生存者Ⅰ 身から出た錆
感染拡大2日目の昼
河に沿って伸びる堤防上の遊歩道に自衛隊の隊員が点々と配置され、川底を歩いて渡河して来たり逆に河の反対側に広がる住宅街から現れ土手を這い上がってくる感染者の頭を、所持している自動小銃で次々と撃ち抜いていた。
河沿いの堤防上の遊歩道に点々と配置されている自衛隊の隊員たちが乗車してきた水陸両用車AAV‐7の車体の上には、双眼鏡で対岸を監視している水陸両用車の車長が立っている。
車長は操縦席のハッチから身を乗り出して車長とは逆に住宅街の方を監視している操縦手に声をかけた。
「昨日の台風のお陰で増水しているから渡河して来る感染者の数が限られているな」
車長の問いかけに操縦手では無く、砲塔上で河と住宅街から現れる感染者を駆除している砲手が答える。
「此処に配置された時は確かに少なかったですが、でも、増えてませんか? 現れる感染者の数」
砲手が返事を返した時、水陸両用車が停止している場所から1キロ程離れたところにある橋の上で複数の爆発音が響く。
橋の上では水陸両用車に乗車している自衛隊隊員の同僚らがバリケードを築いて検問を行っていた。
爆発音に続き自動小銃の発砲音も複数聞こえて来る。
対岸を監視していた車長が双眼鏡を橋の上の方に向けた。
橋の上に向けた双眼鏡越しに見えたのは、橋の上のバリケードが突き崩され河の向こう側から避難所がある住宅街の方へ押し合いへし合いしながら走る大勢の避難民と、その人の波に巻き込まれ同じように住宅街の方へ走る同僚の自衛隊隊員たちの姿。
それと一緒に安全が確保されている避難所に避難民を連れて行くトラックの上で、避難民に襲いかかっている感染者の群れだった。
「何でトラックの荷台に感染者が乗せられたんだ?」
「え、そんな馬鹿な……噛まれた傷を見逃して乗せてしまったんですかね?」
事態を把握しようと橋の方を見ていた2人の耳に無線機からの声が響く。
「検問所が突破された、全員退避しろー! ワァ! ァァァー……」
車長と砲手は水陸両用車に駆け戻ろうと走り寄って来る隊員たちの援護を始め、操縦手はエンジンを掛けて後部ハッチを開く。
遊歩道上に点々と配置されていた隊員たちの中には自分に向かってくる感染者と水陸両用車の位置を見比べて、水陸両用車に戻るのを止めて土手を駆け下り住宅街の中に走り込んで行く者たちもいた。
水陸両用車に比較的近くに配置されていた隊員たちは、駆け戻って来ると水陸両用車の方へ駆けて来る同僚たちの援護射撃を始める。
自動小銃の銃声に引き寄せられて感染者が次々と土手を這い上がり河を渡って来た。
水陸両用車の方へ走っていた隊員の1人が、土手を這いずり上がってきた感染者に捕まりその足首の肉を噛み千切られる。
その隊員は自分の足首の肉を噛み千切りその肉を咀嚼している感染者の頭に小銃弾を撃ち込んだあと、自分の顎の下に銃口を押し付け引き金を引いた。
駆け戻ってきた隊員たちが次々と水陸両用車に乗車してベンチに座り込む。
ベンチに座り込んだ隊員たちの顔は強張っていた。
水陸両用車の方へ駆け寄って来る隊員の姿が無くなると車長は、周りで援護射撃を行っていた隊員たちを乗車させて後部ハッチを閉めるよう操縦手に声を掛けると共に、乗車することができた隊員の人数の確認を求める。
「ハッチを閉めろ、それと何人戻って来れた? あと傷の有無を申告しろ」
乗車した隊員たちの中で最上級の3曹が報告した。
「乗車人数は12人、噛まれた者はいません」
自車より橋の近くに停車していた第一分隊の水陸両用車が橋の方へ走り始めたのを見ながら、操縦手が車長に指示を求める。
「第一分隊に続きますか?」
「イヤ、止めておこう。
橋の上を見てみろ、避難民と感染者がゴッチャになって区別がつかなくなっているだけで無く、避難民が乗って来た車両で道が塞がっているからな。
この遊歩道を行ける所まで進み、その後は土手の下の道を進むか河を遡上するかはその時に決めよう」
「分かりました」
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感染拡大初日
「そこのコンビニでトイレを借りよう」
帰省する家族を乗せたワンボックスカーがコンビニの駐車場に止まる。
住宅街の中のコンビニで書き入れ時の時間を外れている所為なのか、駐車場に止まっている車は配送のトラックだけだった。
13〜4歳の中学生らしい男の子の後ろから車を降りて来た小学校低学年くらいの女の子が父親に声をかける。
「お父さん! アイス買って」
それを聞いてスライドドアを開けたまま後部座席に寝転がっている母親が娘に声をかけた。
「あたしの分もお願い」
「来ないのか?」
走りだそうとする娘の手を握り父親が母親に声をかける。
「うん、寝ているわ」
その返事に父親は肩を竦め娘の手を引いてコンビニの店内に入って行く。
トイレを済ました父親が店内を見渡すと、雑誌コーナーの前に群れている中高生くらいの男の子たちが外を指差しながら騒いでいた。
父親は外に目を向ける。
ワンボックスカーの開いたままのスライドドアから車の中に身体を入れた数人の男女が、妻に乱暴を働いているのが見えた。
父親は店員に警察に電話するように大声で頼むと、商品が入ったカゴをぶら下げて近寄ってきた長男を連れて妻のところに急ぐ。
悲鳴を上げながら藻掻いている妻に覆い被さっている男の両肩を後ろから掴み、妻から引き離しそのまま駐車場に叩きつける。
男を駐車場に叩き付けたとき父親は気が付く、叩き付けた男の口元が真っ赤に染まり口には妻の物と思われる肉片が咥えられその肉が咀嚼されている事に。
引き離した男の口元に見入っていた父親の耳に別な悲鳴が響く。
そちらに目を向けると反対側のスライドドアから妻に覆い被さっていた女の腕を引っ張っていた長男の腕に、長男の後ろから近寄ってきた青白い顔の老人が齧り付いている姿であった。
父親は息子の下に行こうとしたが駄目だった、青白い顔でノロノロと近寄ってくる者たちが次々と住宅街の方から現れ父親に掴みかかって来たからである。
コンビニの女性店員2人が手にモップやオーナーが防犯の為に控え室においていた木刀を持って外に出てこようとしたのを、配送トラックの荷台で次の配送先の商品を整理していた男が押し止め店内に押し戻しながら怒鳴った。
「ありゃあゾンビだ! 近寄ると喰われるぞ。
オイ! お前ら、バリケードを築くから手を貸せ」
男は自動ドアのスイッチを切り雑誌コーナーの前で騒いでいる中高生の男の子たちに怒鳴る。
男の子たちは最初ゾンビの言葉に笑い声をたてていたが、ワンボックスカーに走り寄った親子が食い殺されたのを見て慌ててバリケードを築くのを手伝う。
その騒動の最中、トイレから出てきた女の子が自動ドアの前にバリケードが築かれるのを見てを立ちすくみ、次いで外を見て大声を上げる。
「お父さーん! お兄ちゃーん! ヒィ、お母さーん !」
女の子の目に目に映ったのは複数の者たちに貪り食われる父親と兄、それに血まみれになって近寄ってくる母親の姿だった。
女の子はバリケードが築かれたドアから外に出ようとしたが、20歳前後の若い女性店員が彼女を背後から羽交い締めにして控え室の方へ引きずって行く。
バリケードを築き終わってから、次々と増えるゾンビの姿を見ていた男の子の1人が男に声をかける。
「ゾンビの数がドンドン増えているけど、大丈夫ですか? ガラス割って入って来ませんか?」
声をかけられて男は店内のあちらこちらを眺めてから返事を返す。
「ヤバいかも知れないな。
オイお前ら、天井に穴を開けて屋根の上に出られるようにしろ」
控え室の天井に穴が開けられる作業を控え室に置いてあったテレビを見ながら監督していた男は、穴が出来上がったあと次の命令を発した。
「何時まで籠城する事になるか分からないから、店にある食い物や飲料水をカゴや袋に入れて屋根の上に運び上げろ」
その命令口調に頭に来た男の子の1人が反論する。
「遣るのは構わないけど、オッサンはまた見ているだけかよ?」
男は直ぐ脇に立てかけてあった木刀を手にして反論した男の子の肩に力一杯振り下ろす。
肩の骨を砕かれ悲鳴を上げのた打ち回る男の子の胸に男は足を乗せ押さえつけ、周りで震え上がっている残りの中高生の男の子たちに声をかけた。
「遣りたくなければ遣らなくてもいいんだぞ! ぶち殺すだけだからな。
人数が少なければ少ない程、食い物が長持ちするんだ。
お前らはどっちなんだ?」
そう言われて残りの男の子たちは首を上下に動かしながら、足早に言いつけられた事を始める。
男はガムテープと紐を持って来させると、肩を押さえ泣き叫んでいる男の子を縛り上げ口を塞いだ。
泣き叫んでいた男の子を縛り上げたあと男は、モップや木刀の先端を売り物だったカッターナイフで尖らせ始める。
「あのー……すみません」
「何だ?」
カゴやビニール袋に詰め込んだ商品を屋根の上に運び上げていた男の子たちの1人が、男に声をかけた。
「腹減ったんですけど、飯食って良いですか?」
「いいぞ、ただし、弁当やオニギリにサンドイッチを食え。
菓子パンなどのパン類や菓子類は日持ちするから食うんじゃねーぞ」
「は、はい」
「それと、飲料水は同じように日持ちしない牛乳を飲め」
「分かりました」
食事の後も作業は続けられ、店内の商品で食料品以外にも使えそうな物は全て屋根の上に運び上げられる。
夕食のあと籠城している者たちは控え室のテレビを見て騒動の情報を得ていた。
女の子は未だにグスグス泣いていてそれを耳障りに感じた男は屋根の上に女の子を追いやる。
女の子が屋根の上に追いやられたのを見て若い女性店員も屋根の上に登って行った。
男はもう1人の30代くらいの女性店員と控え室でテレビを見続け、邪魔な男の子たちを商品が無くなった店内に追い払う。
男が女性店員を口説いている時だった、車のエンジン音が店の外で響いたと思ったらガラスが割れる音が響き渡る。
男が何事かと木刀を持って控え室のドアを開けようとしたらその前に店側から開けられ、男の子の1人が悲鳴を上げながら控え室に逃げ込もうとして来た。
「助けてー! ゾンビが、ゾンビが入って来たーヒィィィィー食われるー」
ドアにしがみつき踏ん張る男の子の髪の毛が後ろから伸びてきた青白い手に鷲掴みにされ後ろに引かれる。
男は踵を返して控え室の一番奥に行き戸口を睨む。
ドアにしがみついて助けを求めていたいた男の子は店内に引っ張り込まれ、入れ替わるように青白い顔の男が戸口に立つ。
その男の後ろにも同じように青白い顔をしたゾンビの姿が見える。
男は屋根の上に登る穴にしがみつき「押し上げて」と騒いでいる30代の女性店員の背中と腰を掴み、引きずり下ろすようにしながら控え室に入って来たゾンビの群れの中に放り込んだ。
ゾンビ共が女に掴みかかっている間に男は屋根の上に這い登った。
屋根の上に這い上がったあと車のエンジン音が聞こえた辺りを覗き込む。
スポーツタイプの乗用車がガラスを突き破り店内にめり込み、運転していた奴がゾンビ共に貪り食われていた。
翌朝、明るくなった頃に目を覚ました男は足音を忍ばせ店舗の周りを眺めて気が付く、ゾンビの数が昨晩よりかなり少なくなっているから今なら逃げられるのでは? と。
男はまだ寝ている若い女性店員と女の子の方に目を向けたが声をかける事も無く、木刀と飲料水と食料品が入ったカゴを持って助走をつけて配送トラックのコンテナの上に飛び乗った。
女性店員は男がコンテナの上に飛び乗った音で目を覚まし、男が自分たちを見捨て1人で逃げようとしている事に気が付く。
女性店員もコンテナの上に飛び乗ると走り出したトラックの上を這いずり、運転席の屋根の上から運転席の窓ガラスを叩いた。
だが運転している男は車の屋根の上にいる女性に気が付くと、急ブレーキをかけて屋根から女性を振り落とす。
屋根から振り落とされた女性は電柱に身体を打ち付けられる。
男は女性が電柱から滑り落ちたあと動かないのを見てから、トラックのアクセルを踏んだ。
コンビニの屋根の上に1人残された女の子には走り去るトラックの後ろ姿を見送る事しかできなかった。
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感染拡大2日目の夕方
自衛隊隊員15人と数人の市民を乗せた水陸両用車が住宅街を走っていた。
水陸両用車に収容した数人の市民以外にも何人かの市民を見かけたが、彼らの大半は自宅に立て籠もる事を選択して救助を拒んだ。
収容した市民から得た情報では、自衛隊員や警察官でさえゾンビになったりゾンビの餌食になったりしているのをテレビやパソコンで見て、下手に動き回ってゾンビに気が付かれて取り囲まれ食われるより、立てこもれる場所で静かにゾンビが居なくなるのを待った方が最良だと考えての事らしい。
確かに感染者は音に惹かれて寄って来た。
だから住宅街を走る水陸両用車の前にも多数の感染者が立ち塞がるように現れる。
その現れ立ち塞がる感染者の群れを水陸両用は跳ね飛ばしキャタピラで蹂躙しながら走行していた。
操縦席の後ろにある車長用ハッチから身を乗り出し、周りを見渡しながら車長が操縦手に声をかける。
「道、あっているのだろうな?」
「多分ですが大丈夫だと思います」
「心許無いなぁ」
砲塔のハッチから身を乗り出している砲手が割り込んで意見する。
「仕方がないですよ。
通ろうとする道の大半が放棄車両で埋まっているのですから。
この道のように、放棄車両が殆ど見当たらない道の方が珍しいくらいですからね」
「それはそうなんだが……」
河沿いの遊歩道から退避した彼らは、通ろうとする道の大半が放棄車両で塞がれている為に本部が置かれている避難所に行く事が出来ず、止むを得ず自分たちの駐屯地に帰隊する途中であった。
大部分の市民から救助を拒まれてはいたがそれでも助けを求める市民がいないかと、水陸両用車に乗車している隊員たちはハッチから身を乗り出して四方に目を配っている。
そのうちの1人が女の子の助けを求める声を耳にした。
「子供の声が聞こえるぞ! 耳を澄ませて周囲に目を配れ!」
その言葉に隊員たちは目を皿のようにして聞き耳を立て子供の姿を探す。
車両の一番高い位置にある砲塔上のハッチから身を乗り出していた砲手が、交差点の角にあるコンビニの屋根を指差して叫んだ。
「あそこだ!」
全員の目が指さされた場所に目を向ける。
小学生低学年くらいの歳の女の子がコンビニの屋根の上で手を振っていた。
周囲に群がる感染者の群れを弾き飛ばしながら水陸両用車がコンビニに横付けされる。
コンビニの屋根から女の子を水陸両用車に乗せようとした時、女の子が「食べ物は持って行かないの?」と声をあげた。
隊員たちは屋根の上に置かれたカゴや袋の中身の食料品に目を向ける。
車長は操縦手や他の隊員たちに声を掛けた。
「エンジンを切れ、暫く休息しよう」
水陸両用車の乗員の自衛隊員や市民たちは屋根の上にあった食料を分け合って食べ、交代で休息を取る。
休息を取りながら隊員たちは何故女の子が1人で屋根の上にいたのか聞く。
女の子は電柱の傍で感染者の群れに食われた女性の骸を見ながら返事を返した。
「一緒にいて偉そうにしてた男の人が1人でトラックで逃げ出して、お姉ちゃんが止めようとトラックの屋根に飛び乗ったんだけど、振り落として逃げて行った……」
「なんて野郎だ、見つけたらぶち殺してやる」
女の子の話しを聞いた隊員たちや数人の市民は皆、女子供を見捨てて逃げ出した男に怒りを覚える。
隊員たちの質問は助けられた事に安堵した女の子が、ウツラウツラと船を漕ぎ出したところで終わった。
休息が終わり水陸両用車は寝ている女の子を起こさないようにゆっくりと発進する。
前方に広い幹線道路が見えてきた所で車長が操縦手に指示を出す。
「幹線道路は放棄車両で一杯だろうから、放棄車両が少ない裏道を行こう」
「分かりました、手前の道を左に曲がってみます」
「任せた」
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男は女店員性をトラックから振り落とした後、トラックの前方に現れるゾンビを弾き飛ばしながら道を急ぐ。
昨晩見ていたテレビの番組が、幹線道路を右に曲がって数キロ程進んだところに避難所がある事を放送していたからだった。
右に曲がり放棄車両の列の間を強引に進む。
しかし1キロ程進んだ所で道の先にバリケードが築かれている事に男は気が付く。
舌打ちして今走ってきた道をバックで逆走。
曲がってきた交差点の近くまで来たとき、行くときは強引にすり抜けたダンプカーにぶつかりタイヤが空転し進めなくなった。
逃げ場所を探す彼の目がサイドミラーに映る建物に見え隠れしながら交差点に向かって走る、自衛隊の装甲車を捉える。
男は木刀を手にして運転席の窓からトラックの屋根に這い上がり、コンテナの上で装甲車が交差点を曲がって来るのを待つ。
交差点を見つめる男の目に何時まで経っても装甲車の姿は映らず、寧ろ彼の耳には装甲車のキャタピラ音が遠ざかって行くのが聞こえていた。
男は慌てて大声で叫んぶ。
「待ってくれー! 助けてくれー! 誰かー! 誰か助けてー!」
男の助けを呼ぶ大声に反応したのは放置された車両の周りにいたゾンビだけで、男の声に誘われて次々とトラックの周りに集まって来るのだった。