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75. 竜の乙女




(人であるイルザに竜の声が聞こえるのは、恐らく一族に竜の血が入っている為だ)



「………え?」



 竜の傷口の汚れを流していたイルザは、驚きのあまり固まった。

 竜の血が混じるとは一体どういう事なのか、混乱するイルザに竜が話したのは、人が全く知らない竜の生態であった。


 竜は長命で、千年以上生き個体がある一方、子ができにくかった。

 そもそも発情期が一生のうち数回しかなく、生まれた卵も孵化する確率が低かったという。

 しかも単独行動を好む竜が多く、子をつくる以前に特定の番を作る事もほとんどなかった。



(理由はわからないが、番を持った竜のごく一部が、石のように固くなって眠りにつくことがあった。およそ一年後、硬い殻を破って出てきた竜は、人のような形になっている。――あの歌は、人型になった竜の言葉だ)

 


 イルザは夢で黒竜が人の姿になったことを思い出した。

 主人公が人型の竜と結ばれると、国が滅びることなく物語は終わった。


 

(どうやら、竜ではなく人型の方が子を成すのが容易いらしい。しかしそうやってうまれた子は、竜にはなれない。その親も竜には戻れず、皆数十年で死んでしまう。竜の国から追放されてしまう彼らがどうなったのかは知らないが、人に紛れて生きたのだろう)



 星が落ちて、竜は殆ど死に絶えた。

 人もまた甚大な被害を受けていて、生き延びた者達は種を越えて助け合って生きたようだ。



(そのうちに竜と人が交じりあい、子を成したか。形が似ていても竜と人の間に子はできないと思っていたが……。イルザが俺と意思疎通できるのは、先祖返りで竜の血が濃いためだ)



 イルザの容姿や髪色は、その竜の血が色濃く現れたのだという。


 イルザを介して同じ説明を聞いたミランも、流石に驚いた。

 それが事実なら、メルジーネ家は預言者の血を引き、竜の血もひいているらしい。

 音楽の才に恵まれている事以外に特筆することのない、目立たない一族だと思っていたが、とんでもない。

 これほど特殊な成り立ちの一族が、何故ここまで埋もれてしまったのか、ミランは不思議でならなかった。




(――イルザ。お前はもう帰れ)



 手当てを終えたイルザに竜が言った。

 イルザは思わず息を止めて、ミランを見つめた。

 離宮に帰るということは、即ちミランとの別れを意味していた。


 一度会ってしまえば、別れが余計に辛かった。

 次にミランに会えるのはいつになるのか、生きて目見えるのはこれが最後になるのではと思えば離れがたく、イルザは身動きがとれない。



(イルザ)



 もう一度呼ばれたイルザは、何とか口を開いた。



「……殿下……私は、離宮へ戻らなければ……」



 ミランはきつく握りしめているイルザの手をとった。

 そして竜に向き合い、頭を下げた。



「竜の王にお願いがあります。イルザや離宮の使用人が人と会うことを、許してはいただけないでしょうか。これまで献身的にあなたに仕えたイルザに免じて、どうか」



 強引な申し出だったが、この機を逃せば交渉できないだろうとミランは思った。

 危険な賭けだが、イルザも頭を下げた。

 目を閉じれば、自ずと懐かしい人の顔が浮かぶ。

 


「どうか、お願いいたします」



 その場にいたマリーやアルマ、クラウスやエルガーも膝をついた。

 



 期待と不安が入り混じる緊張の中、竜が喉を鳴らした。



(………人を傷付けぬという約束を先に破ったのは私だ。――お前は自由だ、イルザ。……愛しい竜の末裔よ)



 イルザの頬には、小さな切り傷があった。

 はっとして顔を上げたイルザの目から、涙が溢れた。



「――ありがとうございます……」



 イルザは膝をついて頭を下げた。

 それを見つめる竜の目は優しく、寂しげにもみえる。


 雲一つない青空の下、湖から暖かな風が吹いていた。




***





「――リーナ! 降りてきなさい!」



 巻き起こる風に乱れる銀の髪を押さえながら、イルザは天を仰いで声を上げた。


 上空を悠々と飛んでいた竜はゆっくりと下降し、やがて少し離れた場所に降り立った。

 その背に乗るのは、金の髪に金の瞳の少女だ。



「お母様! 上手だったでしょう?」



 きらきらした目でそんなことを言われたイルザは、もう止めてという言葉をどうにか飲み込んだ。

 

 リーナはかなりの高さがある竜の背から躊躇なく飛び降りた。

 そして少女など簡単に飲み込んでしまいそうな竜の顔に恐れることなく近付くと、その目の横にキスをした。

 竜に感謝を伝えて手を振ると、満面の笑みを浮かべて母親の腰に抱き付く。



「ねぇ、お母様! またリュートを教えてほしいの」



 イルザは七歳になってもまだ甘えてくる娘に困った顔をしながらも、そんな娘が可愛くて頭を撫でてしまう。



「午後はエミリア叔母様が来るのよ」


「分かってるわ! だから練習したいの」


「じゃあ、ちゃんと支度をしてね」



 王女としては少々元気すぎる返事をして、リーナはまだ小さな手で母の手を握った。


 早く早くと急かすリーナに手を引かれて、イルザは歩きだした。

 その後ろには、マリーとアルマ、王女の護衛騎士となったユリアが続く。



 宮殿に戻れば、リーナはいつものように生後間もない弟の元へ向かうだろう。

 彼女は年の離れた弟を天使と呼んでいつも可愛がっている。

 頻繁に王宮へやってくるアレクシアの息子とは昔から喧嘩ばかりしているが、小さな弟(殿下)を守ろうと張り切る二人は息ぴったりで微笑ましい。



 間も無く昼食の時間だ。

 王となったミランは、どんなに忙しくとも家族と共に食事をする。

 今日も補佐官となったリーヒェンに文句をいわれながら政務を抜けてくることだろう。

 リーヒェンを宥めるのはいつもエルガーの役目だ。



 暖かな日差しが注ぐ王宮の庭には、桜の花に似たキルシェの花が満開に咲いている。


 飛び去った竜が起こした風に煽られて、透き通る花びらが雪のように舞い散った。




これで最終話となります。

あれこれ悩み、更新ができないこともありましたが、読んでくださる方がいると思えば頑張れました。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。


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