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08. 処刑台



 その舞踏会の主役は、白銀の髪を腰まで伸ばした紫の瞳の少女だった。

 彼女より美しい人は存在しないと言われるほどの美貌で、社交界にデビューしたばかりだが王国の至宝と呼ばれていた。


 女神のように美しい彼女は、いつも子供のように無邪気に笑った。

 しかしその無垢な笑顔と美しい外見とは裏腹に、心は救いようがないほど醜く残酷だった。


 欲しいと思ったものは全て手に入れなければ気が済まず、他人の物であっても、盗みや脅迫など手段を選ばず手中に収めた。


 物に限らず、婚約者や恋人を奪われた女性も数知れなかった。

 彼女が微笑みながら少し腕を引くだけで、すべての男性が虜になる。

 奪うのは簡単なことだった。

 そしてすぐに飽きて、手酷く振るのだ。

 中には自殺を図った者もいるというが、彼女は気にも留めなかった。


 人を見下し、少しでも彼女より目立つ者は嫌がらせを受け、意に添わない者は容赦なく追い詰め、追い落とす。

 人を人とも思わぬ非道な行いを重ね、欲望のまま享楽に耽る彼女は、ついには王太子に目を付けた。


 すでに婚約していた王太子に、彼女はいつものように微笑んでみせた。

 だが、その反応は冷ややかだった。

 王太子はどんなにあからさまに誘っても全く靡かず、焦った彼女は、まず邪魔者を消そうと画策した。



 王太子の婚約者を亡き者にしようとするその計画は、失敗に終わった。

 彼女は王太子とその側近達に、未遂に終わった殺人計画とこれまでの悪行を暴かれ、断罪されたのだ。


 失意で気が触れたのか、舞踏会の会場で拘束された彼女は王太子を罵り、国が滅びるとわめき散らした。

 それが王族に対する不敬及び反逆の罪と見なされ、処刑が決まった。




 灰色の雲に覆われた薄暗い広場は、魔女の処刑を見ようと集まった人々で溢れかえっていた。

 広場を見下ろす庁舎のテラスには、王太子とその婚約者の姿もある。


 刑の執行を知らせる鐘が鳴ると、刑場に罪人が引き出された。

 現れた彼女はぼろ布を身に纏い、手足を無骨な鎖に拘束され、銀の髪は惨めにも短かった。


 しかし、なおもその美しさで人々を惑わせた。

 彼女を一目見た者は言葉を失い、ただその場に立ち尽くした。

 いつもなら雨のように罪人に投げられる礫はひとつもなく、罪状すら知らない群衆の罵声もない。

 民衆は戸惑い、畏れて泣き出すものや、刑をとりやめろと言うものまで現れた。


 広場が異様な空気に包まれ、混乱し始めたことに慌てたのか、刑の執行は驚くほどすみやかに進行した。

 足に重石をつけられ、執行人の手で首に縄を掛けられると、彼女は叫んだ。



「お前たちは一年後、後悔することになるだろう! 私を殺したこの国は神に見離され、数多(あまた)の災いに襲われ、ひとり残らず死ぬのだ!!」



 静まりかえる広場に、朗々と彼女の声が響いた。

 王太子はその言葉に眉を潜め、隣の婚約者は扇を広げて顔を背けた。


 頭に麻袋を被せられるその瞬間まで、彼女は笑みを浮かべていたが、それを直視できたものは稀だった。

 間も無く、彼女が立っていたであろう床板がバタンと外れる音が広場に響き渡った。


 静かな刑場に、縄が軋む音だけが、いつまでも聞こえ続けていた。



***



 イルザは目一杯息を吸い込みながら目を覚ました。

 勢い余って噎せてしまい、激しく咳き込む。

 心臓が耳元で鳴っているかのように激しく脈打ち、服が冷たくなるほど汗をかいていた。


 強張り震える手で首を触るが、勿論そこに縄はない。

 柔らかな布がさらりと肌を滑り、白い寝巻きに着替えていることに気づいた。



「失礼いたします」



 すぐ近くで若い女性の声がして、イルザは止まらぬ咳に口を押さえながら顔を上げた。


 そこにいたのは、栗色の髪をきっちりと結い上げた、二十代前半ぐらいに見える若い侍女だった。

 彼女はベッドの横に膝をつき、心配そうにイルザを見つめていた。


 側に控えていたのであろうその侍女は、咳き込み続けるイルザに手拭いを差し出した。

 柔らかな手拭いで口を覆えば、仄かに花のような香りがして気分が落ち着く。

 背中をさする温かな手の感触は、どこか懐かしかった。




「ーーごめんなさい」



 咳が治まったイルザがそう言うと、侍女の手は一瞬止まり、またゆっくりと背を二回撫でた。



「大丈夫ですよ」



 侍女の柔らかな笑みに少しほっとしながら、イルザは部屋を見回した。


 伯爵家の私室が三つは入りそうなその部屋は、細かな植物文様の壁に飴色の調度品が並んでいる。

 花や動物が彫られたチェストや机には稀少な白磁や精緻な装飾の置時計、壁には有名な画家が描いたと思われる絵が飾られ、どれも一級品だ。

 そして大きな窓の外に、茜色の空と白く高い尖塔を見て、イルザはようやくここが王宮の一室だと思い至った。



 イルザの顔から血の気が引いた。


 キルシェの花が咲く庭でミランと話し、額付いた後の記憶がイルザにはなかった。

 最近ろくに眠れず食欲も落ちていた上に、コルセットできつく絞り上げられて、貧血を起こしたのだ。


 あわててベッドから降りようとしたイルザだったが、先ほどの侍女がやんわりと引き留めた。



「ご無礼をお許しください、イルザ様。どうぞそのままお休みになってください」



 彼女はイルザの手を取り、ベッドへ引き戻すと、目を合わせながら優しい笑みを浮かべた。



「私は殿下付きの侍女、マリーと申します。殿下からイルザ様のお世話を仰せつかっております。どうぞ何なりとお申し付けください」



 落ち着いた声音に、イルザも少し冷静になった。

 今さらじたばたしてもかえって迷惑だと思い直す。



「……ありがとうございます。……では、あの……お水を、いただけますか?」



 水を飲み終わると、イルザはまたベッドに寝かされ、マリーは医師を呼びに行くと告げて部屋を出た。




 誰もいない静かな部屋で、イルザはぼんやりと暮れていく空を見つめた。



(……まだ、生きている)



 イルザはようやく実感した。

 不敬罪で捕らえられることも覚悟していたが、今の状況を鑑みるに王太子にその気は無いようだった。



 夢で処刑されたのは、十六歳のイルザ=メルジーネ。


 主人公が、物語の舞台となる学園に入学する直前、不吉な言葉を残して処刑された悪女だった。




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