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蛇の王

 帝都の中央情報局庁舎は、軍本部から南に位置する灰色の建物だった。堅牢な石造りの外壁に、僅かに硝子をはめ込んだ窓が等間隔に並び、その無機質さはまさに情報という名の戦場を象徴していた。


 その最上階、南側に位置する部屋。


 諜報部中将ジークハルト・アーデルハイトの執務室は、静かに重たい扉を開けてカミユ・シェリングを迎え入れた。


「失礼いたします、中将閣下。お呼びと聞き、参りました」


 軽薄な笑みを浮かべながらも、カミユは一応の敬意を込めて帽子を取り、胸に手を当てて一礼する。


 執務机の向こうで書類を束ねていたアーデルハイトは、その手を止め、ゆるやかに顔を上げた。


 黄金の髪、切りそろえられた前髪の下に覗く琥珀色の瞳は、どこまでも冷静だった。


「カミユ准尉。早速だが、話がある」


「革命騎士団、ですね」


 カミユが言うと、アーデルハイトは小さく目を細めた。


「……やはり、君がヴァルター大尉に情報を渡した張本人か」


 その声音には怒気も責める色もなかった。ただ、事実を確認する者の静けさがあった。


 カミユは肩をすくめる。


「ええ。わざわざ確認されるとは思いませんでしたよ。まさか中将閣下ほどの方が、まだ諜報部内の一部にしか流していないはずの極秘情報を、誰が漏らしたかを、わざわざ私に聞いてくるなんて」


「なに、形式だ。私は成果をあげたならば命令違反は咎めん。

 ただ、上層部のお偉方はそうは考えんからな、責任がどこにあるかは確認しておかねばならん。

 君が選んだ判断は、私の方針とは異なっていた。

 私は敵を根を絶つ。土壌から焼く。そのために情報は密やかに用いられるべきだと考えている」


 アーデルハイトはそう言いながらも、どこか楽しげに微笑んだ。


「だが、君の行動は結果として数百名の民間人を救った。軍人としての正義には適っている」


「……随分とお優しい評価ですね」


 カミユの声はどこか刺を含んでいた。


 アーデルハイトという男は、不思議な人物だった。


 三十二歳。平民出身。


 だが、歴代の情報将校たちが戦争の中で命を落としていく中、次々と空席となった上位ポストを実力と結果で埋め、ついには中将にまで登り詰めた。


 端正な容貌。柔らかく波打つ金髪、瞳も同じく黄金に近い琥珀色。中性的な美貌は時に彼に不当な噂をまとわせた。


「上官と寝て地位を手に入れた」


 そんな陰口も珍しくなかったが、本人は全く気にする様子を見せない。


 興味があるのはただひとつ――『成果』。それだけだった。


 だからこそ、カミユは彼を『合理主義者』と評しながらも、同時に『非合理的』だと評価していた。


(ああまで徹底されてしまえば、人間的な感情を疑ってしまう。美しさと冷酷さが両立するなど、あまりにも矛盾している)


 カミユは内心で呟きながら、アーデルハイトの言葉を受け流す。


「私は正義のために動いたわけじゃありませんよ。

 ただ、今回の目標地点は爆破されたら厄介だった。それだけです」


「社会的混乱か」


「ええ。あの駅は帝都の交通の要ですから。

 混乱すれば庶民の生活はもちろん、軍の物流にも支障が出る。デモが起きる可能性もある。そうなれば、我々の仕事は倍増ですよ」


 アーデルハイトは少しだけ唇を歪めた。


「君らしい。……だが、私はそれもひとつの正しさだと考える」


 その目は、冷たい炎を灯していた。


「我々の仕事は正義を語るものではない。ただ、災いを最小限にする。

 可能ならば、火が上がる前に火種を持つ者を仕留める。

 それがまだ、ただの可能性に過ぎぬとしてもな。

 それが諜報の役目だ」


「同意しますよ、中将閣下」


 カミユはわずかに頭を下げる。


 アーデルハイトの目は、まだ何かを測るように彼を見つめていたが、やがて興味を失ったように視線を外した。


「案ずる必要はない、軍部の老人たちは私が黙らせておこう。

 君は臆せず、己の職務を果たしたまえ」


上官からの温情、とも言えるような言葉に苦笑しながらカミユは唇を吊り上げた。


「また枕営業でもなさるおつもりで?」


「望むなら君を私の寝所に招いても構わんよ。

 利益があるならばな」


 ふ、と笑いながら言ってのけるアーデルハイトの態度にカミユは舌打ちをしながらも、素直に頭をさげて執務室を後にした。


 カミユが調べた限り、「上官と寝ている」というアーデルハイトの噂は事実だ。


 それどころか、女も男も関係ない。


 アーデルハイトにとって、すべての人間は肉袋であり、自らに快をもたらすか、否かでしか判断をしていない。


 それはある意味、極限的に自身の快楽という命題を達成し続ける機構のような合理性があったが、その反面、わざわざ肉体を重ねる意味がカミユには理解できていなかった。


 抱いた相手を殺す、殺した相手を愛する、愛して壊す。


 それがアーデルハイトという男であり、そんな男に首輪をつけられているのが、今の自分である、ということにカミユは嫌悪感を拭えずにはいられなかった。


「精液臭い……」


 小さく、誰に言うでもなくカミユは呟いた。


 娼婦だった母の影響か、カミユは男の欲には敏感だった。


 だからこそ、そうした欲のないヴァルターに対してはある種、消去法的な友情を築ける相手、という評価を下していた。


 だが、そんな薄っぺらな友情すら、カミユにとってはどうでもいい。


 ドリスという少女の周囲を見る目は冷ややかだが正確だ。


 確実に他者の望みを映し出す鏡のような少女。


 その娘を利用する手札がヴァルターだというならば、カミユは旧来の友人など簡単に使える手札としか思っていなかった。


「さて……連中のねぐらに火を放つ支度に戻らないといけませんね」


 今朝の騒ぎはいってしまえば、飛び出したネズミを捕まえただけ。


 諜報部の真の狙いは、ネズミの巣を根こそぎに焼き払う事。


 そのための機構の一部に戻るため、カミユは表情から薄笑いを消していた。

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