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07. 涙




「……殿下、これは夢の話です」



 その声で、黙って考え込んでいたミランは我にかえった。



「私にも、わからないのです………私は、頭がおかしいのかもしれません。こんな話、私が聞く立場であったら信じません。……ですが、何度も何度も夢に見るのです。妄想や幻覚ではないかと、お医者さまにもかかりました。忘れようとしました。……でも、できなかったのです」



 花びらに埋め尽くされた地面を見ていたイルザの瞳が、ミランに向けられた。



「あの夢は、現実になるのでしょうか? ……私は、どうしたら良いのでしょうか……」



 ミランは、その時ようやく気付いた。

 イルザは夜毎、死の恐怖と向き合い続けているのだということに。

 今の話を信じるならば、彼女はほんの幼い頃から、人々が為すすべなく蹂躙され、死にゆく様を夢で見続けてきたのだ。

 夢とはいえ、それは幼子にとっては辛い経験だったはずだ。



 先日のお茶会で、イルザが身に付けていたのは丈の合わない古びたドレスだった。

 耳飾りの一つもなく、化粧もせず、髪も簡単に纏めただけ。

 その様子をみれば、彼女が伯爵家から見放されているという噂が真実だとわかる。

 イルザにまつわる噂と今の話から、彼女が悪夢を周囲に話したが為に、家ですら孤立したのだと想像できる。

 人は必ず死ぬと知りながら、自分が死ぬとは思わずに生きている。

 突然の災害で己が死ぬ未来など、ましてや幼子が語る夢の話など誰も信じない。


 普通の子どもであれば笑い話で済んだのだろう。

 しかし、イルザの人間離れした容姿と子供らしからぬ知恵がかえって仇となった。

 話してみてわかったが、イルザはまるで十一歳とは思えない。

 ミランも大概大人びていると言われるが、王太子という立場があっての事だ。

 伯爵家の令嬢としては、異常だと言える。

 おそらく大人の女性として過ごすこともあるという夢と、人死(ひとじに)の夢を見続けた結果なのだろう。

 そんな彼女の話を聞いた者は皆、先ほどのミランと同じように恐れたのだ。

 だからイルザは、たった一人で悪夢と向き合わなくてはならなかった。



 王太子であるミランにこの話をするのは、最後の手段だ。

 ミランとて、予言の書がなければ聞く価値もないと判断して切り捨てたはずだ。

 イルザには何の益も無いどころか、王家から危険視されかねない行為である。


 イルザの悪夢を隠した伯爵の判断はある意味正しい。

 平和なこの国であっても、貴族達はのしあがるために蹴落とし、出過ぎれば叩かれる。

 陰湿な権力闘争が未だに繰り広げられる貴族社会で隙をみせれば、明日には路頭に迷うかもしれない。

 イルザがそれを分からぬ程幼いとも思えなかった。



(……覚悟の上、なのだろうか)



 それでも伝えなければならないという正義感なのだろうか。

 また俯いてしまったイルザから、感情は読み取れない。

 


「イルザ」



 顔を上げてほしくて名前を呼んだ。

 イルザはゆっくりとミランに視線を合わせた。

 表情が無いせいか、彼女の行動から前向きな意志は感じられない。

 そうするより他になくて、自分自身を諦めたようだとミランは思った。



「ーー私は、君を信じるよ」



 ミランの言葉にイルザは息を止めて、僅かに目を見開いた。

 勿論、ミランはすべての話を信じたわけではない。

 こう言えば心を許し、全てを話すのではないかという打算があった。


 同時に、嘘でもそう言わなければいけない気がした。

 でなければ、まるで崖下を覗き込んでいるようなイルザが、暗い谷底に落ちてしまう気がしたのだ。



「君は嘘をついていない。これからどうするか、一緒に考えよう」



 ミランがそう告げると、瞬きもせずにミランを見つめていたイルザの目に、涙が溢れた。


 紫水晶のような瞳を濡らして一層輝かせながら、後から後から涙が流れ落ちていく。

 その涙を、ミランは息をのんで見つめた。



 ミランが自失したままでいると、突然イルザがその場に崩れ落ちた。

 倒れたと思ったミランは慌てて膝をついたが、イルザは膝を土に付けたまま身を正し、額を地面に付けた。

 額と手のひらを地面に付けるのは、今では滅多に見ない古式の最敬礼だ。

 この日のために用意された高価なドレスは、土や草で汚れてしまっているだろう。


 咄嗟のことに動揺して動けないミランを尻目に、イルザの声は淡々としていた。



「……私の話を信じてくださったこと、感謝申し上げます。私は、今この時より、私の全てを殿下に捧げます。全て、殿下の御心に従うことを誓います」



 戦乱の時代、家臣たちはこのように誓いを立て、身命をなげうって王のために戦ったという。


 しかし今の平和な時代に、少女が心身を捧げるのはまずい気がした。



「イルザ、どうか顔を上げてーー」



 内心慌てながら肩に手を伸ばしたその時、イルザの身体が傾いた。

 ミランは咄嗟に腕を伸ばして、彼女が地面に倒れ伏す前に抱き止めた。


 力の抜けたイルザの身体を抱え直して顔を覗き込めば、涙のあとが残る頬から血の気が失せて、呼吸も浅い。

 ミランは意識を失った身体を支えながら、後方に控える侍女に急ぎ医師を呼ぶように命じた。



 華やかなドレスは、もともと細いイルザの体をかなりきつく引き絞っているように見えた。

 ミランはどうするか迷ったが、応急処置だからと心の中で唱えながらイルザの背中の編み上げリボンを解いた。

 眉根を寄せるミランの耳は少し赤い。

 どこか遠くを見ながら、緩んだドレスを慎重に掻き分け、膝裏に腕を入れて立ち上がる。


 布地を幾重にも重ね、ビーズや刺繍が全体に施されたドレスは、ふんわりと軽やかな見た目に反して重い。

 そのうえ、イルザはどちらかというと長身で、今のようにヒールの高い靴を履いているとミランとさほど背丈が変わらない。

 にもかかわらず、ミランはなんの苦もなくイルザを持ち上げられた。

 そのあまりの軽さに、ミランは思わず腕の中のイルザを見つめた。



 間近に見るイルザは、苦し気にしていても人ならざる美しさだった。

 神が作ったものは神の元へ帰るという。

 イルザは腕にかかるそのわずかな重さで地上に繋ぎ止められているだけで、今にも神の元へ帰ってしまうような気がした。


 ミランは無意識にイルザを抱く腕に力を込めた。

 彼女を運ぶのを変わろうと近付いてきた騎士に首を振ると、足早に王宮へと向かった。




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