1 旅立ちのヒに
森を渡る風が木々を揺らし、小鳥のさえずりが響く。
少年アルトは槍を構え、息を潜めていた。まだ幼い手には重すぎる武器だが、必死に獲物を狙う瞳は真剣そのものだ。緊張感で木の柄に汗が滲む。
背後から、ミリアが囁いた。
「大丈夫、アルトならできるよ」
その声に勇気づけられるが、槍は空を切り、野兎は逃げてしまった。
「あっ!もうっ!」
悔しさで木々に足踏みをする。
すると上の木々から声が聞こえた。
「ははっ! また外したな!」
勝ち誇った声を上げたのは、同い年の少年リオン。弓を手にした彼の矢には、仕留めた鳥がぶら下がっていた。
「これで何度目だ? やっぱり狩りは俺の方が上だな!」
アルトは唇を噛んで悔しさをこらえる。だがミリアがやわらかく笑って言った。
「でもアルトは優しいよ。いつも村のみんなのことを考えてるし……私は、そういうところが好き」
頬が赤くなるアルトに、リオンは顔を真っ赤にして叫んだ。
「なんでアイツばっかり! 俺だって……!」
三人は笑い合いながら村へ戻った。
畑には緑が揺れ、子どもたちが駆けまわる。家々からは煙がのぼり、鍛冶場には金槌の音が響いていた。
人々はみな笑顔で、三人を迎えてくれる。
「おうっ!お前ら!また狩りに出かけてたのか?」
豪快に話しかけてくる熊のような男はダリアだ。
「そう!また俺が狩ってきたんだぜ!」
そう言ってリオンは仕留めた鳥をダリアの前に突き出すように見せた。
「ははっ!そりゃあ良かったなぁ!将来が楽しみだ」
ダリアがそう笑い飛ばすとリオンの背を叩いた。
三人が向かう先には、屋根が紅く塗られた木造の家が見えてきた。
アルトの家だ。
その扉の前に1人の白銀の髪をなびかせた女性が立ってこちらを見て声をかける。
「皆、おかえりなさい。今日は何してきたの?」
優しい声色で話しかけるのはアルトの母レイアだ。
3人が駆け寄りそれぞれ話をし始めた。
嬉しそうにレイアは3人の話に頷きながら玄関を開けて4人で家の中へ入っていった。
何よりも大切な日常だった。
その夜。
夕餉を終えた後、アルトは母の膝の上に座り、古びた絵本を開いた。
ページには色褪せた絵が描かれており、精霊の光に囲まれた人々が村に豊かさをもたらしている。と書かれている。
「ねぇ母さん、この話、本当にあったの?」
アルトが問いかけると、母レイアは優しく微笑んだ。
「ええ。昔、この村には精霊と心を通わせられる人がたくさんいたの。風を呼び、火を灯し、水を操る……精霊は人々と共に生きて、この村を守っていたんだって」
レイアは柔らかい声で続ける。
「でもね、精霊と語らうには強さだけじゃなく、優しい心が必要なの。誰かを想い、守りたいと願える心―アルト、あんたなら、きっといつか精霊に選ばれる子になるわ」
「僕が……精霊に?」
目を輝かせるアルトに、レイアは穏やかに頷いた。
「そう。だからね、強くなることを焦らなくていいの。アルトはもう、立派に人を想える子なんだから」
アルトは胸を張り、小さな声で呟いた。
「ぼく……いつか絶対、誰かを守れる人になるよ」
レイアはその頭を撫で、絵本を閉じた。
――その温かな時間が、最後の夜となった。
轟音。
村の外れから炎が噴き上がり、鎧の兵士たちが森の影の中から雪崩れ込んでくる。
「命令だ! この村を焼き払え!」
「男は斬れ! 女と子供は捕らえろ!」
指揮官のような男が指示をすると兵士たちは馬を走らせ剣を掲げ、後方の黒のローブの兵士は火魔法を放ちながら進んできた。
「くそっ!なんでいきなり俺達を襲ってきたんだ!」
「男は剣を取って戦え!」
ダリアが叫ぶと村の男たちは雄叫びを上げ立ち向かった。
剣が閃き、炎が家を呑み込み、悲鳴が夜を裂いた。
アルトは母レイアに駆け寄る。
「アルト! 逃げなさい! 生きて……!」
「いやだ! 一緒に逃げようよ!」
その瞬間、火球が屋根を砕き、轟音と炎が母を呑み込んだ。
「母さん!!!」
兵士の手がミリアを掴む。
「この娘は連れて行け! 若い女は使い道が多いからな。」
「やめて! アルト――!リオンーー!」
「ミリア! 離せっ、返せよ!」
必死に飛びかかるリオンを、兵士が蹴りで弾き飛ばし、壁に叩きつけられ気絶した。
「哀れなガキだな。女は我らが国で使ってやる!」
嗤い声とともに、ミリアは炎の向こうに消えていった。
あれから何時間経っただろうか。
暁時 焦げ臭くなった木の瓦礫の中から力無くアルトが這い出てくる。
周りを確認しようと顔を上にあげると腕を押え足を引きづりながらこちらに向かってくる傷だらけのリオンが見えた。
リオンがアルトの近くで倒れ込む。
「くそっ……! 俺は……戦えなかった! ミリアを……奪われた……!」
リオンは拳を握りしめ、涙に濡れた顔を炎にさらした。
「……母さんも……村のみんなも……ミリアまで……守れなかった……!」
声が震え、胸が焼け付く。
「……絶対に許さない。 あいつらを……必ず俺の手で……!復讐してやる……」
リオンも歯を食いしばり、叫んだ。
「俺だって……! 必ず取り戻す! ミリアを奪ったあいつらを、この手で殺してやる!」
燃え落ちた村の真ん中で、二人は決意した。
胸に刻まれたのは悲しみと怒り、そして――復讐への誓いを。
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