正ヒロインちゃん、故郷の人々に悪魔祓い(断罪)される
のどかなヴァインブリュッケ村。ご領主様ことハワード・シュテルン卿が走り込んできたのは朝方のこと。
「リリイ! ジョンの娘リリイはどこにいるー!」
「やあん、ご領主さまったらまだ朝早いのにい。はーい、リリイでえっす」
「貴様あああ! 学園で王太子殿下に近づき公爵令嬢ヘレーネ・グレーヴェンハウゼン様のご不興を買ったとはまことか!? 狩猟仲間から聞いて耳を疑ったぞ!」
なんだなんだと集まってきていた村人たちは、ぴたっと静まり返った。
人垣のまんなかで、愛らしい金髪のリリイはてへっと自分の頭を拳でコツンと叩く。
「うっふーん。そうなのお。リリイ可愛いからあ。王太子様に好きだよって言われちゃってえ」
「ここヴァインブリュッケ村はグレーヴェンハウゼン公爵の庇護下にあってこそ存続できるのだぞ!? これほどの大恩を受けながら、貴様、そのご令嬢に歯向かったのか!」
むんっ、とリリイは胸を張った。
「ひっどーいい。なあにその言い方! ご領主様、リリイに謝って!」
領主ハワードは怒りのあまり卒倒しそうになった。
のそのそと、煉瓦づくりの家から農民夫婦が出てきてぺこぺこ頭を下げる。
「申し訳ねえこってす、ご領主様。よっく言って聞かせますんで……」
「光の魔力? なんかが見つかって、都のお貴族様の学校なんて行かせてもらえたから、どんどん頭が悪くなってもうて……」
リリイは両親の背中に隠れると、べえっと領主に舌を出し、キャンキャン叫んだ。
「ヘレーネ様ってばひどいんですよう! あたしが普通に廊下を歩いてただけなのに、『アナタ、ここは貴族用の通路でしてよ』とかゆうのォ。おかしくなあい? おんなじ学生のくせにさっ、王太子さまは優しいからあ、リリイにおイタしちゃメッ、ってヘレーネ様のこと叱ってくれるのおー。それってぇ、あたしの方がヘレーネ様より愛されてるってことだっよねーえん。うふっ。リリイってば罪なオ・ン・ナ!」
それからちらっと村の面々を見下したように眺める。何人かの男が目を逸らす。
「まあ? このちんけな村にいたときもお? あたしが一番モテてモテてしょうがなかったもんねっ。あたし、一番カワイイからっ」
領主はがっくり肩を落とした。
リリイの両親は、ぴょんぴょん跳ね回って「あたし、カワイー」だの「あたし、ヒロインだもーん」だの叫ぶ娘にどうすることもできず、ただ寄り添ってうなだれるのみ。期待はできない。
確かにリリイは愛らしい娘ではあった。珍しい光の魔力に覚醒し、都の魔法学校に招かれるときは「あたし、偉くなって村のみんなに楽させたげるからねっ」などと殊勝なことを言ったものだった。
だが一年目の長期休暇に帰ってきたときにはすっかり人格が変わっており、いわく、「あたし記憶思い出したの」。「あたしがっ、ヒロインっ、だったんだー!」と手が付けられなくなっていた。
今は二年目の長期休暇の帰省である。
領主はハゲあがった頭を撫で、村人たちを見回した。もはやリリイはどうしようもないということを、誰もが理解していた。
彼は宣言した。
「儂はこの村の娘、リリイが都に招かれたときここまで出向いて言い含めた。この村も、儂の領地も、存在できていること自体がより高位の貴族の旦那様、奥方様のご慈悲によるもの。決してそのご機嫌を損ねるような真似はしてはならぬ、と。それはこのハワード・シュテルンとその庇護下にあるそなたらの身を丸ごと危険にさらすことであるから、と。村長、聞いていたな? 書記官、聞いていたな?」
はい。はい。村人たちのうちから低い同意の声が上がる。誰もが暗い目をしている。
リリイの両親は深く腰を折り、膝を折って顔を伏せている。
ただ本人のリリイばかりが元気である。
「あれほどの警告、村の期待、社会の常識をすべて忘れたかに見える素行、これはもはやこうとしか考えられない。すなわち――儂はここに悪魔祓いの必要を宣言するっ!」
おうっ。
と、村人たちは揃って頷いた。
もはやそれしか考えられなかった。
***
かくしてハワード卿は神殿に手紙を書き、悪魔祓い師が呼ばれた。
このように田舎の村であるのに、専門家たちは二日で到着した。もしやグレーヴェンハウゼン家が神殿に手を回していたのか、と彼は冷や汗をかいた。
悪魔祓い師は三人。
一番年嵩のクロフォード師。中年のヴァレンティーニ師。それから使いっぱしりらしい卑屈な顔つきのルカス・グリムという年齢不詳の男だった。
「どうか、お願いいたします。元の可愛いリリイを我々に返してください」
と領主は平身低頭しながらリリイ一家の家へ彼らを誘導した。
「うむ、任されよ」
と三人は重々しく頷いたが、その目の奥にはこれから始まることへの期待と興奮が渦巻いていた。
「えへっ、なあにい?」
と呼ばれてやってきたリリイへ、まずはクロフォード師が清められた水を振りかける。
「きゃあっ。何すんのよォッ!」
とリリイは金切り声をあげ、手を振り払った。
「聖なる水を嫌がるか。ふむ」
場所はリリイの家の前。心配そうな両親が手を取り合って見守る。
村人たちもそれぞれの家の中からじいっと見つめている。
ちょうどよく、そこには井戸があった。下働きのルカス・グリムはてきぱき薪を組んで簡易の竈を作る。
ヴァレンティーニ師が水にむせるリリイへ神像をつきつけると、勢いがよすぎてリリイの巻いた前髪がふわりと動いた。
「いやんっ。ちょっとお、領主様? この人たち、誰?」
「神の像を嫌がって身を引いたぞ、おお」
「おまけにこの聖職者の制服をわかっていないようだ」
「これは、考えられぬな」
「うむ。母親よ、この子は生まれたときに神殿に連れていったのだな?」
「は、はい。確かに洗礼を受けさせましたです」
「それはおかしいな……」
悪魔祓いたちは相談し、互いに頷き合った。下働きはずっと背負ってきた大釜に井戸水をたっぷり入れ、煮立たせた。
「んもー、なんなの? こんなんゲームになかったんですけど。ていうか長期休暇なんてパラメータ上げのミニゲームやってればすぎたはずなのに、なあんでこのあたしがこんなワケわかんない村にいなきゃいけないわけ? おかしいっ」
リリイは地団太を踏む。
「教典にない言葉の羅列――悪魔の言葉だ」
とクロフォード師は言った。
神像をうやうやしく懐にしまいこみ、ヴァレンティーニ師は腰に括り付けた鉄の警棒を手に取った。
そして。
「悪魔よォーッ、この娘の身体から出ていけェー!!」
叫び声とともに一発。
腹を殴られた少女は仰向けにふっとび、煉瓦の家に背中を打ち付ける。痛みのあまり、声も出ないらしい。
母親が悲鳴を上げた。父親がそれを抱きしめた。彼らには他に子供がいない。もしリリイが改心しなければ、跡取りを失うことになる。
クロフォード師は朗々とした声で祈りを唱える。
ヴァレンティーニ師は殴った、リリイの身体を。あらゆる箇所を。
「悪魔よ、出ていけ、出ていけ! この少女を解放するのだああああ!」
領主はじっと見守った。それが彼の責務だった。
大釜を安定させたルカス・グリムが加勢に駆けつけた。
下働きの男は後ろからリリイを拘束する。彼女はされるがままに鉄棒の襲撃を受け続ける。
「悪魔よ、悪魔よ! 汝の名は! 答えよ悪魔よ、汝の名は!」
「げっ、げっ、げっ……」
鉄棒がリリイの鼻を砕き、血が舞った。
「悪魔よ、不浄の霊よ。私はお前を追放する、すべての竜の王の力よ、すべての地獄の悪鬼の王よしもべよ。この世への襲撃をもくろむすべての軍勢、すべての集団、すべての悪魔の徒党よ、立ち去れーエエイ!」
クロフォード師の祈りはいよいよ最高潮に達し、ヴァレンティーニ師は疲れを知らずただ職務を遂行する。
「げごっ、げごっ、うぼぼおぼおっ」
とリリイは血反吐を吐いて悶絶する。抵抗する力は最初からない。
顔の骨が砕け肉が飛び散り、あたり一面が赤い色に染まる。
家々の中で、小さな歓声と失笑があがるくらいには、この二年ばかりこの少女に煮え湯を飲まされた村人は多かったとみえる。
「もうやめてえー!」
と叫んで鉄棒の前に飛び出したのは、やはりというべきか母親だった。
「もうやめて、もうやめて。あたし、あたしが悪かったんですう。娘はあたしが責任持って面倒みますから、もうかんにんして……」
「おのれ悪魔めェーッ、今度は母親に乗り移りよったぞ!」
鉄棒の乱打が母親を襲った。彼女は絶望に叫んだ。
中年の小太りの優しい農婦は、娘はともかく本人の性格はよく友達も多かった。家々から上がったのは呻き声だった。
父親は、微動だにしない。ただ茫然と目を見開いて、血だらけの妻子を眺めている。ぽかんと。
「おどっ、おどうさんたすげでよぉッ」
と、母親を見捨てたリリイが縋りつこうとすると、汚いものを見たように目を逸らした。彼がまだそこに立っているのは、惨劇の舞台が家の前だから。ただそれだけ。
「我らの主、天の門を潜りし精霊王の御名と御力によって、その似姿に作られし人間の尊い血で贖われた魂から消え去れ、悪魔よ!」
いよいよヴァレンティーニ師がトランス状態に入った頃。
湯が煮え立った。
クロフォード師の祈りがぴたりとやんだ。老人は息も絶え絶えなリリイの腕を掴み取った。
「さて、それでは。これより、悪魔祓いの最終段階に入る! 遠き者は耳でもって聞き、近き者は目でもって見よ。悪魔よ、汝は名乗らずして邪悪なる竜の王の手先なり! やあああーッ!」
家々からため息が聞こえた。
父親は目を伏せた。
リリイは潰されて死ぬ鼠のような凄まじい絶叫を放った。
「ぎいいいィィィィィイイーッ!!」
クロフォード師は老いてなお壮健な両腕で、リリイの両手を掴みごぼごぼと煮える湯に突っ込んだ。万力のような力で手首を締め上げられ、少女はエビぞりになって痙攣する。
「さあ、悪魔よ、返答はいかに!? 汝の名は、名はなんぞ!?」
答えはない。リリイは泡を吹いて失神している。湯は煮え続け、泡は立ち続ける。
不可思議なことにクロフォード師の腕はやけどしない。赤くなりもしない。痛がらない。リリイの両手のように煮え崩れもしない。
「見たまえ諸君、さあさあ家から出てきて寄っといで。お師の腕は爛れていないぞ。精霊王を崇める者は、聖なる水を沸かした湯で傷つかんのだ!」
これこそ修行の成果であると、悪魔祓いの下働きは喧伝する。つられて、若い男を中心に物見遊山気分の村人がちらほら、出てくる。
もはや悪魔憑きリリイにさしたる抵抗はできなさそう。母親は死んだように白目をむいているし、父親はそれを抱きしめて声もなく号泣するばかり、出ていっても安全そう。
クロフォード師はリリイのくるくるの艶めかしい金髪を掴み取ると、やおら少女の頭を沸騰した湯に沈めた。華奢な身体がびぐんびぐんと躍り上がる。スカートがめくれて腿の裏まで見える。
うひゃあ、と村人たちはどよめく。
息継ぎのため熱湯から引き揚げられたリリイの頭は、美しかった顔は、見る影もない。
「愚かな悪魔よ! この世のことわり、精霊王の聖なる御手に勝てるとでも思ったか。名を告げよ、悪魔!」
再び、ざぶん。お湯が零れる。井戸の周りは水びたし、湯気が立ち込める。
リリイの痙攣が収まり、首ががくんと垂れた。クロフォード師は満足気に少女の身体を手放した。
「悪魔が名を告げ、この娘の身体から出ていった! 悪魔祓いは成功だ!!」
わあああ、と村人たちは歓声を上げた。家々から残りの人々が出てきた。領主は前へ出て、クロフォード師の手を取り深くお辞儀する。
「貴重な御業をこんな田舎の村のために……ありがとうございました、先生」
「うむ」
「むう」
それで、悪魔は祓われた。ことになった。
***
悪魔祓いたちは村いちばんの旅籠で思う存分飲み食いをして、立ち去っていった。
かわいそうに、母親は傷がもとで死んでしまった。
父親は気が触れて、よだれを垂らしては村を徘徊するようになった。
リリイも似たような感じ。半裸で村を巡っては、拳を振り回し――いや、あれは拳に見えるが違っていて、熱湯のせいで指が全部くっついて動かなくなってしまったのだった、ともかくもそれを振り回して、
「あたしヒロインー! ヒロインー!」
爛れて膨らんだ唇と、湯気でやけどしてかすれた声でいつまでもいつまでも叫んでいる。
顎と首がくっついて下から睨み上げるにして人を見るのだけれど、視力が極端に低下しているので目つきが凄まじい。
そのうち、河で水を飲もうとして足元が崩れかけているのに気づかず身を乗り出し、流されてしまった。下流の村で遺骸が上がったが、誰も引き取りに行かなかったので共同墓地に弔われたそうだ。
「よかったよかった」
「まあ、火あぶりよりゃマシだろう」
「一家が滅んでしまったなあ」
「あの家買わせてもらえないかね。息子夫婦にくれてやりたい」
「あんたんち狭いもんね」
「うるせえ」
と村人たちは微笑み合う。
あーよかった。グレーヴェンハウゼン家に本格的に睨まれる前に、王太子殿下の愛人になろうとする不届きな娘の故郷はここかと隣村や都会の連中に嗅ぎ付けられる前に、身内でことを鎮められた。
あーあ、ほんとによかったあ。
***
王太孫誕生の吉報を祝うため、国じゅうの貴族が都に集まった五年後のその日。
ハワード・シュテルン卿はヘレーネ・テレジア・フォン・グレーヴェンハウゼン嬢――今はヘレーネ王太子妃殿下に初めて拝謁した。
王国の後継者である赤ん坊を膝に乗せ、ヘレーネ殿下は美しかった。彼はこれほどまでに美しい人を見たことがなかった。銀の髪、紫の目、抜けるように白い肌!
ぞろぞろと列を作る貴族たちの最後尾に並び、順番を待つ。
ようやく順番が来る。頭を下げて、おめでとうございますと一言言うためだけの時間。
こちらは一挙手一投足に気を遣う冷や汗ものの挨拶だったが、向こうにとっては流れ作業の一環である。唯一、他と違ったのは、
「ああ、ヴァインブリュッケ村のご領主ですか。その節は世話になりましたね」
と、ヘレーネ殿下より直接お言葉をいただけたことだった。
ハワードはハゲを光らせて飛び上がった。
「は。はっ。光栄でございます」
ヘレーネ殿下の横で、王太子エドワード殿下が退屈そうにしている。彼はハゲ頭を指さす。
「ヘレーネ、これは誰だい?」
「シュテルン卿ですわ、殿下。リリイの故郷のご領主ですよ」
「えー、リリイ? いたねえ、そんな子」
王太子は人のよい笑顔で彼に手を振った。
「リリイ元気? 突然退学しちゃってビックリしたんだよう、ぼく」
王太子というよりは、老舗の三代目ののんびりした若旦那といった風情である。
ハワードはちらりとヘレーネを見上げ、それからオホンと空咳ひとつ、
「はあ、まあ、嫁入りしまして。元気にやっておりますよ」
と笑った。
「へー」
と王太子も笑った。
そしてハワードは列から外れ、爆発しそうな心臓を抑えた。
のちに彼の所領には、グレーヴェンハウゼン家の寄贈により立派な聖堂が建てられることになる。
尊き方々が学生時代にやらかしたちょっとしたシミ、問題点を消去しただけにしては、過分なご配慮をいただけたものだった。
それにしてもあの若ボンの後始末に尻を拭いて回るご生涯とは、賢くも美しきヘレーネ殿下も貧乏くじ引いたものだ、とハワードは不敬罪もののことを考えた。
しかしながらそこは下々の浅慮というもの、ヘレーネ殿下はとうの昔にそこのところもお考え済みだったらしい。
六年後、エドワード王太子は愛人として平民出の侍女を囲った。その侍女が不吉な黒魔術によってヘレーネ王太子妃を呪詛していたのがわかったのがさらに半年後。
愛人は悪魔祓いを受け、王太子殿下は治療のため辺境の元は監獄であった塔に蟄居の身となった。
ヘレーネ殿下はその賢さによって国政を担い、実家の援助を受けて国を立派に守り抜く。
幼少の頃より彼女を支えてきた騎士団長とともに。
それは、別に不貞でもなんでもない話。学生時代にちょっと可愛い平民に声をかけるのと同じ。たまたま同じ空間にいた、気になる相手とたまたま同じ目的に向かって協力しているだけのこと。
なあんにもおかしなことはない。