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09. 意味



 夢の中のイルザと主人公に接点はない。

 竜の乙女が学園に入学する前に、イルザは既に処刑されているからだ。

 主人公視点で進む物語に出てこなかったので、幼いイルザは夢の中に自分は登場しないものだと思っていた。


 イルザが最初に処刑の夢を見たのは、北の離れに閉じ込められたばかりの頃だった。




 突然離れに連れていかれたイルザは、当初その仕打ちの理由を全く分かっていなかった。

 全てが腹立たしくて、閉じられた扉の向こうへ怒鳴り散らし、手当たり次第に物を投げつけて暴れた。

 そうすれば、伯爵か夫人か、誰かが話を聞いてくれると思っていた。

 何人かの侍女は怪我をして泣いていたが、罪悪感よりも怒りが勝った。



(あなたより、私の方がつらいんだから)



 イルザは、自分が正しいと思っていた。




 しかしいくら待っても、伯爵夫妻はイルザに会いに来なかった。

 一人きりの夜を越えるたびに、怒りは不安と恐怖に変わっていった。


 押し潰されそうな心持ちで、泣きながら過ごした七日目の夜、イルザは初めて処刑の夢を見た。


 目覚めた直後、イルザはベッドの横で吐いた。

 震える手足には力が入らず、へたりこんだまま呆然と辺りを見回して、やっと夢だと分かった。

 そしてイルザは、自分がおかれた状況をようやく理解した。



(……私は、捨てられたんだわ)



 これまでのイルザの言動が夢の中の悪女に重なり、イルザに向けられた憎悪や嫌悪を初めて自覚したのだ。

 その憎しみが、いずれイルザを刑場へ追い立てるのだということもーー。




 それからイルザは、怒鳴ったり暴れるのをやめた。

 夢の中のイルザのようにはならないと、心に決めた。

 死ぬのが怖かったからだ。

 

 侍女や使用人が離れに来なくなり、食事すら出ないこともあったが、仕方がないと諦めた。

 これまで自分が価値のある人間だと信じて疑わず、傲慢に振る舞った報いだと思った。



(私は、死を望まれた魔女でしかないのに……他者を見下して、踏みにじっていた。そんな罪人が、まともな生活を送れるはずがない……)

 


 そもそも、幼い頃から見続けた夢が現実になるのだとイルザは思い込んでいたが、何の根拠もないことに今更気付いた。

 母や父が嫌がっていたのに、なぜ止めなかったのか。

 静かすぎる離れで、ひたすらに後悔と悲しみに沈んだ。



 孤独は耐え難かった。

 変わると決めたから、やり直すチャンスが欲しかった。

 今度は皆に優しくできるし、夢の話もしない。

 何とか離れから出してもらいたくてドアを叩き続けた。

 食事を運ぶ下女にも、優しく声をかけようとした。

 しかし、何も変わらなかった。



 毎日、寂しさと後悔で泣き続け、涙が枯れ果ててからは泣けなくなった。

 会話する相手どころか誰とも会わない生活が続き、いつの間にか表情は無くなり、少しずつ気力が失われていった。

 悲しみさえどこか遠く感じながら、一日中ぼんやり過ごすことが増えた。

 厳しい寒さにいよいよ身体が動かせなくなり、死ぬかもしれないと思った時も、伯爵夫人が扉を開けた時も、他人事のように心は動かなかった。




 衰弱していた身体が回復したイルザは、北の離れで暮らすことを選んだ。

 気まずそうな伯爵と、罪悪感の滲む夫人にはその方がいい気がしたのだ。


 それに未だに悪夢を見続けている。

 イルザには、どうしてもただの夢と思いきれなかった。

 夢の中の物語は主人公の行動によって変化したが、どんな物語であっても、イルザの死を皮切りに多くの人が死んでいく。

 つまり国が滅びなかったとしても、イルザはその悪行により必ず処刑されていた。

 部屋に閉じ籠り、誰とも関わらないようにしたのは処刑を免れるためでもあった。



***



 静かな北の離れには、一室を埋め尽くすほどの本がある。

 軟禁状態ではほとんど手に取ることがなかったその本を、イルザは読み漁るようになった。

 繰り返す悪夢が、ただの夢だという確証が欲しかったからだ。

 しかし調べれば調べるほど、古い災害と思われる記述や竜の伝承が見つかり、かえって厄災の信憑性が増していった。


 そのうちに、イルザは重要な事実に気付いた。

 主人公が竜の花嫁となれば国は存続するが、止められるのは竜による破壊と殺戮だけ。

 竜が現れる前の厄災で、すでに多くの人が亡くなっていた。



(こんな風に引きこもって処刑を免れたとしても、国が滅びれば私も無事では済まない)



 イルザは悪夢の光景を思い出して身震いした。

 竜が目覚める直前、王都は一目で分かるほど荒廃していた。

 人々の目は暗く濁り、極度の栄養失調と分かる子どもが指を咬み、郊外の丘には数えきれないほどの真新しい墓が並んでいた。


 起こるかどうかも分からない災害である。

 ただの、何度も繰り返す悪夢。

 ーーでも、もし本当に起こったら?

 

 理屈ではなく、説明もできないが、イルザは厄災が起こると感じていた。



 自然災害は止めようがない。

 だが、地震で建物が倒れないようにしたり、堤防を高くして洪水が起きないようにすることはできる。

 不足する食糧を多く保存しておくこともできるはずだ。

 もしも災害を減らすことができれば、多くの命が助かる。

 そしてこれからどんな厄災が起こるのかを、恐らくイルザだけが知っている。

 


(ーー知っていて何もしないのは、見殺しにするのと同じでは……?)



 とは言え、災害や竜に対処するなど、一介の貴族令嬢にできるわけがない。

 国を揺るがす厄災に対応するには、権力と財力を持つ協力者が必要不可欠だった。



(ーー例えば、王太子ミランであれば……)



 イルザは緊張のあまり唾をのんだ。

 一介の令嬢が王太子に会う機会はほとんどない。

 王宮のお茶会が、唯一の機会だ。

 お茶会では王太子に挨拶できれば良い方で、厄災について何かできるかといえば、可能性は低い。

 しかしそれ以外に方法はなかった。


 だがそれはイルザにとって、処刑台に自ら近付くようなものだった。

 夢の中のイルザも、国が滅びると告げて処刑された。

 これまでイルザの話を信じてくれた人など、一人もいない。

 イルザ自身確証のないただの夢の話。

 幼子の悪夢、頭のおかしい少女の妄言、その方がずっと現実的なのだ。

 何もできないまま、月日が過ぎていった。




(ーーこのままでは、いけない……)



 膝に乗せた本には、過去の災害による被害がどんなものであったか書かれていた。



(本を読み漁ったところで……閉じ籠るだけの私がそれを知ったところで、意味はないーー)



 もうどうにでもなれという気持ちもあった。

 誰とも関わりを持てず、幽霊のように過ごす毎日が空しかった。

 時々、自分がなぜ生きているのか分からなくなるほどに。

 王太子に会うのは震えるほどに怖かったが、やらなければもっと空しくなる気がしたのだ。




 予想どおり、伯爵にはお茶会の出席を認めてもらえなかった。

 だが、イルザは泥棒のように本邸に忍び込み、招待状を手に入れた。

 心臓が痛くなるほど緊張し、身体は震え続けていたが、厄災が起こればどうせ死ぬのだと思えばやり遂げられた。



 当日、離れを抜け出したイルザは、幸運にも屋敷の裏手で王都へ向かう荷馬車を見つけ、お金を渡してそれに乗り込むことができた。

 マントのフードを深く被って顔を隠し、荷物に囲まれながら馬車に揺られた。

 荷馬車の老人は親切で、イルザを王城の門前まで送ってくれた。

 

 みすぼらしい姿で、付き添いの一人も居ない人物を、門衛達がいぶかしがるのは当然だった。

 高圧的な衛兵の態度に内心怯えながら、イルザはフードを取った。

 精一杯貴族らしく振舞って招待状を差し出すと、衛兵はぎこちなく道を開け、なんとか中へ入ることができた。


 結局、怖くなって図書室に逃げ込み、イルザが会場に入ったのはぎりぎり定刻を過ぎてからだった。

 一番遅くなってしまったイルザは、静まり返った園庭で向けられた視線に、また心折れた。


 余計なことはせず、片隅でやり過ごそうとしていたところ、王太子に声を掛けられ、イルザは心底驚いた。



***



 夢の中でイルザが罪人として処刑されたことは言えなかった。

 言えばその本性が悪女だと知られてしまうし、そうなればミランに嫌われ、憎まれると思ったのだ。


 悪夢に現れるミランは、いつも冷たい目でイルザを見下ろしていた。

 イルザを裁き、死刑を望んだ張本人なのだから当然だ。



(いつか、私は殿下に殺されるかもしれない……)



 初めて会った時から、イルザはミランが怖かった。

 感情を塗りつぶしたような微笑も、深い湖のような翠の瞳も、処刑の夢と重なって、怖くて仕方がなかった。


 あの微笑みが、憎しみに満ちた目に変わるのは、きっと一瞬だろう。



(………でも、)



 キルシェの咲き誇る庭が、恐ろしい悪夢を塗りつぶした。

 夢のように美しい庭で、ミランはイルザを信じると言った。

 イルザは、それこそ夢ではないかと思った。


 ミランが優しいだけの人ではないことは分かっていた。

 イルザの話を、全て信じた訳ではないことも。

 それでも、ミランは信じると言ったのだ。

 誰にも信じてもらえず、イルザでさえ、もうずっと前から自分の事が信じられなかったのに。



(……あの方は、私に生きる意味を与えてくれた)



 ぼんやりと見つめた窓の外は既に薄暗く、空には明るい星が瞬き始めている。



 どこか遠くで、扉を叩く音がした。


 目を閉じると、五歳のイルザが扉を叩いていた。

 イルザは痛むはずの無い自分の手を握り締めた。

 誰か信じてと、叫ぶ声が聞こえた気がした。




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