張は残っていた。それはその人物の服装だった。縫い合わせたぼろ布をツタでぐるぐる巻きにした服からはお世辞にも育ちの良さは見えなかった。頭をぐるぐる巻きにした異質さなど今が昼間でなければ物の怪の類かと疑いたくなるほどだ。女は一息自分に勇気をくれる酸素を取り入れれば、声を奮い立たせた。


「どなたですか?」


 図らずとも鋭い声になってしまったことに礼節を欠く行いだと反省をした。しかし口にしてしまえばそれまでで、女には固唾を飲んで男の言葉を待つより他はなかった。


「……あ、う」


 体格とは裏腹に老人を思わせるほど掠れた声に、女は外套を強く引き寄せた。異様な雰囲気を纏う男が喋ることもできないとなればそれも致し方のないことではあった。


 しかしおもむろに枝先で何度も地面を引っ掻き出せば、女も目を丸くして驚きを隠せやしなかった。


「……あなた、字を!?」

「あう」


 床に描かれたのは文字だった。内容は「怪しい者ではない、危害は加えない」という簡単な文章だ。しかし文字の読み書きはふつう農民にはできないことなのだ。


 ある程度の教養があるのだと分かれば、張っていた肩肘の力も途端に抜け落ち、ようやく女はそっと胸を撫で下ろして安堵のため息を吐いた。


「失礼しました、この身を救ってくれたこと、感謝致します。ご無礼をお許しください」

「うぅ…………」


 言葉が通じればと男は願った。想い人を不安にさせることもなければ、たちまち安心させられないもどかしさだけがそれを思わせた。しかしどうにも叶わぬ夢であることは間違いなかった。


 思いとは裏腹に喋れば喋るほどにしゃがれていく声は、そう遠くない未来にプツリと声帯の擦り切れてしまうことを示唆しさしていた。


 男もそれを重々理解していたものの、到底容認できるほど現実というものを噛み締められはしなかった。


 頭を撫でるように吹いた乾風に男が首を振れば、女はふと自分の身のなりを思い出し、緩んでいた手をまた強く握り直しては外套を引き寄せた。


「私の服はどこに?」

「あう」


 問われれば男は迷いなく小屋を指差した。言葉が通じなくともその裏にある善意を読み取るのも容易い。女は小さく会釈をして小屋へと小走りで駆け出した。


 見送った男は薪木を拾い上げると火に焚べて並べ上げ、しぼんだ水風船のように地面に横たわる皮袋についた泥を気持ちばかりに指で擦った。ざらりとした砂は水と共に伸びるばかりで、完全に落ちはしなかった。

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